研究所

「こちらが現在の姿です。投薬は二日前、意識層の変化並びに記憶の残存についてを主軸に・・・」

 産院で見る赤ん坊と大差なく見えるが、眠っている透明のケースのようなベビーベッドの頭上には「9y2m」と明記されている。

「若返りも老化と同様十歳程度になります。」

 九歳などほんの子供じゃないか。腹の内側に痒みがせり上がり、思わず深く眉間に皺が寄る。

「当施設内の管理下における自然治癒状態での身体機能の回復期間は、乳幼児化したケースですと、三箇月が、平均値です。」

「そのため島の復興も三ヶ月を目安にしてもらいたいのですよ。」

 被験者についてのレクチャーを担当していた滑らかなアルトの音色に替わり、固く嗄れた声が隣で発せられた。

 年老いた白衣の男は、細縁の眼鏡をかけた作業着の男を手招くと、

「現地での段取りはこのポルトから説明させましょう。先行して一年程住んでいましたから、何でも訊いてやってください。島でのあなたの行動は全てこのポルトがサポートします。」

 中肉中背に見えた作業着の中身は筋肉らしく、ポルトはしっかりと腕を上げて握手を交わした。

 手渡された資料を壁に向かって展開する。ボリュームのあるデータ類は美しくまとめられ、沢山の映像が添付されていた。島民に関する基礎データの補完用に撮られた、生活の写真が主な様だ。

 皆、ポルトに好意を持っているのだろう、老若男女誰も彼もがこちらへ柔和に微笑みかけてくる。

 この研究所を出れば島へ移り、まずは六ヶ月間の事前準備に就く。

 業務は事前調査のみならず多岐に渡っている。

 全島民の身体能力、思考能力、性格についての報告。

 地形や風土の把握と、津波に対応する下地作り。

 朱の津波と青紫の津波の出現を、天変地異によるものとする伝聞を広めること。

 津波。

 島での投薬は個別ではない。無差別に襲い掛かる色鮮やかな津波によって行われるのだ。

 朱色は老化、青紫は若年化。

 波の上にジェル状の薬品を浮かべて津波を起こす。人間を飲み込んだジェルの波は、薬品が人体に取り込まれると透明に変色する。その段階になれば触れても問題はない。

 一見、被験対象が無作為のようだが、人選はなされており、ピックアップされた対象者を津波に襲わせることも任務の一つとなっている。

 そして最も肝要なことは、津波が複数回に渡り引き起こされるということだ。

 数多作られる津波は通常の海水の津波だ。

 島に襲い掛かる津波に対して、心身共に健全な状態の場合・老年化した場合・幼児化した場合で、同一人物の思考や行動、身体能力がいかに変化するのかを調べ、研究所へ報告するのだ。また、研究所外の自然に囲まれた環境下における薬効や、自然治癒の経過観察も重要とされている。

 ポルトの差し出した島民の写真をスライドさせていると、水族館を思わせる大きなガラス越しに赤ん坊が泣き出した。

 画像の中から子供たちの歓声が流れてきて、昼間の空にポッカリと白い月が浮かぶムービーが再生された。

 月の横に小さく光る人工衛星のようなものがズームアップされる。

「この点滅が、ジェルへ指示を出している状態です。島の全方角より肉眼で見えることを確認済みです。」

 月に程近く明滅するライトは、ジェル状の波によく似た朱色に発光していた。

 最後の一枚は、人気の無い静かな村の家並みだった。

 島民は毎朝、家の周囲を掃き掃除するそうだ。真っ白な道には南国の大輪の花が一つ落ちるばかりだ。

 白く美しい家々も濁流に覆われることになるだろう。そして、数ヶ月をかけて立て直した後、再び戦うのだ、津波の襲来と。

 彼らが大波から逃げ惑う日々まで、残時間はわずか半年となった。

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波動 @yurar_a

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