第二話 命を蝕む病
2-1
「では、お前も治療法がわからないというのか!?」
「申し訳ありません、侯爵様。さまざまな治療法を試しましたが、どれも効果が期待できず……」
「凄腕の幻療士というから期待していたというのに……! もういい、下がれ!」
あら、ずいぶんと荒れてらっしゃる。
口元に手を当て、目を丸くしながら聞こえてきた声へ耳を傾ける。
ジェビネに連れられ、ブルークラリス侯爵邸へやってきたシュユが最初に思ったのはそれだった。
「……侯爵様、相当荒れてらっしゃいますね……」
「……最近はずっとこのような調子です。この間もパートナーが苦しんでいるのだとお考えになり、焦っておられるのだとは思いますが……」
主君がここまで荒れているとなると、働いている使用人や仕えている騎士たちも気が休まらないだろうな――。
思っていたよりもずっと殺伐した空気を感じながら、シュユは己がここへやってきた経緯を改めて思い返した。
シュユがジェビネからの依頼を引き受けたあと、一刻でも早く診てもらいたいからと口にして、彼はシュユをブルークラリス侯爵邸へ案内した。
はじめて足を踏み入れるブルークラリス侯爵邸は、大きく豪奢な門が印象的な屋敷だった。
海を思わせるような青い屋根が特徴的な屋敷は、外観からでも広いとわかるほど大きい。
正門から敷地内へ足を踏み入れれば、綺麗に整えられた花壇やトピアリーが来訪客を出迎え、華やかな気持ちにさせる。
屋敷の中も落ち着いた雰囲気の調度品でまとめられており、その中に鎧をはじめとした武具がちらほらと飾られている。実に武術の家門らしい。
外も中も豪奢な雰囲気を感じさせ、ブルークラリスという家門がいかに強い力を持っているか、物語っているかのようだ。
しかし、屋敷内を満たす空気は華やかさとは程遠く、ひどく重い。屋敷の主がどのような心情で過ごしているのか、なんとなく感じ取れた。
わずかに緊張しながらジェビネに案内されるまま、応接室と思われる部屋の前までやってきたところで――誰かと言葉を交わす声を聞いたのだ。
「……どうしましょう。お客様とお話中なら、わたしは出直したほうがよろしいのでは……」
「いえ、聞こえてきた侯爵様のお声からして、診察が終わったあとのようですし……少し待っていれば入れ違いで侯爵様の下へお連れできると思うのですが……」
閉ざされた扉の前でひそひそと声を潜めて囁きあう。
応接室に繋がっていると思われる扉の向こう側からは、苛立ちを隠しもしない男性の声と、萎縮しきった若い男性の声が聞こえてきている。
どさりと乱暴にソファーに座ったような音も聞こえ、シュユは思わず口元に苦笑いを浮かべた。
室内の状況ははっきり見えていないため、一体どのような状況になっているかわからない。
しかし、萎縮しきった声の主が苦々しい顔をしているであろうことは簡単に想像がついた。
「……失礼します」
萎縮した声が再度、扉の向こう側から聞こえてくる。
こちらに近づいてくる足音も聞こえた瞬間、ジェビネがシュユの前に腕を出し、背後へ誘導した。
彼の誘導に大人しく従って背後に回った次の瞬間、閉ざされていた扉が開き、すっかり顔を曇らせた若い男性が一人出てきた。
男性はシュユとジェビネに気づくと軽く会釈をし、落ち込んだ足取りで玄関に向かって歩き去っていく。
小さくなっていく男性の背中を見送ったのち、ジェビネが扉の向こう側――応接室へ目を向けて口を開いた。
「侯爵様。騎士、ムーンシャイン。ただいま戻りました」
ジェビネがそういった瞬間、応接室の中にいる男性の視線がこちらへ向くのを感じた。
そっとジェビネの背後から顔を出し、相手の様子を伺う。
落ち着いた雰囲気でまとめられた応接室で、一人の男性がソファーに腰かけた状態でこちらを見ている。
雪を思わせる銀糸の長髪。
鋭い眼光を宿したアメジスト色の目。
黒いシャツに黒いスラックスを身にまとい、白をベースに所々青色を使ったジャケットを身にまとい、丈が長いペリースも身に着けた姿は気品と威圧感を見る者に同時に与えた。
見ただけでわかる。
彼こそが、ブルークラリス侯爵。武の道を歩む家門の現当主であり、シュユと同じく神獣に縁のある家に生まれた者。
はじめて目にするその姿を視界に入れた瞬間、シュユは己の背筋がしゃんと伸びるのを感じた。
「……戻ったか、ジェビネ」
ジェビネが呼びかけてから数拍ほど間が空いたのち、低い声が空気を震わせた。
「命令を出してから戻ってくるまで、ずいぶんと時間がかかったな」
「申し訳ありません。新たな幻療士の方を見つけ出すまで、少々手間取ってしまいました」
「いい。俺もそのことはきちんと理解しているつもりだ」
……理解はしているが、感情が追いついていないのだろう。
発する言葉とは裏腹に侯爵の声には焦りや苛立ちが入り混じっており、余裕は一切感じられない。
深く息を吐き出し、ブルークラリス侯爵がジェビネへ問う。
「……それで、新たな幻療士は見つかったのか?」
「そのことですが、侯爵様。町の外からやってきたという幻療士の方を一人、お連れしました」
シュユの心臓が一度だけ大きく跳ねた。
侯爵とジェビネ、二人の話題がシュユへ向いた瞬間、飲み込んでいた緊張が急速に膨れ上がってくる。
静かに数回ほど深呼吸を繰り返し、己を落ち着かせようとしている間にも、侯爵とジェビネの会話は続く。
「町の外からだと? ……旅人か?」
「はい。カフェを経営している店主殿が連れている妖精犬が体調を崩すという出来事があったのですが、迷わずに妖精犬の様子を確認し、どのような病なのかを素早く判断したうえで応急処置を施していました。信頼できる腕の持ち主だと思います」
「……なるほど。それが、お前とともにいるレディか」
きろり。侯爵の目がはっきりとシュユへ向けられた。
氷を思わせる冷たい視線に射抜かれ、びくりとわずかに肩が揺れる。反射的に後ろへ下がってしまいそうになったが、シュユの足が動くよりも早く、傍にいたメディレニアがシュユの足を踏んできた。
たったそれだけだが、威圧され、逃げてしまいそうになったシュユの気を取り直させるには十分だ。
「……ありがとうございます、メディレニア」
「気にするな」
小さな声で短く言葉を交わし、シュユはメディレニアとともにジェビネの背後から出て、侯爵の前に姿を見せた。
流れるような動きで片足を動かし、斜め後ろの内側へ引く。両手で身にまとうドレスのスカートをわずかに持ち上げ、頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ロード・セティフラム。わたしはシュユ・エデンガーデン・ルミナバウム、エデンガーデン辺境伯家の第二子でございます。足元で控えている一角狼はわたしのパートナーであるメディレニア。このたび、ムーンシャイン様からお話を聞き、閣下の下へ参りました」
頭を下げたままシュユが何者であるか名乗った瞬間、侯爵がわずかに驚いたような気配を感じた。
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