4. 亡き妻と見知らぬ王女

 佑は一旦席につき、出された食事に口を付けた。それから少し、思案する。

 この世界では、肖像画くらいしか姿を残しておく手段がないのか。写真や映像なんて存在しないのかも。魔女とか魔法とか王族とか、明らかに中世風な異世界らしい。

 スマホは……、どうだろう。また不審がられる可能性も高いが、確か生前の妻の写真が幾つか残っているはずだ。理解されない前提で、見せてみたら……。

 食事の手を止め、佑は腰を浮かせてダウンジャケットの裾を捲り、ズボンのポケットをゴソゴソ漁った。


「……何だ、変な動きをして」


 リディアが少し離れたところから顔を顰めている。


「あ、あのちょっと、見せたいものがあって」


 手帳型のケースに入ったスマホを取り出し、電源が入っていることを確認してホッとする。出かける直前まで充電していたのが功を奏した。

 ただ……、充電出来る環境にはない。バッテリー残量92%。モバイルバッテリーと充電ケーブルを持ってくる余裕も発想もなかったことを後悔するも、あの状況で異世界に迷い込むことなんて誰も想定しないはずだ。諦めるしかない。

 佑はスマホに保存してある妻の写真を探した。お気に入りマークを付けた、竜樹の中学の入学式の写真を開く。

 見た瞬間に、涙腺が緩んだ。


 ――妻は、写真の中で笑っていた。


 明るい色の、腰まで長く伸ばした髪には少し癖が付いていて、歩く度にふわふわ揺れた。青と緑を混ぜたような、綺麗な目。鼻筋も通っていたし、色白だった。多分、白人とのハーフなんだろうと、佑は何となく思っていた。

 彼女は、出自を教えたがらなかった。

 無戸籍だと知ったのは、知り合って間もない頃。学校にも行ったことがないことを知り、愕然としたのを覚えている。

 外国人との間に生まれた彼女のことを、母親はひた隠しにして……だなんて、佑は勝手に思っていた。センシティブな内容過ぎて、本人には聞けなかった。

 秘密の一つや二つ、誰にでもある。

 何も教えたがらない彼女を、それでも佑は好きになった。


「……なんだ、それは」


 震える手で、大事そうにスマホをじっと見つめる佑が気になったのか、リディアが左の方から覗き込んでくる。

 鼻水をそっと啜り、佑はリディアにスマホの画面を見せてやった。


「妻の写真です」

「妻? シャシン……?」

「見たまんまのものを、画像にして残す技術があるんですよ。こっちが妻の紗良で、こっちが息子の竜樹です。紗良は、リディアさんの知ってるお姫様に似てますか……?」


 テーブルの上にスマホを置いて、写真を拡大して見せた。妻の顔が大きく見えると、リディアはあからさまに驚いた。


「な、なんだこの板は。絵が動いたぞ。魔具か?」

「マグ……? あぁ、魔具。そういうのじゃないです。電話……でも通じないか。まぁ、そうですね。その……、かの地、では当たり前にみんなが持ってるアイテムですよ」


 説明に窮した佑は、そう答えるのが精一杯だ。


「そんなことはどうでもいいんです。これが、俺の妻、曽根崎紗良です。良く見てください、リディアさん。紗良は、かの地に逃れたというお姫様に似てますか……?」


 佑に促され、リディアは改めてスマホの画面を注視した。

 妻の顔のアップを見せたあと、縮小させて上半身を表示、それから左腕のブレスレットも拡大させてリディアに見せる。

 初めて写真を見て驚いたのか、スマホを見て驚いたのか。リディアは顔を目一杯近付けて、一生懸命写真を見ていた。

 暫しの沈黙。

 ふぅと息をつき、手で顔を隠して頭を振り、ようやく出た言葉は、


「……分からない」


 リディアは申し訳なさそうに項垂れている。


「王女がかの地に向かったのは、二十年も前のこと。……似ていると言えば似ているが、ハッキリと断定するのは難しい。――ただ、麦藁色の髪も、青玉サファイアのような瞳も、彼女と同じ。もっと言うなら、彼女の身に付けているそれは、王女の物に違いない。石の並びも、記憶のままだ。……しかし、それだけでこの人を……、王女と断定する訳には……」

「声は、覚えてますか?」

「声?」


 リディアは首を傾げた。


「動画もあるはずです。……ちょっと待ってくださいね」

「ドウガ?」

「動いているのを記録、再生する技術があるんですよ。動くし、声も出ます。説明するより見た方が早いでしょうから、お待ちください」


 スマホを手元に手繰り寄せ、少し前のデータを探る。

 確か、竜樹が小学生の頃、最後に旅に行った時の映像が……。


「あった。これです」


 再びリディアにスマホを差し出す。






 新幹線の座席。向かい側に座り、車窓からの景色を楽しむ紗良。隣に、小学生の竜樹もいる。


『あ、やだぁ。佑、何撮ってるの?』


 カラカラと笑う紗良。

 左腕には美しい装飾のブレスレット。五つの石が連なり、輝いている。


『紗良はいつ見ても綺麗だなと思って』


 呆れたようにため息をつき、顔を背ける竜樹。


『ありがとう。佑は優しいね』

『お世辞じゃないからな』

『知ってる。そういうところが良いよね、佑は』

『な、何だよ急に』

『赤くなったぁ〜! いつまでも変わんないのは佑も同じでしょ?』


 口元を抑えて、いたずらっぽく笑う紗良。


『ばっかじゃねぇの。恥ずかしい……』


 動画に映らないよう身体を丸める竜樹の背中が、画面の端っこにあった。






「――今から、五年くらい前の動画です。どう……、ですか? 紗良は……、やっぱり、その……お姫、様……」


 リディアの反応を確かめようと彼女の顔を見たところで、佑はハッと息を呑んだ。


「……す、すまない。私は……、あの人の笑った顔を、見た事が、ない……」


 目に涙を浮かべ、辛そうにするリディア。

 かける言葉が見つからない。

 しまったと思い、佑はぎゅっと口を結んだ。


「とても、綺麗な御仁だった。……だが、いつも寂しそうだった。笑うと言っても、社交辞令で悲しそうに小さく笑うのだ。こ、こんな、声を上げて……、嬉しそうに笑うのが……、本当に、本当にあの人だったなら。かの地へ逃れ、お前と出会えて、この上なく……、幸せだったんだろう……」


 リディアの声が、震えている。

 恐る恐る佑が顔を上げると、リディアは頬を紅潮させ、感極まったように涙をこぼしていた。


「断定は出来ない。したくない。だが、恐らく私の思うあの人はきっと、お前の妻だったんだろう。あの日、絶望して泣きながらかの地に逃れた彼女が、こんなにも嬉しそうに笑って過ごせていたなんて……! 全く、見た目にそぐわず、とんでもない男だな、タスク」


 手で涙を拭って、リディアはフフッと小さく笑った。

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