1-5
「――領主様の幻獣の治療ですか?」
「はい」
首をわずかに傾げ、相手が発した言葉を復唱する。
騎士はそんなシュユへ頷いてみせ、聞き間違いでもなんでもなく、確かにそう言葉を紡いだのだと肯定した。
己の主が連れている幻獣の治療を依頼したい。
騎士がそう声をかけてきてから今。シュユ一人だけだったテラス席には、声をかけてきた騎士も座っていた。
互いの顔が見えるよう向かい合って座っているため、年頃の男女の逢瀬にも見える。
だが、二人の顔は真剣そのもので、逢瀬で愛を語らう男女が見せるものとは程遠い。その表情が逢瀬ではなく別の何かなのだと物語っていた。
「まずは、改めて突然声をおかけした無礼をお許しください。私はジェビネ・ムーンシャイン。セティフラムを治める主に仕える騎士の一人です」
ジェビネ――騎士はそう名乗り、改めて深々と頭を下げた。
彼の手元には水が入ったグラス、シュユの手元にはマスターがお礼と称してサービスしてくれた温かな紅茶がある。喉が渇いたらすぐに喉を潤わせられることができ、飲み物が完全になくなるまでの間は話し込める状態が整っている。
緊張をごまかすために手元のグラスを傾け、軽く喉を潤わせてから、騎士は言葉を続ける。
「ホワイトレディ。あなたは、現在この町を襲っている病についてご存知でしょうか」
真剣そのものといえる声色でそういったジェビネへ、シュユは頷く。
「先ほどマスターさんとお話した際に、少しだけお聞きしました。なんでも、犬の姿をした幻獣のみがかかる正体不明の病が流行しているのだとか」
ジェビネが、ならば話が早いと言いたげに一つ頷き返した。
「レディのおっしゃるとおり、現在この地には一つの病が蔓延しています。それも、犬型の幻獣のみがかかる奇妙な病が」
そう前置きをし、ジェビネは語る。
セティフラム領を襲っている正体不明の病がどのようなものなのかを。
「……はじめてこの病が確認されたのは、花の季節から青葉の季節へ――春から夏へ移り変わる頃。領内で幻獣が急死するという報告が相次いだことがきっかけでした」
「幻獣の急死……ですか」
「はい。我が主――ブルークラリス侯爵様は、その報告を受けて即座に調査を命じられました。幻獣たちが急死した原因が人間にあるのなら、放置するわけにはいかないと」
家名を聞いた瞬間、シュユはほんのわずかに目を丸くした。
シュユの足元でマスターからサービスしてもらったミックスグリルを頬張っていたメディレニアも、耳を一度だけ動かしてからちらりとジェビネを見る。
ブルークラリス家。武を司るといわれ、武術に長けた者を多く排出してきた侯爵家だ。
まだ神獣たちが生きていた時代、神獣にパートナーとして選ばれた者の一人が先祖だといわれており、神獣の加護が宿る大地を代々守り続けてきた家門の一つでもある。
同じ神獣の大地を守る貴族の一員として、ブルークラリス侯爵家の存在は知っていた――知っていたが、ブルークラリス家の人間は社交界にほとんど姿を見せたことがなく、一度も会ったことはない。
――そうだ、そうだった。ブルークラリス侯爵閣下は、星炎の神獣とご縁があるお方だったとお母様がおっしゃっていた。
内心少し驚いているシュユの目の前で、騎士がさらに言葉を続ける。
「調査を続けて明らかになったのは、犬型の幻獣のみが急死していること。急死した幻獣は皆、同じ症状を発症していること。これらの調査結果から、侯爵様は特定の幻獣がかかる致死性が高い感染症が発生していると判断されました」
「そうですね……。急死した幻獣たちが全て同じ症状を発症しているのであれば、そのように考えるでしょう」
「ええ。……ところが、調査が順調だったのはここまででした」
ジェビネが一度言葉を切り、深いため息をこぼした。
真っ直ぐにシュユを見つめていた目は物憂げに曇り、真剣だった表情が苦々しいものへ移り変わる。
彼の心情は声にも現れ、覇気のない落ち込んだ声が喉から発された。
「侯爵様は感染症の正体解明のため、すぐに幻療士へ病の調査を命じられました。しかし、具体的な病名は不明のまま。ならば原因から特定しようとしても、その原因もはっきりしない。お抱えの幻療士だけでなく町中の幻療士に話を聞いても、何も得られるものはありませんでした」
「……」
「……侯爵様は……我が主君は、それでも領民のためにと諦めず調査を続けました。ですが、いたずらに時間のみが過ぎ去っていくばかりで……病の正体は掴めないまま、ついに侯爵様のパートナーである幻獣までもが……」
シュユの脳裏に、先ほど聞いたマスターの言葉がよみがえる。
『そういえば、最近は幻療士を町でよく見かける気がするな』
