第二話「D兵器観察調査」

 散々に迷った挙げ句、今までの経緯をとりあえず説明することにした。


「つまり、記憶喪失の私が佐藤さんと話をしていたら、また記憶喪失になっていたと」

「そう、なるかな」

「それはなんとも、不思議な話ですね」

「……不思議だよな」


 二人して首を傾げる。

 マキナの真っ白な髪がカーテンのように揺れる。


 次の言葉を失っていた。

 頭の中で今も思考は目まぐるしく回っているのだが、あまりの選択肢の多さに処理能力が追い付いていかない。

 気まずくなって目を逸らしてみるが、それはそれでボロボロのセーラー服から覗く生肌が視界に入ってしまって目のやり場がなくなる。

 それでも、佐藤の視線はマキナから離れない。


「なにか、覚えてることはないの?」

「今も思い出そうとしているのですが、記憶が上から塗り潰されているような感覚があります」

「その腕とかについても、覚えてない?」


 逸らした目線の先。目から視線を下ろして、胸元で止めるわけにもいかず、足へと流れるわけにもいかず、逃げるように横へずれた先に見えた、無機物が浮かぶ細く白い腕。

 機械で見られるそれと変わらぬ配線が、滑らかな肌から血管の代わりに波のように顔を出している。

 マキナは自分の腕を眺めて、


「記憶にはないです」


 きっぱりとそう言って、


「ちょっと、引っ張ってみますか?」


 張りのある肌と、人工的な灰色の線が目の前に差し出した。

 白い肌の下には青い血管が透けていて、触れれば崩れてしまいそうな危うさを感じる。


「痛いでしょ、触ったら。これ、皮の下から出てるし」

「大丈夫だと思いますよ。なんとなくですけど」


 生唾を飲んで、佐藤はゆっくりと配線に触れる。

 絶縁体特有の無機質な滑らかさを指先に感じる。

 ほんの少しだけつまんで引っ張ってみる。

 引っ掛かりがあって、配線が腕から出てくることはなかった。

 しかし、その代わりに。


「ふふふっ。なんだか、くすぐったいです」

「え、あ。ごめん」


 反射的に手を離すと、指の先まで脈が行き届くような感覚があった。

 空虚な廃校の中で、心臓の音が体の内から鼓膜を揺らす。

 焦りと戸惑いをかき消すように、別の言葉で今を上書きする。


「マキナは、この学校に通ってたの?」

「どうでしょう。懐かしいような気もしますし、新鮮な気もします」

「でも、ここにいたってことは理由があるはずなんだよな」


 異なる方向へ思考を逸らして、どうにか平静を取り戻す。

 ふと、マキナのくたびれたスカートのポケットにわずかな膨らみを見つけた。


「それ、何か入ってない?」

「ハンカチ、入ってますね」


 ワンポイントで百合があしらわれた薄緑のハンカチ。

 軽く広げてみれば、隅に『M,S』というイニシャルが刺繍されていた。


「これ、マキナの名前かな?」

「名字の記憶も、残念ながら。マキナという名で呼ばれていたという記憶が残っているだけで、これも本名かどうか」

「……そうだ。確か、最初に学校に入ったときのあれなら、手がかりになるかもな」


 この学校に行く前。屋上へ向かう途中で興味深いものを見かけた。

 スマホには写真も入っているが、実際に見た方が早いはずだ。


「一階の、奥だったよな」


 進み始める佐藤の散歩後ろをマキナは静かに着いてくる。

 風が校舎の中を通り抜ける音が廊下に響く。


「体調に問題とかない?」

「特に異常は感じませんが」

「そっか。この東京に住んでる人もいるって噂だし、マキナは大丈夫な体質なのかな。人によっては一日いるだけで異常が出るんだけど」

「そんなにも、危ない場所なんですか?」

「戦争で汚染だらけになったからね。二ヶ月前にようやく数時間なら入っても問題ない程度まで落ち着いたけど、当時は近づいただけで頭が割れそうだったよ」


 詳しい原理は分からない。

 政府は空間加速汚染についての詳細を公表していない。軍事機密だからと、公開可能な情報が制限されていた。

 ただ知っているのは、防護服を着ても着なくても加速汚染の影響はほとんど変わらないこと。

