3-4

 簡易手術台に乗せられたスウォンツェを囲むように、シュユとベアトリス、そして数人の幻療士たちが立つ。

 ベアトリスの指示によって麻酔導入がされ、スウォンツェの気管へ専用のチューブが通される。そのチューブと麻酔状態と呼吸を維持する魔導式医療具が取り付けられ、速やかに麻酔が完了した。

 麻酔を担当してくれた幻療士たちの手元には一切の迷いがなく、非常になめらかだった。

 これはよく教えられているし、手術にも慣れている――ベアトリスが連れてきた彼ら彼女らの腕がいかに優れているかを感じ、シュユは内心で感嘆の声をあげた。


「メディレニア」

「わかってる」


 爪先でこんこんと二回ほど魔法陣を叩き、足元に描かれた治癒の魔法陣へ魔力を流し込み、起動させた。

 シュユの合図に合わせ、メディレニアも体内の魔力を練り上げて生命維持に特化した魔法を発動させた。

 魔法陣から放たれる白い光と、メディレニアが発動させた生命維持の魔法による淡い光、二つの光がシュユたちとスウォンツェを包み込む。

 視界の端で魔法陣を維持する担当の幻療士が床に両手をつけ、魔法陣の維持に入ったのを確認し次第、シュユはスウォンツェの首元の被毛を四角く刈り取った。


「メスを」

「はい」


 ベアトリスがメスを手に取り、シュユへ手渡す。

 受け取ったメスで首元の皮膚を切開すると、次にベアトリスが例の鉗子を手に取り、メスと交換する形でシュユへ渡した。

 先端の把持部がきちんと動くのを確認し、シュユは鉗子の先端から挿入軸を慎重に頸静脈へ挿入する。

 手応えを感じたら細かく鉗子を動かし、ときにスウォンツェの頭をわずかに動かしたりもしながら、指先から伝わってくる感覚を頼りに鉗子を奥へ進めていく。

 やがて、壁に投影されている映像に鉗子の影が映り込んだのを目にすると、シュユの唇から安堵の吐息がこぼれた。


 スウォンツェの容態は急変していない。

 鉗子の挿入時も妙な手応えは感じなかった。鉗子の挿入時に体内を傷つけてしまったというミスはない。

 ひとまず、鉗子の挿入には成功した――問題はここからだ。


「――……」


 浅く息を吐き、吸い込んで、挿入した角度を保ったまま、手元にある操作部を動かす。

 把持リングの傍にあるノブのうち、挿入軸から遠いほうを前方に押して把持部を開き、心臓内に我が物顔で居座っている宿敵を掴んだ。


「捕まえた」


 非常に小さな声で呟き、慎重に鉗子を抜き取る。

 ずるりと血液で赤く汚れた鉗子がスウォンツェの体内から引き抜かれ、把持部にしっかりと挟まれたそれがついに引きずり出された。


「――は……」


 それを目にした瞬間、ベアトリスの唇から呆然とした声がこぼれた。

 それは、血に濡れて赤く汚れているが、白く細い糸のように見えた。

 だが、風も吹いていないのに動いており、ただの糸ではないことを物語っていた。うねうねとした独特の動きは見る者全てに不快感と嫌悪感を与える。

 シュユによって引きずり出されたこれこそが糸状虫。

 スウォンツェの心臓内に寄生し、命を蝕んできた――最悪の寄生虫だ。


「……これが糸状虫……」


 呆然とした声で、ベアトリスが一言呟く。


「……一回で四、五匹は摘出している辺り……やはり、相当な数の糸状虫が寄生していそうですね」


 一方、シュユは冷静に呟きながら、トレーの上に摘出した糸状虫を乗せた。

 壁に投影されている右心室内の映像には、まだ糸状虫たちの影が見える。

 一体どれだけの数が寄生しているのかわからないが、かなりの数がいることだけは確かだ。


 ――迅速に摘出しなくては。素早く、確実に。


 改めて決意し、肺の中にある空気を浅く吐き出す。

 生理食塩水をたっぷり含ませたガーゼで挿入部や把持部に付着した血液を拭き取り、再度鉗子を挿入し、次の糸状虫を掴む。

 そのままもう一度慎重に引きずり出そうとした――瞬間。


「ッシュユ! 脈が弱まってきた!」


 スウォンツェの生命維持に集中してくれていたメディレニアが大声で叫んだ。

 焦っていると明確に語る声に、心臓へ氷水が流し込まれたかのような感覚が全身を襲った。


「――!」


 ば、と壁に投影された映像へ目を向ける。

 シュユの動きに反応し、ベアトリスもほぼ同時に映像へ視線を向けた。

 心臓内の様子は、変わらず一定のリズムに合わせて動いているが、数分前に比べると緩やかに弱くなってきている。

 そのまま、今にも止まりそうなほどに勢いが消えていっていた。


 ――心停止。


 その可能性が脳裏をよぎり、シュユとベアトリスの表情が凍りつく。


「ッメディレニア! 生命維持の魔法の威力をあげてください! 魔法陣の維持にあたっている方々も、今から威力をあげますので維持に集中してください!」

「はい!」

「言われなくても、もうやってる!」


 すかさず指示を飛ばした瞬間、それぞれから返事が返ってきた。

 シュユも爪先で数回床を叩いて、魔法陣へより多量の魔力を流し込んで治癒魔法の威力をあげる。

 魔法陣の維持にあたっている幻療士も、魔法陣から放たれる光が強まったのに合わせて維持するために己の魔力を多量に流し込んだ。

 治療室を緊迫した空気が包み込み、誰もが表情に焦りを滲ませる。


「ピスタシェ様はモニタリングをお願いします! 心停止が起きたと思われたら即座に報告してください!」

「ッ了解しました!」


 ベアトリスにも指示を出し、シュユはスウォンツェの身体に片手を置いた。

 他の幻療士たちも治癒の魔法陣を維持してくれている。

 メディレニアもスウォンツェの命の火が消えないよう力を尽くしてくれている。

 だが、それでもまだ足りないのだと言わんばかりに、シュユは己の魔力が手のひらからスウォンツェの身体へ流れ込むのをイメージし、追加で治癒魔法を発動させた。

 手の下で、脈がかすかに戻る。


 弱まる。

 また戻る。

 ……弱まる。


 何度も脈が正常な状態に近づいては弱まり、生と死が交互に押し寄せる。

 決して気を緩められない状態が続き、シュユは強く祈りながら脈が安定するそのときを待った。


 はたして、脈が不安定になってからどれくらいの時間が経ったか――数分か、それとも数時間か。

 永遠に続きそうにも感じられた時間の中、シュユの手の下で消えそうになり続けていた脈がようやく安定した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る