あの言葉を耳にしたとき、シュユは領主が病の調査のために幻療士を招集しているのだと予想をつけた。
しかし、事態はシュユが予想していたよりもうんと深刻だ。
セティフラム領を襲っている致死性が高い病――領民だけでなく、領主のパートナーまでもがその病に冒されているなんて。
「……先ほど、マスターさんは町で幻療士をよく見かける気がするとおっしゃっておりました。もしや、町で見かける幻療士の数が増えたのは……領主様のパートナーの治療のために?」
「そのとおりです。町中の幻療士を集めても病の正体が明らかにならなかったため、町の外にいる幻療士の方々にも来ていただいているのが現状です。……これまで大勢の方々に来ていただきましたが、病の正体はやはり明らかになっていません」
ぐ、とシュユの顔も苦く歪む。
神獣の大地を守る名家の当主が連れている幻獣たちは、神獣の血を色濃く受け継いで生まれてきたといわれている幻獣たちだ。
かつて領地へ加護を与えた神獣たちと深い繋がりがあるといわれており、彼ら彼女らが失われてしまえば最悪の場合、領地の管理に――大地に宿る加護に何らかの悪影響が発生すると考えられてきた。
本当なのかはわからないが、もし本当だとしたらセティフラムの未来は明るいものではなくなってしまう。
「……病の正体が明らかになっていないということは、今も領主様のパートナーの具合は悪いままなのでしょうか」
温かな紅茶を口に運び、問う。
これまでの情報を整理すれば、どのような状態なのかは大体予想ができる。
だが、予想と現実は食い違う場合がある。大体こうだろうと予想できていても、実際には異なる結果だったというパターンもたびたびある。
予想ができていても、念には念を入れて情報を確認してから判断せよ。
治療の場において、思い込みで判断するのは危険だ。症状が一つ二つ一致した程度であの病であると決めつけず、大体予想ができても合っているかどうか、念入りに確認せよ。
幻獣の病や薬について学んでいた頃、父はシュユへそう教えてくれた。あの教えは、シュユの中で非常に大きな声として根付いている。
シュユの確認の言葉に、ジェビネは苦い顔のまま、静かに頷いた。
「……今も有名な幻療士の方々を屋敷へ呼んでは診てもらっていますが、状況に変化はありません。主君も焦りからか、最近は余裕がなさそうで……」
「……なるほど。だから、わたしにあのような依頼を」
「はい。旅の幻療士であるレディなら、私たちが知らない病も知っているかもしれないと思ったのです」
領内の幻療士に治療を依頼しても良い結果を得られなかったから、領外の人間に助けを求めようと考えた――なるほど、シュユへ治療の依頼をした背景は見えてきた。
もし、シュユも同じ立場なら外からやってきた幻療士に助けを求めようと考えただろう。
一つ頷き、シュユは手元のティーカップをソーサーの上に置いた。
「事情はわかりました。しかし、よろしいのですか? 領主様のパートナーという、とても大切な子を出会って数分のわたしに……それも、この町に来て間もない旅の幻療士に任せたりして」
それほど追い詰められているということなのかもしれないが。
確認するかのように問いかけたシュユへ、ジェビネは再度グラスを傾けてから答えた。
「確かに少々迷いましたが、領内の幻療士の力を借りようとして手詰まりになったのです。もう人を選んでいる余裕はないと考えました」
それに、と。
一言前置きをし、ジェビネが唇をわずかに持ち上げる。
「処置をしている間、レディは妖精犬にも店主殿にも一生懸命に向き合っているように感じました。幻獣にも人間にも一生懸命に向き合える人なら、信頼できるかもしれないと考えたのです」
「それが、わたしに依頼をしようと思った理由ですか?」
「はい。……どうかお願いします、レディ。主君の大切なパートナーを救うため、力を貸してはくれませんか?」
ジェビネの真剣な目がこちらを見つめてくる。
ここまで真っ直ぐに言葉を向けられると、シュユの中で断るという選択肢はなくなる。
それに、シュユもセティフラム領を襲っている病について詳しく知りたいと思っていたところだった。
――だから、シュユ・エデンガーデン・ルミナバウムに今回の依頼を断るという選択肢はない。
「……わかりました」
はつり。答えを口にし、シュユは口元を緩ませる。
「わたしがどこまでお力になれるかわかりませんが、その依頼、引き受けさせていただきます」
シュユがそう言葉を発した瞬間、ジェビネの目に安堵が滲む。
彼から不安が消え去り、安堵と歓喜の色で満たされるまで、そう時間はかからなかった。
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