 地下に行けばいくほど、被害は少ないこと。

 その程度だった。


「対策とかもあればいいんだけど、偉い科学者の人も研究のデータも東京と一緒になくなったらしいからね」

「なら、どうして佐藤さんはここに?」

「……廃墟が好きだから?」


 マキナは赤く透き通った瞳で佐藤の顔を見つめてから、小さく笑った。


「変なの」

「ははっ。だよな」


 あえて廊下の穴の空いた部分を通って進んでいく。

 飛び出た骨組みに引っかからないように、慎重に足を踏み出す。


「俺さ、将来の夢とか、やりたいこととか、何もないんだよ。だから、自分探しの旅というか、何かをやりたいからやってるというか」

「廃墟が好き、という話ではなかったですか?」

「何もないから、廃墟が好きなんだと思う。ほら、俺みたいに空っぽだろ?」


 佐藤は空洞を通りながら笑ってみせる。


「でもさ、廃墟にはどこかに必ず残った想いがあるんだ。例えば、これだな」


 言い終えたタイミングで、目的地へと辿り着いた。

 大枠が崩れてしまって、何の部屋なのかはわからないが、大きな空間の壁一面には、大量の文字が刻まれていた。

 マキナは不思議そうに首をかくんと傾ける。


「これは?」

「寄せ書き、かな。戦争が始まって疎開するってときに、みんなで書いたんじゃないかな」


 別れや再会を誓う言葉に、ちょっとした冗談まじりのふざけた言葉。

 戦争が始まったとしても、東京がこんな事態になるとは夢にも思わない同世代たちの言葉たち。

 マキナと出会う前の探索中に見つけたの寄せ書きを、佐藤は細かく見始めた。


「これさ、自分の名前を書いてる人もたくさんいるんだよね。だから、もしかしたらマキナの名前もあるかもしれないと思って」


 手がかりはハンカチにあったイニシャルしかない上に、マキナがこの学校の生徒であるかもわからない。

 だが、可能性がないわけではない。


「マキナって名前は……さすがにないか」


 軽く眺めてカタカタが見当たらなかったため、該当するイニシャルの名前を探し始める。

 黙々と文字を眺める佐藤の姿を形だけ真似するように、マキナが隣に立つ。


「あの」

「どうした?」

「ここに留まるのは危険だと言っていました。それなのに、どうして私の名前のために時間を使うのですか?」

「うーん、何て言うんだろう」


 マキナの名前を探しながら、佐藤はゆったりと話す。


「マキナのことを、知りたいって思ったんだ」

「私を、ですか?」

「廃墟を探索してるのもさ、ここにどんな人がいたのかなとか、そういうのが分かる跡を探すのが好きなんだ」

「例えば、この文字とかですか?」

「うん。それもだし、俺はマキナのことも知りたい」


 マキナは理解ができなかったのか、佐藤の顔を丸い目で静かに見つめている。


「何も知らなくて、分からなくて。でも、マキナが生きた証が体には残っていて。もしかしたら、ここにもそれがあるかもしれない」


 佐藤は無邪気な笑顔で歯を見せる。


「廃墟好きの歴史研究部員が、心躍らないわけがないだろ」

「……変な人ですね」

「それを言ったら、マキナの方が変じゃない? 目、赤いし」

「え? そうなんですか?」

「うん。めっちゃ赤い」

「怖くないですか?」

「今のところは、知的好奇心が勝ってる」


 佐藤は即答した。


「綺麗な眼だよな」

「理解に苦しみます」

「よく言われる、それ」


 嫌味など腐るほど言われてきた。

 戦争で苦しんだ人のために、これからの未来のために。

 高尚な目的を持つ学生が増え、二度とこの悲劇を起こさないようにと今を生きている。

 そのスピード感が、圧迫感が、苦手で仕方なかった。

 この東京では、普段の倍の速度で時間が流れているはずなのに、普段の生活よりもよっぽどゆったりとした時間が流れているように感じる。


「俺もよく分かんなくなって、ここに来てるのかもしれないな」


 気の抜けた笑みで佐藤が笑っていると、マキナは思い出しように質問を投げかけた。


「そういえば、歴史研究部って言ってましたけど」

