廃棄東京、からっぽのマキナ
さとね
パンドラの玉手箱
第一話「廃棄少女 または彼女は如何にして絶望し、世界を嫌うようになったか」
廃墟が好きだ。
空になってしまった亡骸から、そこにあった確かな命を感じられるからだ。
だから、佐藤舞浜は廃墟の森と成り果てた東京にいた。
夏休みの終わりが見え始めてきた八月の後半。
大学受験の勉強を始めるでもなく、友達とファミレスで駄弁るでもなく、沈黙した東京を眺めていた。
今回の探索では、劣化の少ない廃校を見つけたのが僥倖だった。
屋上までの経路もあり、足場も比較的安定している。
佐藤は近くにあった手ごろな瓦礫に腰掛け、周囲を見渡す。
首を傾げるように崩れた高層ビルに、哀愁を感じる穴だらけのマンション群。
廃墟好きとしては、不謹慎だと分かっていても素敵だと思う気持ちが抑えられない。
遠くには、かつて世界一の高さを誇っていた自立式電波塔が見える。
残念ながら、当時の高さにはほど遠く、複雑に折れ曲がって倒壊してしまっているが。
佐藤は時計に視線を落とした。
その秒針は、普段の倍の速度で時を刻んでいる。
廃棄された東京に忍び込んでから約二時間。身体的な負担を考慮しても、経験上、あと二時間が探索の限界だろう。
帰りの時間を考えるのなら、そろそろこの廃校を去らなければならない。
名残惜しいが、体調に支障が出てはいけない。
注意を払いながら、下の階へと降りていく。
ふと、階段を下りた先に興味深いものを見つけた。
劣化ではない人工的な傷が膝の高さに残っていた。
奥の廊下まで、強引に何かをこすったような跡。ここが小学校であるのなら、給食の配膳台車でレースでもしたか、もしくは中学や高校ならば不良がバイクで廊下を突っ走って大転倒したか。
いずれにせよ、やんちゃな生徒がいたに違いない。
「どんな人たちだったんだろうな」
そんな想像をするのが好きだった。
ここにはただ廃墟があるのではなく、確かに誰かが生きていて、その証は今もなお、こうして目にして、考えて、佐藤に届いた。
この感覚が、たまらなく好きだった。
まだもう少しだけ時間があるので、手ごろな教室で昼食を取ることにした。
いつもと同じぼっち飯である。
いや、廃墟の良さはこの静寂であるならば、むしろ一人で食事をするほうが正しいはずだ。
ゆえに、佐藤は孤独と肩を組んで教室に入る。
しかし、教室には同い年くらいの女の子がいた。
数ある机の中で、真ん中よりも少し右側に寄った位置に、彼女は座っていた。
出席番号順なら、佐藤性の自分もあの辺りだな、なんてことだけ思った。
そこまで思考が回ってから、ようやくその子自身にピントが合う。
佐藤が戸惑ったのは、女の子がいたからだけではない。
その子は、女の子と呼ぶにはあまりにも無機質だった。
腕や太ももからは血管の代わりに配線が生肌から顔を出していて、赤色の瞳の奥の瞳孔がなぜか不規則に動いている。
人形のような姿勢の正しさと、それを飾る純白の髪。
人と明確に違う部分があるからこそ、佐藤は情報を処理しきれなかった。
ボロボロだが、着ているのはセーラー服だし、くたびれているが履き物はローファーだし、顔立ちも整ってはいるが幼さも残っていて、どうみても女子高生なのだ。
「えっと」
関わらない方が身のためだと、本能が警告していた。
普通ではない。廃棄された東京で教室に座っているというだけでも異質なのに、人ではない部分を隠そうともしない。
それでも、知的好奇心が佐藤を掴んで話してくれない。
「少し、よろしいでしょうか」
「え、は、はい」
琴を優しく撫でたような声。
肉声と呼んでも差し支えない声色にも関わらず、機械的で単調な話し方が、より彼女の存在の嚙み合わなさを際立たせる。
不安だった。
彼女は、そこらへんの高校生の自分が出会ってはならない存在ではないのかと。
ただ、そんな迷いを上書きするように。
「何か、食べるものはありませんか? 食事を取れという警告のようなものが、お腹から鳴っているのです」
ぐぅぅ。という可愛らしい音が、はっきりと聞こえた。
普通ではない、が、しかし。
その言葉と表情は、普通の女の子に見えた。
「……缶詰とかでいいんだったら、たくさんあるけど」
佐藤はリュックの中に備えていた缶詰を机に並べ始めた。
*
「あのさ」
「はい、なんでしょう」
「それで、最後の一個なんだけど」
「そうなんですね」
空っぽになった缶詰の山をビニール袋に入れながら、佐藤は腹減ったな、とぼんやりと考えていた。
まさか、どれがいいかと選んでもらおうと横一列に並べた缶詰たちが、片っ端から平らげられるとは思っていなかった。
しかも、何を言うでもなく淡々と、一定のペースで機械のように口に運び続けているのに、たまに好みの味があるとピタッと手を止めて少し長めに咀嚼してから胃に流し込む。
かれこれ十五分ほど、その光景を眺めていた。
空になった缶詰は約三〇個。万が一、数日間帰れなくても余裕がある程度の数を携帯しているつもりだったが、そのすべてが彼女の腹の中へと消えていった。
仕方なく、炭酸飲料を取り出してプルトップに手をかける。
カシュ、という空気の音に反応して、機械少女が佐藤の手元を見つめる。
「それは、なんですか?」
「ドクターペッパーだけど……もしかして、飲みたい?」
「缶詰、美味しかったので。そちらにも興味があります」
表情こそほとんど変わっていないのに、赤い瞳から好奇心がにじみ出ている。
