エクスプロード、ウォッチタワー

“見張り塔”を爆破して

「ハロー・ワールド。本日は曇天、最高のスーサイド日和だ! 逝くぞ、お前ら!」


 立ち入り禁止の看板の奥、埋め立てされた人工島に立つ140mの建造物を高層ビルから見下ろし、俺はインカムに向かって絶叫する。ガラス張りの階段を駆け抜けるパルクーリストの若者たちが、屋上フェンスを蹴って矢継ぎ早に飛んでいく。

 目標は廃棄されたシティタワーの黒い骸、フワフワと宙に浮かぶ鉄骨が雲の切れ間から射す陽光を浴びて輝く上空だ。反重力アンチ・ニュートンエリアが展開され続ける限り、俺たちは高く飛んでいられる。


 風を切って跳躍する無数の群れを眺め、俺は右手を挙げる。彼らは合図と共に背負っていたバックパックを空中に放り投げ、自由落下に身を任せてエリアから離脱していく。空中に固定されたかのように静止する荷物を確認し、俺はカメラを構えた。

 連鎖爆破、シャッターを切り続ける。爆炎が鉄骨を包み込み、散った火花が集約されて滑らかな表面を滑っていく。カラフルな真球の爆発がANエリアを支配する!

 この瞬間、この刹那。規則と秩序で雁字搦めだった若者たちは鮮やかな死を疑似体験する。重力に釘付けにされ地上で存在を固定されているシティタワーを眼下に、爆発によって空を彩るのだ。その様子はSNSに投稿され、世界中の人間に目撃される。もちろん、これは無許可で行なっている違法行為だ。

 マスメディアは口々に『反権力のパフォーマンス』だの『何らかのメッセージ性を孕んだアート表現』だのとトンチンカンな高説を垂れるが、そんなものが俺たちの行動理由ではない。参加者のほとんどが抱いているのは“目立ちたい”という心理と矜持、つまり自己顕示欲だ。そこに高尚さは何一つなく、誰の爆発が一番鮮やかで命知らずかという稚児めいた動機で動いているのだ。

 そう、俺以外は。


 遠くで聞こえるサイレン音を確認し、俺は運んでいた巨大なカバンを下ろす。革製のバッグに偽装しているが、中身はひつぎだ。中には既に先約がいる。俺の親友であり相棒だった男、ウォルクが眠っているのだ。

 若者たちはとうに離脱し、国家権力に逮捕される前にその場から撤退する。彼らのアート表現は既に終わっているのだ。残った俺が殿しんがりで丁度いい。


 今から、相棒の死体を背負って跳ぶ。臓器の代わりに爆薬を詰め込んだあいつの身体を、タワーの上空で葬るのだ。


    *    *    *


 10年前、俺たちは掃き溜めのようなスラムでシティタワーの骸を見上げるように眺めていた。

 揃いの作業着と煤けた顔、スクラップヤードに積み上がる何かの残骸を踏み締める長靴のオレンジ。俺とウォルクは同じ場所に捨てられ、同じ飯を食べて育った。体格に秀でた俺と、頭の良いあいつ。俺たちはまるで兄弟か家族だった。

 解体屋の仕事は過酷で、掃き溜めでは貰える金も安い。一時のサボタージュは日課になり、その度にあいつは型落ちのウォークマンを持って小高いスクラップの山に腰掛けるのだ。


「なぁ、ウォルク。いつも何聴いてんの?」

「……ジミヘンだよ。聴く?」


 擦り切れたレコードめいてざらついて響くギターの音色に頭を揺らしながら、ウォルクは呟くように歌詞をそらんじた。俺に理解できない異国の言葉を空に向けて歌う姿は、華奢な体格のせいでどこか世を儚んでいるような印象を与える。あいつの得体の知れないカリスマ性のようなものに、俺はずっと憧れていた。

 緩やかに頭を振っていたウォルクが、不意に俺の方を向いて笑う。雲ひとつない青空の下、その表情が記憶からこびり付いて離れない。


「おまえさぁ、大人になったらやりたい事とかある?」

「今日のメシに辿り着けるかも怪しいのに、未来のことなんて考えもしねぇよ。そういうウォルクは?」

「おれ? おれかぁ……」


 ウォルクは薄く笑い、俺に向けてピースサインを掲げる。夢が二つあるということだろう。


「27clubって知ってる? ジミヘンは27歳で窒息死して、ジョブリンはヘロイン中毒、コバーンは拳銃自殺だ。伝説を作ったロックスターとかアーティストは、27歳で死んだヤツが多いらしいんだよ。だから、おれもそこに入る! 今から10年で伝説を起こして、27で非凡な死を遂げるんだ。俺のことを知らないヤツらでさえ度肝を抜くような、派手な伝説を!」


 荒唐無稽な願いだが、その口振りには妙な説得力があった。当時の俺はウォルクの野望に素直な憧れを覚え、その遠大な計画の続きを話してくれとせがむ。

 あいつの作り出す伝説に必要なものは2つ。これから金を貯めて買おうとしているストラトキャスターと、もうひとつの願いだ。


「あそこに見える“見張り塔”を、ぶっ壊そうと思ってるんだよ」


 ウォルクが見張り塔と呼ぶシティタワーの残骸は、当時から民間人が近付くことすら禁止されていた。その頃に突如として空中に現れたANエリアの調査のために解体作業は中止され、俺たちはひとつ食い扶持を失ったのだ。

