歪に結ばれる愛の色
長月瓦礫
歪に結ばれる愛の色
森の木々を埋め、湖畔を描いたところで浅羽はため息をついた。
王子は隣に座る姫にプロポーズし、どうにかしてこの世界から逃げ出そうとしている。物語の結末を知っているから、そのようなことをするのだろうか。
浅羽は知っている。
二人はこれから始まる戦争によって離れ離れになり、そのまま一生を終える。
たった数ページの短い逢瀬を拠り所にして生きる。
どれだけ足掻いたところで、絶対に報われない恋の物語だ。
首を振った。やっぱり、挿絵の依頼なんて受けるんじゃなかった。
見えている物を描くだけで精一杯なのに、他人の世界を描けるはずもなかったんだ。
浅羽は幼い頃から幻覚に悩まされていた。
絵の中にいるキャラクターは語りかけ、自由に動き回る。
それだけでなく、妖精やモンスターが日常的に存在する。
異形としか言いようがないものが日常に存在する。
霊感なんて可愛いものだ。幽霊以上に害悪なものがそこらじゅうにいる。
『俺、浅羽先生の絵を見てピンと来たんですよね!
これぞ理想郷って感じで、美術科に君臨する皇帝サマは違うなって思って!
あ、俺は文芸科の木下っていうんだけど、ぜひ挿絵を描いてほしいんです!』
瓶底眼鏡の男、木下が原稿を片手に美術室に殴りこんできた。
ばさばさの髪にインクのシミがついたシャツ、執筆のこと以外まるで頭にないらしい。かなり適当な生活を送っているようだ。
芸術は美しいだけでは意味がない。
作者のメッセージを汲み取ってようやく物語は生まれる。
絵画でも文芸でも変わらない。
そんなことを木下は熱く語っていた。
浅羽は途中から聞き流していた。
小説に似合うような絵を描く人は他にもいるはずなのに、なぜ俺を選んだのか。
理想郷を辞書で引いても何も分からなかった。
ただ、芸術に対して熱い思いがあることには違いない。
かなり食い気味で頼み込まれた上に依頼料を出してくれるとのことだったから、つい引き受けてしまった。
木下曰く、今度の文化祭に間に合えばいいらしいから時間は十分にある。
ただ、あまり待たせても仕方がないから、すぐに作業に取り掛かった。
『愛の色を教えて?』
『そんなことをいわれてもボクは分からないよ。見たことないんだもの』
『ええ、そんなひどいことってないわ!』
数日は経っただろうか。
案の定、預かった原稿から登場人物が現れ、好き勝手に会話をし始めた。
決められた設定があるからか、話しかけられることはなかった。
すべて二人の間で完結している。
木下は執筆しているときに何を考えているのだろうか。
文芸を志す人々にはどんな世界が見えているのだろうか。
自分の世界を言葉で表せないと知ってから、文章を書くのが億劫になってしまった。
読書感想文ですらまともにかけた覚えがない。
『だって、私たちってここから出られないんでしょう?
お父様は言っていたわ。世界は丸くて回り続けるから、出口なんてないんだって』
『それじゃあ、まるでピエロみたいだねえ。
ぐるぐるとボクたちは玉の上を歩いているわけなんだから』
これを記録したら、木下はどう思うだろうか。
本の終わりまでたどり着いたとしても、世界はそこで終わってしまう。
そのあとのことは読者の想像に任せるしかない。
「なぜ、愛の色が気になるんだ?」
浅羽が問いかけると、二人は見上げた。
『だって、どこにもないじゃないの』
『神様が何も考えてないから、ボクたちが考えるしかないんだよねえ』
木下が考えていないことを登場人物が勝手に想像する。
神の考えていることが人間には分からないのと同じだろうか。
「愛の色か」
浅羽にしか見えないものを話したところで、余計にややこしくするだけだ。
色鉛筆を数本手にとって、握りこむ。そのまま線を引くと歪な虹ができた。
美術室に殴りこまれる前に、浅羽から図書館へ向かった。
いつも図書館のテーブルを占拠し、本を読み漁っているのは知っていた。
『できる限り関わりたくない小汚い奴』と思っていたから、なるべく近づかないようにしていた。
向こうから来てしまった以上、徒労に終わったわけだ。
瓶底眼鏡に声をかけて、原稿を渡す。
「すっげ、仕事も早いとか将来有望じゃないですか。
しかし、こんなの頼みましたっけ?」
「愛の色がどうとか言っていたから、それに答えてやっただけだ」
登場人物の考えていることなど、木下が知るはずもない。
虹の下で二人が寄り添っている絵を見て、にやりと笑う。
「へえ、さすがは浅羽先生。おもしろいことを考えるんだね。
けど、確かに盛り上がりに欠けていたから、どうにかしたいところではあったんですよねえ。ちょっとだけ書き直そうかな、まだ余裕あるし」
「どういうことだ?」
「正直、俺としては納得いってなかったんですよ。
先生みたいに頭の中の理想郷をそっくりそのまま書けたらよかったんですがねえ。
俺みたいな下々の民にそんなすばらしい能力はありませんから」
技術不足ゆえに、妥協していたということだろうか。
新しい原稿用紙を取り出して、書き直していた。
歪に結ばれる愛の色 長月瓦礫 @debrisbottle00
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