1-3
「他の町から来てくれた旅人さんにあまり聞かせる話ではないかもしれませんが……。最近妙な病気が流行ってるんですよ」
「妙な病」
不思議そうな声色で復唱したシュユに対し、マスターがもう一度頷く。
「犬のような姿をした幻獣だけがかかる病気なんですよ。一度かかると最後には必ず命を落とすほど危険性が高いのに、どうしてかかるのか理由もわからなければ治療法もわからない――そういう病気なんですよ。かかったら最後の不治の病っていわれて、みんな不安がってるんです」
彼の言葉を耳にした瞬間、シュユの中でぴんときた。
「……なるほど。実は、セティフラム領に来てから違和感というか、活気がある町のはずなのにどことなく空気が重いと感じていたのですが……そのような病が流行っているからだったのですね」
そういって、シュユは町の景色へ目を向けた。
多くの店をはじめとした建物が並び、さまざまな人が相棒である幻獣を連れて行き来しており、賑やかさが感じられる。
だが、シュユはこの町へやってきてから、ずっと違和感を覚えていた。
「……わたしは、以前滞在していた場所で、この町はセティフラム領を代表する町らしい明るく活気のある空気に満ちた町だと聞いていました」
そう。シュユはこの町について、事前にそのような場所なのだと聞いていた。
ところが、実際の町は話に聞いていた姿と大きく異なる。
「……ですが、実際に目にした様子は、話で聞いていたものとは少し違うように感じられて……。どうしてなのかとずっと疑問だったのですが……」
マスターに話したとおり、活気がある町のはずなのに――どこか空気が重い。みんな心から笑っているというより、無理に笑っているように見えた。
感じられる空気も活気に満ちた町というには遠く、不安や何らかの病が蔓延しているときの空気に近い。
一体どうしてだろうと内心疑問に思っていたが、正体不明の病が流行しているという背景を知った今なら納得できる。
つぃ、とシュユがマスターへ視線を戻せば、苦笑いを浮かべた彼の姿が目に映った。
「例の病気のせいですね、それは。昔はもっと元気な町だったんですよ。でも、いつ自分の相棒が例の病気にかかるか……って考えたら、やっぱり不安でしてね……。笑って過ごしてる人も多いですが、内心ではほとんどの人が不安でいっぱいですよ」
正体不明、原因不明、さらには治療法もわからない。
一度かかってしまったら治せるかどうかもわからない、致死率が高い病――なるほど、そんなものが流行したら町全体に不安が広がって当然だ。
セティフラム領の全てを見て回ったわけではないが、町一つだけでなく、すでに領地全体に不安が広がっている可能性だって考えられる。
口元に手を当て、シュユはぽつりと呟くように問う。
「……セティフラムの領主様はなんと?」
この町の状況を知り、脳裏に浮かんだのは領主の存在だ。
ここはセティフラム領。青い血を持つ高貴な一族が治める地だ。
領地を持つ貴族たちの中には、かつて危機に瀕した人間たちを救い、守った最初の幻獣――今では神獣と呼ばれる聖なる生き物たちの加護が色濃く残る地を治め続けている者たちがいる。
シュユが生まれ育ったルミナバウム領もそういった領地の一つであり、セティフラム領も同じく神獣の加護が宿る地だ。ならば、エデンガーデン辺境伯家と同じく神獣の地を守る名家が管理しているはずだ。
名のある家門が領地で起きている異常事態を放置しているわけではないと思うのだけれど――。
考えるシュユへ、マスターは不思議そうな顔をしつつも答える。
「領主様ですか? 領主様も調査を進めてくれているそうですが、いまだに原因はわからず……」
「……そうですか」
はつり。呟くように返事をする。
この事態が領主の耳に入り、領主も調査を進めているのなら土地の管理を怠っているわけではなさそうだ。
同じ神獣の地を守る名家が異常事態を放置しているのだとしたら――と最悪の想像を一瞬だけしてしまったが、その心配はなさそうだ。
ほっとシュユが胸をなでおろしたとき、ふとマスターが思い出したかのような声量でつぶやいた。
「そういえば、最近は幻療士を町でよく見かける気がするな……」
「……? そうなんですか?」
「はい。大体みんな領主様に呼ばれたのだとおっしゃっていましたが……もしかして、ホワイトレディも領主様に呼ばれて?」
「あ、いえ……。わたしはそういうわけではないのですが……」
シュユは流れの旅の中でここへやってきただけだ、領主に呼ばれたわけではない。
けれど、多くの幻療士が領主に呼ばれてセティフラム領へ来ているというのは少々気になる。
これまでの話の中で得た情報を材料に考えると、おそらく領地に蔓延している病の調査のために招集をかけているのだろう。
領主が幻療士たちを集めるようになってからどれくらいの時間が経っているのかわからないが――結構な時間が経っているのだとしたら、調査の進捗はあまり良くないのかもしれない。
幻療士の一人として、例の病がどのようなものなのか少し気になる。
だが、何が起きているのか詳細に知りたくても、町で暮らしている人々の耳に届く情報はどうしても限られている。彼ら彼女らから得られる情報だけで状況を詳細に把握するのは限界がある。
マスターたちから、これ以上聞き出すのは難しいかも。
そう結論を出すと、シュユはふわりと柔らかく笑ってみせた。
「ありがとうございます、お話してくれて。わたしも滞在している間は気をつけたいと思います。このとおり、わたしの相棒は犬の姿をした幻獣ですから」
シュユの手がメディレニアの頭を優しく撫でる。
その様子を微笑ましそうな目で眺めながら、マスターがゆったりと頷いた。
「いいや、こちらこそ恩人に不安になるような話を聞かせてしまい、申し訳ない」
「興味を持ったのはわたしのほうですから、どうかお気になさらず」
柔らかな笑顔を保ったまま、シュユは首を左右に振った。
けれど、マスターはどこか申し訳なさそうに苦笑いを浮かべたままだ。
話題を変えるため、シュユはぱんと胸の前で両手を叩き、さも今思い出しましたというような声色で言葉を紡いだ。
「ああ、そうだ。ロッティちゃんにお願いしているお仕事があるかと思いますが、今日からしばらくの間は安静に過ごさせてあげてくださいね」
その言葉に、マスターがはっとした顔をした。
「それはもちろんです、相棒に無理をさせるわけにはいきませんから! 本当にありがとうございました、このご恩は決して忘れません!」
最後に深々と頭を下げてそういうと、マスターは妖精犬を連れて店の奥へ向かっていった。
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