第50話 いいところ捜し

「ヨムで勉強している」


 と、さんざん言っていますが、それはどういうものかといえば、


「いいところ捜し」


 あらを捜せばキリがない。

 

 「カクヨム」様にある作品だけではありません。


 本屋の棚に並んでいる、○○教授、××専門家の本だって、大きな出版社から出ていたって、誤字脱字もあれば表現がおかしいのもあります。言葉の誤用だって、偉い人の文章のなかにも見受けられます。「煮詰まる」を「行き詰まる」と同じ意味と使っているようなアレですね。


 ちなみに


 「煮詰まる」は料理を思い浮かべれば分かるように、完成とほぼ同義です。

 それは「行き詰まる」とは真反対とも言えるわけで、誤用すると恥ずかしい代表格。


 でも、そんなあら捜しがなんの役に立つのか。


 反面教師にするのはいいですが、経験則からすれば、いい物語に感銘を受けて、それはどこが良かったかと、自分なりに「いいところ」を見付け、自分のなかに吸収しようとしたほうがよほど力になります。


 どんな作品にだって、いいところあるのです。

 文章力はまだまだつたなくても、文法の間違いだって、そんなものはこれからいくらでも勉強すればいい。


 それよりも、発想や構成、驚くほど突拍子もないそれにこそ感心するのです。

 センスとそれをいうなら、あら捜しでそれを壊すようなことこそ余計なお世話でしょう。


 だいたい、あら捜しできるほどの文章力や構成力が私にあるはずもない。


 いいところを見付けられて「すごいなあ」と感心すれば、それを自分にどう生かすか、自分ならどう描くかと、次はそれを考えます。


 この発想はなかったな。


 この展開を思い付くのはすごい!


 こんなに軽快なテンポの会話をさせられるなんて。


 こんなにも深く心情を描けるなんて……。


 生かす以前に、「これは真似できない」って、へこんで書けなくなることのほうが多いですけどね。それでもいいところを見付けて、素晴らしいそれを認めて、自分もそうなりたいと心に秘める。


 それのほうがよほど、私は、私の力になる気がするのです、「ヨム」では。


 何かを得ようとじっくりヨムから、いつまで経ってもヨムのが遅いんですけどね。


 そんなどうでもいい話

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る