概要
嘘の月が昇る街
初めて武蔵野の月を見たときは驚いた―――それはあまりに空っぽだったのだ。
空っぽ、というのはつまり、この土地だから、というものが何もないということだ。ただそこに月が浮かんでいるだけ。ここだからこそ見える世界があるわけでもなく、ここでしか見えない特別な光が射しているわけでもない。何もない。かといってどこにでもあるような平凡な月、というわけでもなく、空っぽなのだ。
それは空白、と言い換えてもいい。
それだけ聞くと「何てつまらない月なんだ」と思うかもしれない。
しかし私はその銀色から目が離せなかった。なにかがあるはずだと思ったのだ。
どんな土地にだってそれぞれ過ごした時間があり、だからこそそれぞれの月が昇る。何もない、なんてことはあり得ないはずなのだ。
さて、どうしてこんなことになっているのか。