奇跡のサクラが枯れたのは

霞(@tera1012)

奇跡のサクラが枯れたのは

「由々しき事態だ」


 所長の、良く動く白い髭を眺めながら、俺はあくびをかみ殺していた。


「魔力研究所始まって以来の危機と言っても良い。我々の研究成果の結晶である『エッセンス』の信頼度が揺らいでおるのだ」

「……はあ……」


 俺は所長の濁った、しかしギラギラと異様に強い光を帯びた瞳を眺める。

 いまさら、この研究所の信頼度がどうなろうと、大多数の研究員にとっては、どうでもよい話だ。研究所の権威が失墜して困るのは、この所長のような、成果物を商品化して利益を得ている、既得権益を持つ側の少数の人間たちだけだろう。


 この国、ザランド王国において『魔力研究所』と長く主導権を争ってきた、『魔術師連合』はすでに無い。権謀術数を弄し、その弱体化を進めついには崩壊に至らしめたのは、目の前の狸たち、魔力研究所の幹部連中である。

 そのおかげで、この国での魔法関連の仕事はこの20年間、魔力研究所の寡占状態となっている。今更、多少の信頼がどうこうなどで余計な労力を費やすモチベーションなど、若手には皆無である。


 しかし、残念ながら今の俺は、所長の言いつけを受け流せる立場ではなかった。俺には、「魔術不審事解決係」という、非常に厄介な肩書がついている。


「『奇跡のサクラ』が、枯れた……」


 苦虫をかみつぶしたような顔で、所長が首肯する。


「数年前、我々の研究所が、国王よりのたっての依頼で、『不老不死のエッセンス』を使用した、サクラの木だ。万に一つも、その木が枯れるなど、あってはならないし、あり得ない」

「まあでも、枯れて見えるだけかもしれないですし、まずは……」


 さすがに、不老不死のエッセンスを使用した生物が、完全に命尽きるとは信じがたい。言いかけた俺の言葉を、所長の言葉が遮った。


「いや、すでに樹木医に鑑定を依頼した。その見立てによると、サクラの木は、間違いなく枯れている。しかも、サクラが花を咲かせず立ち枯れが明らかとなった時期の直前まで、何らかの魔術の介入の痕跡があるというのだ。万万が一にも、エッセンスの効力が魔術師の奴らによって破られた、と言うような風評が広がってみろ……」


 所長の瞳には、ありありと焦燥が見て取れる。俺は多少の同情を込めて、その目を見やった。

 この人たちは、未だに、自らの手で葬り去った魔術師の幻影に怯えているのだ。20年の時を経て、なお。


 魔術大国として名をはせたこの国から魔術師が消えたのは20年前のことだ。その数年前に開発された、使い手に魔力がなくとも魔術の効果を再現することができる、『エッセンス』がその変革の契機だった。


 そもそも魔力とは、人の手では成すことのできない様々な事象を起こすことができる貴重な力である。それらの力を身の内より発し、操ることができる希少な人間、それが魔術師だ。その育成及び人材管理を担う魔術師連合は、長くこの国で隠然たる力を誇ってきた。


 その魔力の、効果のみを抽出したものが『エッセンス』である。その安全性と利便性の高さは革命的だった。魔術を出し渋る、厄介な性格の魔術師をなだめすかさなくとも、いついかなる時でも、魔力の恩恵を得られる。それに加え、ともすれば起こりがちな、人体への悪影響が全くない。術者の死亡により消える従来の魔術効果とは異なり、『エッセンス』の魔術効果は、半永久的に続くなど、まさに魔術のいいとこどりをした秘薬と言えた。


 魔術師の特権を揺るがすその秘薬の実用化に、当然ながら魔術師連合は猛反発した。数年にわたり、魔術師と魔力研究家の間では、水面下の闘争が繰り広げられた。そして、最終的に勝利を手にしたのは、魔力研究所だった。


