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 周囲に集まっていた人々も散り散りになり、何人かは応急処置をしてみせたシュユとメディレニアへ称賛の言葉や拍手を送る。

 小さく会釈を返し、シュユも自身が使っていた席に戻ると、すっかり冷めてしまった紅茶を口に運んだ。

 冷めてしまってもなお美味しく感じられる紅茶の味をじっくり楽しんだのち、シュユは浅く息を吐いた。


「……少々大変そうな時期にお邪魔してしまったのかもしれませんね、わたしたちは」


 小さな声でこぼしたのはシュユの本心だ。

 ルミナバウムと同じく、神獣の加護が色濃く残る地――多くの人々が集まる地と聞いて足を運んだが、正体不明の病が蔓延しているとは。

 混乱にある中だったとは、少々予想外だった。

 もう一度ため息をついた瞬間、シュユの足元で伏せていたメディレニアがわずかに耳を動かしてから、ちらりとシュユを見上げた。


「……でも、だからといって滞在は中止しないんだろ、シュユ」

「ええ、もちろん」


 相棒に即答し、シュユは手に持っていたティーカップをソーサーの上に戻した。

 ナイフとフォークを手に取り、紅茶と一緒に注文していたオープンサンドを食べやすい大きさに切り分けて口へ運ぶ。

 程よく焼かれたパンが持つ小麦の甘み、リーフレタスのシャキシャキした食感、分厚くスライスされたカリカリのベーコンの力強い旨味、そして半熟のスクランブルエッグのまろやかさ――パンと具材が発揮する美味しさをじっくり味わってからシュユはメディレニアへ答える。


「……人が多く集まるということは、わたしたちが治すべき病に関する情報が多く集まってくる可能性がある。その中には、わたしたちが治療して回らなければならないあの病に関する情報もあるかもしれませんから」


 わずかに目を細め、思い出す。

 数年前、ルミナバウム領を襲った感染症――今は病魔災害という名称をつけられた大事件。


「あの事件が、今度は他領で起きないようにするのだと、わたしはあなたのお母様に――先代の星樹様に誓いましたもの」

「……」


 小さく呟くように、シュユの唇から言葉がこぼれ落ちる。

 メディレニアも当時のことを思い出したのか、わずかに目を伏せ、耳も一緒に伏せた。

 少しだけ重たくなってしまった空気の中、気を取り直すため、シュユはオープンサンドをもう一口切り分ける。

 それを口に運び、咀嚼し、飲み込んだ――ちょうどそのときだった。


 こつり。


 ふいに。

 ふいに町の喧騒に紛れ、第三者の靴音が聞こえた。

 大勢の人の声や町の音にかき消されてしまってもおかしくないのに、不思議とはっきり聞こえた。

 食事の手を止め、シュユは耳をすませる。

 聞こえた足音はまるで己の存在を主張するかのように、かつりこつりと音をたて、こちらえへ近づいてきている。

 気のせいではない――そう判断し、顔をあげようとした。

 直後。


「お食事中のところ申し訳ありません、レディ。少々お時間よろしいでしょうか」


 シュユが顔をあげるよりも早く、落ち着いた青年の声が鼓膜を震わせた。

 メディレニアが耳をわずかに動かし、身体を起こす。シュユの足元で伏せた姿勢から座った姿勢に移り、声の主を見上げた。

 相棒と動きを合わせるかのように、シュユもゆっくりと顔をあげる。

 そして、相手の目を真っ直ぐに見上げ、ふわりと柔らかく微笑んでみせた。


「ごきげんよう、シルバーグレーの騎士様」


 見上げた先に見えたのは、一人の青年の顔だ。

 灰色がかった白髪に濃い灰色の目をしている。異国の出なのだろうか、褐色の肌を持っていることもあり、どことなくエキゾチックな雰囲気の持ち主だ。程よく鍛えられていると思われる身体は暗い色合いでまとめられた騎士の制服に身を包んでおり、腰に差した剣が彼の職業をはっきり告げていた。


 彼は騎士だ。

 主に仕え、主と領地を守るために剣を取った――武の道を歩む人間だ。

 シュユの笑みに釣られるかのように騎士も薄く笑みを浮かべる。


「ごきげんよう、異境のレディ。お食事中のところ、突然声をかける無礼をどうかお許しください」


 そういって、騎士は片膝をテラスの床につけ、片手を胸に当てて深々と頭を下げた。

 シュユよりも高い位置にあった頭が下がり、小柄なシュユでも簡単に見下ろせた。

 浮かべた笑みを崩さず、シュユは言葉を返す。


「いいえ、どうかお気になさらず。何かご用事があって声をかけられたのでしょう?」


 一体何の用があって声をかけてきたのか。

 わずかに首を傾げ、問いかける。

 すると、騎士はゆるりとした動きで顔をあげると、シュユの目を真っ直ぐに見つめてきた。

 少しの間を置き、騎士の唇が静かに開かれる。


「……先ほど、店主殿の妖精犬に処置を施しているところを拝見しました。迷いのない判断と素早い処置、大変素晴らしい手腕でした。『白衣ホワイト令嬢レディ』と呼ばれ、人々の間で噂がささやかれるのも納得です」

「あら……そこまで褒められると照れてしまいますね。ですが、わたしの腕もまだまだ未熟です。多くの経験を積んだ名医の方々や現場で活躍し続ける方々に比べると、至らない点もまだ多いでしょう」


 だが、褒められるのは純粋に嬉しいし、自分の腕を高く評価してくれている人々がいるというのは非常にありがたい。

 胸の奥からじわじわと照れくささがあがり、シュユの口元を緩ませる。

 けれど、シュユが緩んだ表情をできるのもそこまでだ。


「……レディの腕を見込み、少々お願いしたいことがございます。あなたのお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 静かな声色と真面目な表情で、目の前の騎士がそういったから。

 和やかな空気がかき消え、かわりに少しの緊張感を含んだ空気が二人の間へ広がっていく。

 無言で続きの言葉を待つシュユへ向け、騎士ははっきりとした声色で告げた。


「レディには、我が主のパートナーである幻獣の治療をお願いしたいのです」

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