対決 その3

 素空と栄雪は加納城下かのうじょうかを目指してひたすら歩いた。栄雪の肩には、あの破魔ガラスは止まっていなかった。昨日、追原おいはらを通る時、菅野寅之進すがのとらのしんの霊を刀から呼び出して、破魔ガラスに移したのだった。破魔ガラスは暫らく衰弱し餌を与えられて追原のやしろに残された。

 破魔ガラスが、栄雪の肩に戻ったのは加納城下まで4里ほども離れていないところだった。そこはせきと言う宿場で、飛騨街道ひだかいどう郡上街道ぐじょうかいどうの合流点だった。

 素空は関に着く頃から妙な気配に気付いていた。昼時の街道筋でどうと言うことはないだろうが、街を抜けたところで一斉に掛かって来そうな気がしていた。鬼の数にもよるが、位山くらいやまの鬼の数と同じくらいなら、頭の鬼はさぞかし力の強い鬼だろうと思った。

 関の宿場は閑散として、2人の僧を物陰からジッと覗き見ているような。妙な空気が漂っていた。

 「素空様、誰かに見られているような、妙な気配を感じますが如何でしょうか?」

 栄雪も気付いていたようなので、素空はこれから用心して歩くようにと告げた。

 「関宿から加納城下にかけて鬼の出入り口ができたのでしょう。関宿の不穏な気配はまさに鬼の密かな息遣いでした。関宿を抜けたところから街道を外れて対決の場所を定めなければならないでしょう」

 栄雪は背筋が凍り付くような寒気を覚えた。2人は街外れに出るとそろそろ来るような切迫感に囚われた。素空は、栄雪に街道脇の地蔵菩薩じぞうぼさつの前で経を唱えているように言い残して、1人脇道の奥へと入って行った。

 素空は街道から1町(100m)ほど入った先に廃屋を見付けた。脇道から廃屋までは畑と庭と半町ほどの小路の他は何もなく、まるで広場のようだった。その廃屋はまさに鬼の出入り口だった。素空は廃屋の中には入らず、入り口に四手を下げて封印し始めた。四手は裏口や雨戸や小窓に至るまですべて封印し、地獄と現世の往来を断った。残るはこの世に姿を現した悪鬼悪霊どもだけだった。素空の封印は虚空直伝の強力なものだった。更に、結界を張り、その中に大日如来だいにちにょらいの吐息を封じ込め、出入り口に近付く鬼どもの忌避結界きひけっかいを作った。

 素空は広場の真ん中に立ち、自らが鬼を誘い込む餌となってジッと待った。素空は経を唱えることもなく、一見無防備だった。

 突然素空の前に鬼の姿が現れた。

 素空は既に人の霊に取り付いた鬼と、取り付く前の鬼とを判別し、人に取り付いた鬼との対峙を望んだ。

 鬼は元来利己的で、己の得にならないことには一顧の興味も払わなかった。素空と戦う危険はそれぞれの鬼にとっては避けたいところだった。それでもここに集まって来たのは、人と言う餌に惹かれてのことだった。僧と言う存在は、鬼にとって危険な相手だったが、僧を滅した鬼には特別な力と高揚感と大きな満足がもたらされるのだった。

 まさに、鬼達にとっては戦わずに素空を手に入れることが1番大きな喜びになっていた。

 人の霊に取り付いた鬼は10体ほどだったが、最初に素空の前に立ったのは、3年前に城下外れの処刑場で首を刎ねられた小悪党の霊だった。鬼どもは力の弱いものほど小悪党に取り付き、地獄の苦しみを与えるのだが、悪党の中でも大物の霊は小悪党を凌駕する悪意の塊であり、小鬼が制御できない悪辣さを備えていた。

 小鬼は他に5匹が現れ、素空にこともなく絡め取られて消滅させられた。

 次に現れたのは、素空が予想した通り韋駄天熊吉いだてんくまきちの霊に取り付いた鬼で、この鬼は名もない小鬼だった。韋駄天熊吉が処刑された後、処刑場には多くの鬼が集まり、取り付く機会を待っていた。取り付く時には完全に入り込むまでの間に、一定の時が掛かるのだった。小悪党の霊に小鬼が取り付くには瞬時と言っても良いほど素早く入り込めたが、大物の霊に小鬼が取り付くには時が掛かり過ぎ、取り付く途中の無防備な状態を狙って、他の鬼達が襲い掛かるのだった。鬼同士の争いは日常茶飯事と言え、やられる方が悪いと言うのが鬼の世界の常識だった。従って、鬼が人の霊に取り付くには、人の霊より悪辣な鬼が支配することになるのだった。

 手妻の仁六てづまのにろく小暮喜重郎こぐれきじゅうろうは鬼の手先として蹂躙され、偸盗の頭目夜蜘蛛の仙輔やぐものせんすけ梵亡鬼ぼんぼうきと肩を並べるほどの鬼に仕えていた。4匹のうち、魂を操っているものは、より強い鬼だったのでずる賢く、怠惰で、非情だったから韋駄天熊吉を素空の前に突きだしたのだった。

 素空は既に4匹の鬼を結界の中に入れて、外に出られないようにしていた。

 韋駄天熊吉が、素空によって絡め取られて消滅させられた。他の鬼は一瞬ひるんだが、手妻の仁六は、虐怒妖ぎゃくどようと言う鬼に支配されていた。小暮喜重郎の霊は、あの地伏妖じふくように支配されていたので、手妻の仁六の背中を押して素空の前に立たせた。