数秒だけためらって、佐藤は缶を手渡した。
単純に好き、という理由に加えて探索の際の糖分補給用として佐藤が常飲しているドクターペッパーが、彼女の喉を通っていく。
全ての缶杖をサラッと食べていたので、これもどうせ空き缶になって帰ってくるのだろうなと思っていたが、佐藤の手元に残された缶にはまだ半分以上も残っていた。
「不味いです。薬っぽい味、私は嫌いみたいです」
「まあ、多いよね。そういう人」
んべっと舌を出している女の子。
舌の色は、佐藤たちと同じだった。
ようやく胃袋に流し込めるものができた佐藤は、ドクターペッパーを一気に飲み干す。
「ところで、さ」
こんな話をしていてもどうしようもない。
佐藤はようやく話を変えようと口を開く。
「君の名前とかって、聞いてもいい?」
素性まで問いかけていいのか悩んだ挙句、控えめに距離を近づけるところから始めた。
返答はすぐには来なかった。
視線が斜め上へ向き、少女は探るように答える。
「多分、マキナです」
「マキナ?」
「そういう識別名だったな、というデータが残っている気がしたので」
「記憶喪失ってこと?」
「おそらくは。どうして私がここにいるのかも、実は分からないのです」
曰く、何も分からず学校にいたので、とりあえず座っていたらしい。
確かに、この学校は他の廃墟に比べて劣化が極端に少ない。
多くの廃墟を巡ってきた佐藤も、ここなら簡単に崩落しないだろうという判断をして校内を散策していたのだ。
「うーん。汚染が酷くて、記憶に影響が出たのかな。そこらへんは詳しくないから、病院で見てもらった気が良い気もするけど」
問題は、マキナの体の随所に見られる人から逸脱した無機物だった。
目の前に存在する現実に佐藤はどうすべきが決めあぐねていた。
だから、聞いてみる。
「あのさ」
「なんでしょう」
「缶詰、どれが美味しかった?」
「あの缶詰、好きでした。あの、茶色の丸いやつです」
「えっと、たこ焼き缶かな?」
「多分それです。私、好きみたいです。たこ焼き」
少し早口ぎみにマキナはそう言った。
ほんの少しだが、口元に笑みが浮かんでいるように思える。
マキナとどう接すればいいのか、佐藤は悩んでいた。
明らかに異常な存在なのに、目の前には普通の女の子がいるように思えるのだ。
「あの」
思考を遮る声。
マキナの視線は、佐藤の足元へと移っていた。
ふくらはぎの側面に、赤く湿った線が浮かび上がっている。
足を瓦礫か何かで切ってしまったようだ。
「ああ、これくらいよくあるから平気だよ。帰ってから消毒して包帯でも巻いておけば良いから」
「痛く、ないのですか?」
「痛いけど、騒ぐほどではないよ」
「嫌ではないのですか?」
「まあ、嬉しくはないけど」
この程度の怪我で、不快感は覚えない。
だが、マキナには佐藤の意思など関係なかった。
「私はきっと、痛いのは嫌いでした。なら、あなたの痛みもなくなるべきです」
マキナはその場で膝をつき、佐藤の足に指先をつけた。
人肌の温かさが、優しく傷口を撫でる。
「全治二週間、といったところでしょうか」
赤く透き通る瞳の奥が、ピントを合わせるように不規則な回転をした。
それと同時。
佐藤の周りの空気から小枝の束を踏みつけたようなパキパキという音が聞こえ始める。
「……空間、汚染…………?」
見て分かるほどの速度で、足の怪我が治っていく。
同時に、脳幹がねじ曲がるような目眩と溢れ出る吐き気が内側から襲いかかってきた。
「ご、ごめん……!」
マキナから慌てて距離を取って、窓から顔を出して大きく息を吐く。
この東京も、空間汚染によって廃都市と化したのだ。常に一定の汚染が東京全体を覆っているが、基本的に人体に大きな影響が出るわけではない。
ただ今の汚染は異常だ。ほんの数秒で、時計の針が半日以上進んでいた。
「す————はぁぁああ」
何度も何度も深呼吸をして、どうにか吐き気を収める。
直後、先ほどまで自分がいた場所が崩れ落ちた。
劣化による崩壊だと、廃墟を多く見てきた佐藤はすぐに分かった。
この学校は劣化が少ないはずだ。あんな一部分だけが劣化をしているなんて、見たことがない。
「……あの、すいません」
マキナの声が聞こえて、視線を上げる。
不安そうな顔だった。
自分がマキナの好意を突き返してしまったことを思い出した。
「あ、ごめん。ちょっと気分が悪くてさ」
「はあ、そうですか」
マキナはどこか戸惑っているようだった。
どうしたのかと心配そうな視線を送ると、マキナは「ところで」と切り出す。
「ここはどこで、あなたは誰でしょうか」
ひゅ、と喉が閉まる感覚があった。
今までの会話なんてなかったのではないかと思い込んでしまうほど、自然な言葉だった。
「君は、マキナだよね?」
「マキナ……? ……言われてみれば、そんな名前を付けられた記憶があります」
不謹慎だと理性が伝えてきているのに。
何もかもがからっぽの少女から、目が離せなかった。
ほんのりと香る缶詰と薬っぽい甘い匂い。
二回だけ折られた、校則に引っかからない程度に短くしたスカート。
赤い瞳と、浮き出ている配線。
中身が消えさってもなお、彼女に刻まれた歴史を前に、佐藤の鼓動が早まる。
何よりも美しい廃墟のような少女は、真っ直ぐに佐藤を見つめていた。
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