「いくら何でも、あり得ないでしょう。『不老不死』のエッセンスは、最後の大魔術師でも唯一破れなかった、地上最強の魔術効果を持つ秘薬です。魔術師の術の継承が完全に断たれた今、その効果を破れるものは、この世に存在しない」

「その通りだ」


 所長の目が俺を見据える。


「しかし、実際にサクラは、枯れたのだ。お前に、その原因の調査と解決を命じる」


 これは、俺の人生最大の難局だ。しくじれば良くてクビ、下手をすれば、国外追放だな。俺は深いため息を押し込めながら、所長に頭を垂れた。




 『奇跡のサクラ』は、王宮の一角にあった。

 そもそもサクラは、この国には自生していない。この木は、前王の妻であるロズリーヌ前王妃が、輿入れの際に、彼女の祖国、アストワ国より持ち込んだものだった。気候風土が大きく違うこの地において、このサクラは奇跡的にも王宮の庭に根付き、30年来毎年美しい花を咲かせ、先の大戦で争った両国の戦後の関係修復、結束のシンボルとなった。


 特にこのサクラの持つ政治的意味が強くなったのは、敗戦国であったアストワ国の王族が廃され、この国、ザランド王国に実質的に併呑された後のことである。


 アストワ国は、魔術師を異端とする独自の文化を持つ、誇り高い国民性の王国であったが、先の戦争で魔術を駆使するザランド王国に敗れ、巧妙に段階的にその主権を奪われていった。

 併呑後のアストワに渦巻く不平分子の拡大を、ザランド王国は、アストワ国より嫁いできたロズリーヌ前王妃の血統と、この綺麗ごとの象徴であるサクラの木を巧みに利用して抑えて来た。

 このサクラは、ザランド王国にとって、決して枯らすことのできない『奇跡の木』だったのだ。


 しかしサクラは枯れた。

 俺はその幹に手を当てため息をつく。そして、背後を振り向いた。

 

「もう一度聞く。このサクラの木が、突然枯れた理由について、心当たりはあるか」

『……』


 花守はなもりは表情を変えなかった。俺は胸の中で軽く舌打ちをする。

 鋼人間ロボットは苦手だ。彼らは、人間に害を及ぼさず、命令には忠実に従い、決して嘘はつかない。ただし、命令者の言外の意図をくみ取ることは、意図的に徹底的に排除されている。尋問相手としては、時に非常にやりやすくもあり、やりにくくもある。今は後者だった。


「『心当たり』の定義をご教示ください」


 柔らかな人工音声が俺の問いに答えた。


「どうしてこのサクラの木が枯れたのか、原因は君に分かるか。不老不死のエッセンスを使用されたこの木が、枯れることは本来、あり得ないはずだ」

「ご質問には、お答えできません。サクラの木が枯れたことと、不老不死のエッセンスとの関係が、当方には理解しかねます」


 先ほどからこの押し問答が続いていた。

 もともと、定常業務を繰り返すことを前提に設計された鋼人間ロボットだ。尋問対象にする方が、間違っているのかもしれない。俺はしばし、サクラの木に手を当てたまま、微動だにしないその無機質な金属の塊を眺める。


