第46話 辞書

 辞書はいいよね、辞書は。


 私の読書歴はかなり長いです。


 昔、小学校の低学年の頃、もう病名も忘れましたが、まいにち耳鼻科に通っていた時期が長くありました。

 父母が共稼ぎ(祖母はいましたが)だったこともあり、一人のその帰り、閉館時間まで図書館に入り浸っておりました。


 当時は確か、閉館時間は17時。まずマンガ、といっても図書館にあるようなものですから、記憶にある限り、手塚治虫先生とか、横山光輝先生とか、石ノ森章太郎先生とか、大先生のマンガしかなかったはずですが、それを読みふけっていました。

 帰り際に、海外の冒険小説、あるいは怪人二十面相、少年探偵団など、児童書コーナーを回って、家ではそれを読んでいたものです。


 ピンとくる方もいらっしゃると思いますが、それらには難しい漢字や分からない言葉も多いのです、子供には。


 そこでどうするかといえば、誰もが同じでしょうが、親に訊くわけです「これなに」「これどう読むの」と。


 で、うちの親はどうしたかというと、私に辞書を与えたわけです。

 あまりにもそれが多い、また自分たちも分からないことが多かったから。


 中学生(だったかな?)になると、「大辞林(初版)」なんて大きなものまで与えられました。


 で、それで言葉や表現を引きまくっていたわけです。

 本を読むよりももしかしたら、辞書を引いていた時間のほうが長かったかも?


 高校生(だったかな? いや、卒業後かな?)には、自分で「類語大辞典」なども買って。


 インターネットが隆盛し、検索すればすぐに言葉の意味など出てくる時代になっても、私は辞書を活用しています。


 言葉の意味だけを調べるなら、確かにネット検索のほうが早い。

 私もそれは活用します。


 しかし物語を書くなかで、表現に迷ったり、違う言葉を探したりするときは、もっぱら辞書になります。

 複数の辞書を駆使して、表現や言葉を探す。

 そのなかで、求めているものだけではない言葉も知って、表現が深くなることも多くあるのです。


 語彙ごい力より表現力が欲しいと言ったことありますが、辞書を引くことはつまり、表現力も身につくんですよ。


 人それぞれのやり方はあるでしょうから「これが絶対!」とは言いません。

 私は「三つ子の魂百まで」で辞書を使うことが身に沁みついているだけのこと。


 そんなどうでもいい話。

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