3-5
「……ピスタシェ様、映像のほうはどうですか?」
安堵の吐息混じりに、映像を確認し続けてくれているベアトリスへ声をかける。
「元のリズムに戻りました。……しかし、どうして急に容態が……」
麻酔をかけたあと、スウォンツェの容態は安定した状態が続いていた。
鉗子を挿入した際に変な手応えは感じなかった。
だというのに、突然急変し、脈が弱まった――容態の急変は手術中だと覚悟しておかなくてはならないことだが、あまりにも急だった。
メディレニアからの報告が入る直前の記憶を呼び起こす。
あのときは確か、もう一度糸状虫を挟み、摘出しようとした瞬間だった。
……ぱっと思い当たった理由は一つ。
「……おそらくですが、摘出しようとした瞬間に糸状虫が暴れたのでしょう。患部は心臓ですから、そのダメージが直接心臓に入り、脈が弱まったのかと……」
本当に、厄介なことをしてくれる。
思わず舌打ちをしそうになるのを抑え、シュユは自分が追加で発動させた治癒魔法のみの使用を中断し、スウォンツェに触れていた手を静かに下ろした。
そして、今度こそ鉗子を引き抜き、掴んでいた糸状虫をスウォンツェの右心室内から引きずり出した。
追加で引きずり出した糸状虫もトレーへ移し、シュユはちらりと壁の映像をもう一度確認した。
「……まだ残っていますね」
右心室の中には、まだ鼓動に合わせて上下する影が映り込んでいる。
トレーに移した糸状虫の数は全部で十匹。すでに十匹もの糸状虫が摘出されたというのに、まだ残っている。
けれど、はじめて映像を目にしたときよりも、丸い影は確実に小さくなってきていた。
「メディレニア、スウォンツェ様の容態は?」
「今は安定してる」
「ピスタシェ様、映像の様子も安定していますか?」
「今のところは安定しているようです。……異常が起きたらすぐに報告しますので、エデンガーデン様は手術に集中してください」
そういってくれたベアトリスの存在がどれだけ頼もしいことか。
口元が緩んでしまいそうになるのを抑えながら、シュユは自分の手元に視線を落とし、鉗子に付着していた血液を再度ガーゼで拭き取った。
また慎重に鉗子を挿入し、同じ手順で次の糸状虫の摘出にかかる。
何度も同じ作業をひたすらに繰り返し、次々に右心室内で繁殖した糸状虫を引きずり出してはトレーの中に積み上げていく。
全部で三十を超える数の糸状虫がトレーの中へ移され、映像に映る影もあと一回の摘出で完全に消えそうなほどに小さくなっていった。
「これで、全部――」
シュユが操る鉗子が、心臓内に残っている最後の数匹を掴み、ずろりと引きずり出す。
映像に映っていた丸い影も見えなくなり、あとは心雑音の消失を確かめるだけとなった。
浅く息を吐きだし、抜き取った鉗子を置き、心雑音の確認に入ろうと聴診器へ手を伸ばす。
その瞬間。
スウォンツェの命を蝕む虫魔の影響が、最悪の形となってもたらされた。
「シュユ!」
再度、メディレニアが叫ぶ。
直後、スウォンツェを包んでいた白い淡い光が少しずつ強くなりはじめた。色も白から桃へ移り変わり、そのまま赤へ移り変わろうとしている。
「な――」
ぞわり。シュユの足元から冷気が這い上がり、背筋を駆け上がっていった。
驚愕と恐怖が全身を伝い、焦燥感を駆り立てる。
メディレニアが使ってくれている魔法は、光の強さや色によって対象の生命状態がわかるようになっている。
故に、この光の強さと色の変化が何を意味しているか――スウォンツェの生命状態がどうなているか、理解してしまった。
シュユの不安や恐怖を強く駆り立てるそれが意味するのは、もっとも恐れることだ。
「メディレニア、まさか――!」
「心停止だ!」
直後。
スウォンツェを包み込んでいる光が不気味な赤に染まった。
同時に投影されている映像の中でも、一定のリズムを刻み続けていた心臓が動きを止めた。
シュユだけでなくベアトリスも何が起きているのか、映像の変化から理解し、ひゅっと喉から短い音をたてた。
「心停止――!?」
ベアトリスが悲鳴に近い声で叫んだ瞬間、治療室の空気が変わった。
もう少しで無事に手術を終えられそうな安堵感があるものから、焦燥感を色濃く含んだ一種の冷たさや重さを感じさせるものへ。
もう少しで助けられるかもしれない命が、今度はより強く死へ向かっている現実がこの場にいる全員へ重くのしかかった。
「……駄目」
シュユの脳裏に浮かんだ景色と、目の前の現実が重なった。
ベッドに横たわり、周囲に集まった幻療士たちの努力も虚しく、死に向かっていくメディレニアの母の姿がスウォンツェに重なる。
「駄目」
あのときのシュユは、フィルアシス症に対して無力だった。
だが、今は違う。フィルアシス症について研究を重ね、治療薬となる薬や有効な術式を発見し、その術式で手術を施せるほどの技術も身に着けた。
何もできずにメディレニアの母の命を散らせてしまった幼い頃とは違う。
――なのに、同じ悲劇を繰り返すのか?