 残ったのは鉄骨を晒す巨人の骸で、ウォルクはその存在に強い敵愾心を向けていた。あいつの美学に反するらしい。


「あんなのは、とっくの昔に役割を固定されて大地に縛られた重力の奴隷なんだよ。そんな物が得意げに人間を見下してるのが気に入らないんだ。あんな物が壊されもせずに我が物顔で陣取ってるなら、おれは10年後に行動を起こすよ」


 ANエリア周辺を旋回するヘリコプターを眺め、ウォルクは決断的に口角を上げる。見果てぬ未来に想いを馳せるかのように、その瞳は煌々と輝いていた。


「死ぬときは、明るくやりたいんだ。手伝ってくれよ、相棒」


 いま思えば、とんでもない約束をしたものだ。俺たちは仕事場から少しづつ爆薬を盗み出し、計画の準備を始める。あいつの伝説を近くで見ることができるかもしれない高揚に胸を躍らせながら、俺は輝かしい未来図を脳に焼き付けた。


 それから数年が経ち、ウォルクは死んだ。27歳には程遠い若さで、あっさりと病死したのだ。

 最期を看取ったのは俺だ。元々身寄りのない俺たちがその死を悲しまれることはなく、掃き溜めでマトモに葬られることも期待できない。スクラップの山に埋もれて鉄クズを墓標代わりにされるのが関の山だ。

 だから、俺はウォルクの死体を盗んだ。遺品を整理して見つけた計画書とウォークマン、ストラトと共にあいつの屍をそっと持ち出す。当初の予定とはズレたが、あいつの計画に一度乗ったのだからやり切るのが礼儀だろう。俺に迷いはなかった。

 古びたウォークマンに入っていたのは、ジミヘンの歌声だけではなかった。伝説の存在のギタープレイとは雲泥の差である稚拙な演奏は、間違いなくウォルクによるものだろう。調子を外した歌声も相まって、俺は思わず笑い転げる。


「何が伝説的なカリスマだよ……! あいつも天才気取りじゃん」


 大人になってある程度は他国の言語も理解できるようになり、あの日ウォルクが聞いていたジミヘンの曲について調べることができた。今なら、歌詞が示す意味もなんとなく理解できる。『ここから抜け出す手段があるはずだ』と、あいつは繰り返し呟いていたのだ。俺が盗み出さなければ、その願いは叶わないまま掃き溜めに縛り付けられていたのだろうか?


 死体に防腐処理を施し、少しづつ計画を引き継いでいく。決行日はあいつが27歳になる日。それまでにやらなければならないことは無数にあった。


 これは、天才気取りの相棒を天才のままもう一度殺すための計画だ。


    *    *    *


「ハロー・ワールド。今日は最高のスーサイド日和だ。……そうだろ、相棒?」


 型落ちのウォークマンから響くあいつの歌声を背に、俺は屋上フェンスに足を掛ける。あの日見上げていた“見張り塔”を逆に見下ろしながら、俺は計画の最終仕上げに移る。

 パルクーリストにスーサイドごっこを提案したのは俺だ。厳密に言えばウォルクの計画だが、結果的に時代に乗ることができた。話題性は十分だ。

 カバンから爆弾と化したウォルクを取り出し、抱き上げる。少しの衝撃で爆発しかねないほどに火薬を詰め込んでいるので、取り扱いは慎重だ。苦心しながら相棒を背負い、蹴り足が静かに空を切った。


 まるでスカイダイビングのタンデムジャンプだ。風を浴びて落ちていく身体が空気の層を貫き、重力が反転する。空を飛ぶように浮き上がる2人分の質量を感じながら、俺は目標の地点まで浮遊する鉄骨群を足掛かりに進んでいく。

 巨人の亡骸めいた廃タワーの肩口、解体作業時の傷が目立つ欠落部分。そこが明確なウィークポイントだ。ウォルクが解体の天才だったことを思い出しながら、俺は緩やかに降下を始める。


「……行けッ!!」


 背負っている相棒を解き放つ。押し出すように力を加えれば、その推進力で華奢な身体は俺の手を離れていった。

 高度120m、ウォルクは速度を上げて空に落ちていく。俺はその様子を網膜に焼き付けながら、徐々に加速していく落下速度に身を任せた。


 衝突、数秒後の激しい爆発。音もなく、爆炎が静かに空を包み込む。灰も遺さずに、あいつの遺体は虚空へ消えていく。宙に浮いた無数の鉄骨が砕け、表面に残っていた火薬がクラスター爆弾めいて連鎖爆発する!

 巨人がくずおれ、落ちていく。これを目撃した一般市民はどう思うだろうか? 派手な爆発を起こした天才が確かにそこにいた事に、誰かは気付くだろうか。


「……派手な散り方だよ、まったく」


 風を浴びて落下しながら、俺は噴き出すように笑った。浮遊する鉄骨は軒並み墜落し、爆破跡のクレーターに次々と突き刺さっている。重力を無視する魔法は消え去り、海面が俺を手荒に迎える。

 このまま死んでしまっても構わないが、そうはいかないだろう。着水する瞬間に聞こえたサイレンはすぐ近くまで迫っていて、すぐに陸地へ引き上げられるのだから。


 あいつが天才なら、俺はその模倣をする凡人だ。27で死ぬこともできずに、重力に縛られて生き続けるだろう。

 だからこそ、今日の輝きは一生忘れない。死者を葬るのが生者のための儀式なら、どうやら無事に成功したようだ。


 海面から顔を出して見えた空は、雲ひとつない青天だった。

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