 そして、ふいに理解した。

 俺は踵を返すと、次の聞き取り相手との面談の段取りをつけに、足早に王宮の建屋内へと向かった。




 老婦人は、優雅に薬草茶を含むと微笑んだ。


「嘘封じのエッセンスを使われる、と」

「失礼は重々承知しております。効果が持続するのは1時間、私とのお話の間だけですので」


 俺は、彼女の目の前に、目薬のようなエッセンスの瓶を置き、目で促した。

 彼女は軽く息をつくと、その液体を一滴、カップに垂らす。そして、もう一度カップの中身を口に含んだ。

 彼女の口元がほんのりと光を放つ。エッセンスがきちんと飲み下された証拠だった。


 王宮の別塔の最上階。この一見豪奢な監獄で、ロズリーヌ前王妃は微笑む。


「何をお聞きに、なりたいのかしら」

「『奇跡のサクラ』が、枯れました」

「……そう」


 前王妃は軽く目を見開き、つぶやいた。


「あの木には不老不死のエッセンスが使われていた。本来、枯れることはあり得ない。何が起こったのか、あなた様は、ご存じですね」

「……この塔に幽閉されて20年の私に、何ができるとおっしゃるのかしら」


 彼女は、嘘封じを恐れる様子もなく、すらすらと言葉を吐き出す。


「お話されるおつもりは、ないと」

「……」


 前王妃の瞳が愉快そうに細められる。俺はため息をついた。


「ならば、俺からお話します。この話が間違いでなければ、あなたはYesと答えなければならない。そうしなければ、あなたの口にした嘘封じのエッセンスが、その嘘を暴くでしょう」

「……分かりましたわ」


 にこりと老婦人が答える。どちらかと言うと、ワクワクしているように見える。20年、人との接触が絶たれると、人間とはこれほど無邪気に齢を取れるものなのだろうか。

 俺は、彼女の表情の変化を見逃すまいと、その顔に目を据えたまま、話し始める。

 

 20年前、魔術師連合と魔力研究所の権力争いは、あっけなくそして意外な形で幕切れを迎えた。当時の魔術師連合の長、希代の大魔術師と謳われたベルナール師は、『エッセンス』作成の核となる研究者を祖国から王国に引き連れて来た前王妃を深く恨み、その暗殺を企てた。

 暗殺は未遂に終わり、ベルナールは捕えられ、魔力を封じられ幽閉された。この不祥事により、弱体化していた魔術師連合は最後の求心力を失い、一気に崩壊した。

 

 ロズリーヌは一命をとりとめたが、秘密裏に祖国の研究者を魔力研究所に引き入れさせた咎により、身柄を北の塔に移され、そこで軟禁生活を余儀なくされた。


「ここまでが、公の文書に残されている、この国における魔術師の絶滅の記録です」

「……」


 相変わらず、前王妃の口元は微笑みの形を崩さない。ただ、その瞳はわずかに細められていた。

 俺はひとつ息を吐き、薬草茶で喉を潤してから先を続ける。


「しかしこれは、表向きの話で、事実は異なる。20年前に起こった事件、その真相は、ベルナールは貴方と深い仲になり、心中を企てた、というものだった」

「……」

「ロズリーヌ前王妃。この話の内容は、Yesですか、Noですか」

「……Yes、ですわ」


 半年前、かつての「希代の大魔術師」ベルナールは、地下牢に繋がれたままその生涯を終えた。その傍らには、彼が書き残した断片的な紙片がいくつか遺されていた。そこに綴られた内容は、あまりの荒唐無稽さに哀れな元大魔術師の妄想と片付けられたが、俺は立場上、その内容を把握していた。俺の今の言葉は、それを基にしたものだ。


 しかし、彼の遺した紙片の内容が事実だとすると、いくつかの謎があった。ひとつは、王宮の奥深くで生活し、私生活では外部の人間との接触はほとんどない王妃が、魔術師とどのような接点があったのかということだ。


「お二人をつないだのは、あの、『奇跡のサクラ』だったのですね。あのサクラは、この国に来たはじめから、枯れていた。あの枯れ木に花を咲かせていたのは、ベルナール師の魔術だった。恐らくあなたは、彼にこのように、懇願したのでしょう。祖国より遠く離れたこの地で、籠の鳥として生きて死んで行く自分に、せめて年に一度だけ、祖国を偲ぶ慰めが欲しい。自分が生きている間は、毎年満開のサクラの木を見せてほしい、と」


 気候風土の合わないこの土地で、サクラは根付くことなく立ち枯れた。

 ロズリーヌ前王妃は、彼女に同情した庭師の手引きを得て秘密裏にベルナールと繋がりを持ち、サクラの生存偽装を依頼した。その術の効果は、ベルナールの死まで続いた。


「不老不死のエッセンスが効果がないのは当然です。はじめから死んでいるものに、不老不死の魔術をかけようとも、意味がない」

「お見事ですわ。謎は、解決ですわね。……私がお役に立つことは、もうございませんでしょう?」

「……いいえ」


 立ち上がろうとする彼女を、俺は目で制する。


「この話では、まだ解決していない謎がある。それは、ロズリーヌ前王妃、あなたの、目的です」

「……それは、ご自身でご説明になられたではありませんか」

「いいえ。ただサクラの花を見たいのであれば、枯れた木にまやかしの魔術などかけなくとも、あなたには本物のサクラの花を手に入れるすべがあった。祖国から、毎年サクラの蕾の枝を、届けさせれば良いのです。事実、他の花については、何度も行っています。サクラに限ってそれをしなかったのは何故か?」

「……」

「それは、ベルナールと繋がりを持ち、彼を取り込むためです。美しいあなたの手練手管に、彼はたちまち幻惑された。そして、徐々に心理的に追い詰められ、あなたの求めるがまま、心中事件を起こした。彼は死ぬまで、あなたとの愛が真実のものであると、信じていた。あの事件から20年間、彼はあのサクラを咲かせ続けるためだけに、必死におのれの命を、つないでいたのです」


 ロズリーヌ前王妃は軽くため息をついて見せた。


「哀しいお話ね」

「始めから、あなたは、この国の魔術を弱体化する目的で、祖国より送り込まれた王妃だった。本来であれば、20年前、あなたは希代の大魔術師を、自分の命と引き換えに葬り去れるはずだった。しかし、その計画は失敗した。後に残った枯れたサクラの木は、魔術により偽りの花を咲かせ続け、皮肉にも『奇跡のサクラ』として、あなたの祖国が蹂躙され支配される過程に一役買った。これが、俺がたどり着いた、物語です」


 俺は、ロズリーヌ前王妃の全く動かない目元を見つめながら、言葉をつなぐ。


「ロズリーヌ前王妃。この話の内容は、Yesですか、Noですか」

「……Yes、ですわ」



 瞬間、ロズリーヌ前王妃の額に、赤い文様が浮かび上がった。嘘封じの魔術だ。


「……‼」


 何故だ。彼女の微動だにしない瞳の光に、俺の背筋には冷たいものが走る。


 その時、突然扉が開き、所長からの伝令が飛び込んできた。


「大変です。属国アストワにて、有事。10万の武装勢力が、国境線を突破し王都へ向けて進軍中です」

「何だと」


 アストワ。目の前の女の、祖国である。


「魔力研究所の所員には、即刻戦闘態勢をとり『エッセンス』を選別せよとの、ご命令です」

「……戦闘態勢……」


 俺は、目の前が暗くなるのを感じる。

 そして、豪奢な椅子に座ったままの、老いた女を見つめた。


 『エッセンス』が引き起こす魔術効果は、人体への害がない。言い換えれば、人間を攻撃する魔術を行うことなど、不可能だ。

 20年前、魔術師連合が崩壊した際、魔術師たちのある者は自死を、ある者は逃亡を、ある者は隠遁を選び、現在、王宮がその所在を把握している魔術師は一人もいない。そう、半年前に獄中死した、希代の大魔術師を除いては。


 サクラは枯れた。希代の大魔術師の死を、それは意味していた。


 平和に慣れ、『エッセンス』のもたらす魔術効果を手軽に使う生活に慣れた王国の国民に、蜂起した武装勢力に対抗する術はない。

 30数年の時をかけて、アストワ国の王女は、敵国の喉笛をかみちぎったのだ。


 額に真っ赤な文様を浮かび上がらせたまま、老女は妖艶に微笑み続ける。

 それを声もなく見つめ続けながら、俺は呆然と、ため息が出るほど豪華な監獄の中に、立ち尽くしていた。


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