 手妻の仁六は妖術ようじゅつを使って素空と対峙した。素空の背後に回った小暮喜重郎は小柄こづかを両手に3本ずつ挟んで構えた。小柄は妖術と同じく実在の物ではなかったが、当たると素空に大きな傷を与えることは間違いなかった。

 素空は既に結界の中で対峙していたが、更に自分を小さな結界に閉じ込めて、小柄が背後から飛んで来ないようにした。素空は胸の前で合掌し、手妻の仁六と対峙すると、右の手だけを放して、右後方に引き込んで呪文を唱えた。手妻の仁六は呪文と共に大蛇を出して素空の結界の中に潜り込ませようとした。大蛇はスルスルと地を這って、結界の裾に頭を入れるとそのまま素空の目の前に首を持ち上げ、一気に呑み込もうと大口を開けて威嚇した。素空の右の手が降伏呪文こうぶくじゅもんと共に突きだされると、大蛇を越えて後方の手妻の仁六にが炸裂した。手妻の仁六は不敵な笑みを浮かべながら、右手と右足を失ったが、姿形はすべて空事だった。素空は矢継早にもう1度呪文と共に右手を突きだすと、手妻の仁六はゲーと言う妙な音を発して、今度は本当に黒い塊になって地に落ちた。虐怒妖は手妻の仁六から分離すると、結界の隅に身を隠した。地に落ちた黒い塊の中で何やら蠢くものがあった。それは呪われた手妻の仁六の魂だったが、素空はその上に数珠じゅずを置き滅した後、今度は小暮喜重郎に向かって合掌した。

 小暮喜重郎が言った。「坊主よ、わしの小柄を避けられるものなら避けるが良い。お前の気が速いか、俺の小柄が速いか、いざ!」言うや否や手に持った手裏剣を3本とも1度に投げ、間を置かずもう一方の3本も投げ付けた。投げた後には3本、また3本と次々に補充され、尽きることなく素空めがけて投げられた。

 素空はもはや僧であり仏師であるだけでなく、虚空直伝の玄術と陰陽道を会得し、その法力は以前の数倍強大になっていた。目は鋭い光を放ち、悪に対する憎悪を剝き出しにした仏の姿に変容していた。同時に、素空の心も変容し、玄々坊素空として小暮喜重郎を見据えていた。

 素空に向かった小柄の手裏剣は素空の眼前で、何の働きもなく空しく消え失せた。素空が放った気が当たった瞬間、小暮喜重郎は大波に呑み込まれたように断末魔の形相で悲鳴をあげた。大波が消えた時、素空の次の業が炸裂して、小暮喜重郎に取り付いた地伏妖が分離して、素空の左側に現れた。小暮喜重郎の魂の残骸は黒い塊になって地面の上にへばり付いていた。素空は黒い塊に一瞥をくれると、地伏妖と対峙した。地伏妖はかなり衰弱していたが、どうにか気力を保っていた。結界の中には虐怒妖と地伏妖と偸盗の頭に取り付いた鬼がいた。地伏妖は、素空の視線をかわすように動きながら、力の回復を待っていた。素空は結界の中で他の鬼に気を配りながら、虐怒妖と地伏妖を捉えるより、この2匹の鬼を争わせようと考えた。

 素空が言った。「地伏妖!お前とは因縁が深いようだ。お前が鬼の頭領なら、手妻の仁六に取り付いた鬼はお前の配下であるか?」

 素空は鬼達の反応を窺いながら、用心して語った。「最後の鬼は何者か分からぬが、お前が先に戦いを挑むなど笑止千万。地伏妖の名が泣くではないか。最強の鬼、地伏妖よいでよ」素空は地伏妖に向かって挑発を繰り返し、鬼の反応を窺った。

 虐怒妖が突然、地伏妖に喰らい付き、2匹の争いになった時、素空は夜蜘蛛の仙輔の様子を窺った。ニンマリ笑みを浮かべた姿は邪悪そのものだったが、2匹の争いに加わることはなかった。

 地伏妖は、虐怒妖の背後に回って渾身の力でその体を素空の前に放り出した。虐怒妖は、突然、戦いの準備もなく素空に立ち向かうことは無謀だと承知していたが遅過ぎた。素空は素早く呪文を発しながら、数珠を持った右手を突き出し、虐怒妖を降伏した。虐怒妖はその場に黒い塊となって朽ちた。

 地伏妖は、虐怒妖を背後から放り投げた時、放った手を収める寸前に、素空の左肩目掛けて手を伸ばし、素空の気の緩みを狙って飛び掛かり牙を剥いた。

 しかし素空は、地伏妖の性質を理解していたので、既に全身を硬直させて仏の加護を願った。地伏妖が掴みかかった瞬間、素空の体は金色の閃光を放って、地伏妖の全身に電撃を与えた。地伏妖はその瞬間滅し、この世に黒い塊を残して朽ちた。

 素空は、小暮喜重郎と地伏妖、虐怒妖の地に落ちた3つの塊に経を唱えて消滅させた。この時、3つの邪悪な塊は、この世に1片の痕跡も残すことがなかった。3つの邪悪な塊は、素空の経が始まると低い苦しみの声を上げ、この世にも地獄の隅にも痕跡を残すことなく消滅した。

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