「ああ、そう。俺、歴史研究部って部活に入ってるんだ。一応、この探索も部活の一環……ってことでやってる」


 当然、秘密裏に東京に忍び込んではいるのだが、それができるのは部長である山吹のおかげだった。


「部員は俺と部長と、白河ってやつで三人かな」

「他の方もここにきているんですか?」

「いや、俺だけ。部長はさっきから俺のスマホに死ぬほど電話よこしてきてる。白河は、たぶん趣味に夢中だな」


 ずっと振動しているスマホを胸ポケットから取り出して、改めて通話を拒否する。


「そういえば、浅草の写真を撮ってきてって言われてたんだっけ。後でいかないとな」

「楽しそうですね」

「そりゃな。なんてったって、浅草寺だぜ。さっき屋上から軽く見えたんだけど、どうやら残ってるっぽいんだ」


 廃墟と化した浅草寺。

 何が残っているのだろうかと、佐藤の口元が思わず緩む。

 と、だらしなくなっていた佐藤の顔に、わずかに力が入った。

 流し見をしていた壁の文字を読み直し、マキナへ手招きする。


「これ、斉藤麻耶って子。M,Sじゃない?」

「そうですね。あとは、ここの佐伯瑞輝と、あっちに鈴木美香さんもありましたよ」

「え、そんなに見つけてたの?」

「はい。どうやらこの赤い眼、視力が良いです」

「すげえ」


 佐藤は早速、三人の名前をメモして、彼らが刻んだ寄せ書きを眺める。

 壁に直接彫ってあるとはいえ、劣化のせいですらすらと読めるわけではない。


「……あれ?」


 やたらと、文字がボヤけて見える。

 目を擦ってみても、何も変わらないどころか、先ほどよりも文字の輪郭が曖昧になっている。

 おかしいと思って、顎に手を当てたところで、生暖かい粘着質な液体が指先に絡んだ。


「やば。はなぢだ」


 まだ四時間も経っていないはずなのに、こんなにも体に影響が出るわけがないはずなのだが。


「さっきの汚染、やばかったみたい」

「……佐藤さん?」


 その場に崩れ落ちた佐藤は、どうにか右側を下にして体を横に向ける。

 佐藤はこの廃棄東京に忍び込む際、

 普段は部長からもらう薬を飲んで数日休めば体調も万全だったのだが、今回はあのイレギュラーな汚染によって活動時間が大幅に短くなってしまったようだ。

 直後、胸元が震え始める。

 部長からの着信だった。

 朦朧とした意識の中、佐藤はどうにか通話だけ繋げる。


『多分、君は今頃ぶっ倒れているだろうと思って、急いでそっちへ向かっているんだけれど、余計なお世話だったかい?』

「……助かります」


 そんな短い返事だけを絞り出して、佐藤の視界が灰色に染まっていく。

 部長の声がどんどんと遠ざかる中、耳の奥に響く声があった。


「大丈夫ですか、佐藤さん」

「……マ、キナ」


 反射的に喉が彼女の名前を呼ぶ。

 しかし、それ以上の言葉は紡げず、口が金魚のように開閉するだけ。


『——れか、そこ——のか』

「はい。マキナ、という名前だと思います」


 部長の声はもう、ほとんど聞こえない。

 鼓膜が確かに揺れている感覚があるのに、マキナの声も頭が受け取らなくなっていく。


『……さか……ま……なの? …………てた……』

「わたしに…………ますか……なぜ……涙が……です」


 何かを話していることだけしか分からない。

 数回のやり取りの後、マキナが動いているような気配があった。


『……の、燃料……ユニット……出して……』

「……口を……流し……す……」


 何か暖かい物が口に当たった。

 次いで、何かが流れ込んでくる。

 薬の味。

 苦く、鼻の奥に染み込むような香り。

 そして遅れて、粘っこい甘みが喉を通っていく。

 それからほんの数秒で、目眩が和らぎ始めた。


「死なないで」


 マキナの言葉がやたら鮮明に聞こえた直後、佐藤の意識が微睡みの中に溶けていった。

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廃棄東京、からっぽのマキナ さとね @satone

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