「駄目」
同じ悲劇を繰り返さないために、知識と技術を身に着けたのに。
「駄目――!」
震えそうになる手を抑え、スウォンツェの左前足を胸元に引き寄せる。
心臓がある位置に両手を重ね、指を絡めて肘を張ると、真上からその位置を圧迫した。
何度も何度も、心拍を回復させるために一定のリズムで繰り返し圧迫し続ける。
「スウォンツェ様、駄目です、どうか戻ってきてください――!」
蘇生術を行うシュユのすぐ傍でベアトリスも動く。
ベアトリスが手を伸ばし、スウォンツェの首元に触れる。
取り付けている医療具が外れてしまわないよう気をつけながら頭をわずかに動かし、頭を抱き起こすような形にすると自身の魔力の流れに意識を向けた。
ベアトリスも心肺蘇生のために治癒魔法は身につけている。心停止が起きている今、自分も蘇生に入ったほうがいいと判断した。
シュユが心臓マッサージを繰り返し、ベアトリスが治癒魔法で各種臓器に働きかけ、心肺の蘇生をサポートし続ける。
「早く……早く戻ってきて……!」
ひたすら蘇生術を繰り返し、早くも二分。
メディレニアから心停止を告げられてから、すでに二分が経過している。
心停止してから時間がかかればかかるほど心臓から各内臓や組織、そして脳へ血液と酸素が回らなくなってしまい、助かる確率がどんどん低くなってしまう。
早く、早く、早く――。
シュユとベアトリス、そして治療のサポートに入ってくれている幻療士たち、全員が同じことを強く願い続ける。
――……とくん。
さらに一分が経過しようとしていた瞬間。
重ねた手の下で、わずかな鼓動を感じた。
「……!」
蘇生術を行う手を止め、は、と顔をあげる。
壁の映像を見ると、止まっていた鼓動が確かに戻ってきていた。
スウォンツェの身体を包む光からも赤みが抜けていき、目に痛いほどの赤色から桃色へ、そして緩やかに白い光へと変化していく。
心停止を知らせる色から元の白への変化、これが意味するのは一つ。
戻ってきてくれた――!
ぶわりと心の内で、強い安堵と歓喜が膨れ上がる。
思わず気が緩みそうになるが、すかさず立て直し、シュユは今度こそ聴診器を手に取った。
「ピスタシェ様、おつらいと思いますが、そのまま治癒魔法の維持をお願いします。無事に心拍復帰しましたが、念には念を入れたいので」
「問題ありません。私もそのつもりでしたから」
ああ、なんだ。同じことを考えていたのか。
言葉をあまり交わしていなかったのに、思考がリンクしていたのかと思わず口元が緩みそうになる。
スウォンツェの蘇生に集中している間も、ベアトリスはベアトリスで判断し、治癒魔法でサポートに入ってくれていた。
この人をサポート役に選んでよかった――強く思いながら、シュユは聴診器のイヤーピースを両耳に当てた。
次にチェストピースをスウォンツェの心臓の上に当てる。
目を閉じ、聞こえてくる心臓の音に意識を集中させた。
心臓からは――なんの異音もしない。
「……心雑音は聞こえません」
壁に投影された映像も確認する。
右心室に居座っていた丸い影は完全に消え去っており、異常はどこにも見当たらない。
つまり。
「……全ての糸状虫の摘出に成功しました!」
聴診器を外し、シュユはわずかに喜びを滲ませた声で告げた。
瞬間、治療室を満たしていた空気から重さが消え、強い歓喜の色で満たされていく。
ベアトリスもようやくわずかに表情を緩ませ、抱きかかえていたスウォンツェの頭をそっと手術台に寝かせて治癒魔法の使用を中断した。
「ピスタシェ様、閉創処置へ移ります。針と糸を」
「はい」
ベアトリスが縫合針と縫合糸をのせたトレーを手に取り、シュユへ差し出した。
それを受け取ったシュユが手早く縫合針へ糸を通し、頚静脈を素早く縫合する。次に皮下組織を縫い合わせ、最後に皮膚も縫い合わせて縫合処置を完了した。
最後に消毒薬で縫合創の消毒を済ませ、保護テープで傷を保護し、シュユは今度こそ表情を緩ませた。
「術式完了。……皆様、お疲れ様でした」
シュユの声が治療室の空気を震わせた直後、歓喜の渦が巻き起こる。
白を身にまとった令嬢の手によって、一つの命が救われた瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます