飛騨の仙人 その3
翌日は玄々様が来る日だったが、克治はガッカリした顔で素空のところに遣って来た。
「素空様、カラスが参りまして玄々様の文を頂きました。つまり、玄々様はおいでにならないと言うことです」克治の手には2通の手紙が握られていた。
素空は文の内容が気になっていたので訊くことにした。山ではただならぬことが起きているような予感がしたためだった。
克治が答えて言った。「玄々様はお山にご自分がいるせいで、忌まわしい奴らが集まって来ているから、何があってもご自分のところには来ないように仰せです。自分はここに来られないので、カラスを暫らく預かって、やがて、素空と言う力の強い僧が来た時、カラスを連れて山においで願うようにと仰せです。このカラスは、玄々様が
素空はもう1通の手紙の宛先を尋ねた。
「この文は
「京の
素空は事態が逼迫していると感じた。
素空が言った。「克治様、私達は玄々様のもとに急がねばなりません。これからすぐに出立いたしますが、京へ参る時、この文を
素空は言うが早いか、荷物をまとめて
克治は、歩き始めた素空を呼び止めて、カラスを渡そうとした。
「克治様、このカラスは後に遣って来る、力の強いお方のものです。そのお方にお渡し下さい」素空はもう1人の素空と言う名の僧を気にするゆとりはなかった。そして、素空は既に急な登りの山道に入っていた。栄雪が慌てて素空の後を追い、カラスも飛び立ち2人を追って山道を進んだ。
『あなた様は力の強いお坊様です。夕べ干支の置物が動きだすのをシカと見ました。何より玄々様は素空と言う
素空と栄雪は歩きながら力の強い僧のことを語り合った。素空は今でも自分のことではないと思っていたが、栄雪は、素空に間違いないと決めていた。
栄雪の肩には遣いのカラスが暫らくおとなしく乗っていたが、時折ゲッと鳴いて栄雪に嫌がられた。カラスの方は栄雪の肩がすこぶる気に入った様子で、時折ゲッと鳴く他にも
素空は坂が急になりだすと、紐を1本取り出し、栄雪と自分の僧衣の帯に通して結んだ。こうしておくと何者かに不意を衝かれても
山が急峻になって来た。既に左右の分かれ道を過ぎて半里もしない先に玄々様がいる筈だった。素空は歩みを進めるうちに茂みの奥に何かしらの気配を感じていた。目を向けても漆黒の闇にしか見えなかった。素空は栄雪に用心するように伝えると、経を唱え始めた。素空の経はこれまでにない特別の響きを持っていた。側で同じように経を唱える栄雪が胸奥にジンジンと伝わる激しいものだった。すると、茂みに潜む暗闇が一瞬遠くに下がったように周りの茂みが明るくなり、天上から陽が射し込んで更に辺りを明るくした。
「さっきまでの薄暗さが嘘のようですね。今がまだ
栄雪は自分の軽口の癖がこの緊迫した空気に負けたことを悔やんだが、既に黒い気配は2人に襲い掛かって来た。素空は素早く結界を張り、迫る暗闇の1つに調伏の呪文を投げ掛けた。素空の数珠が金色の閃光を発しながら宙を1振り飛んだ時、暗闇の中から「ギャアッ」と悲鳴が聞こえ結界の前に黒い塊が落ちて来た。
黒い塊は醜い形に変わり、素空の倍もあろうかと言う黒い化け物に化身した。
「お前は何者か?他の者は何故でて来ないのか?」素空は注意深く黒い化け物に問い掛けた。すると、その化け物がせせら笑いながら言った。「お前が素空か?玄々坊のお待ちかねの素空とは、お前のような若造だったか!ワッハッハッハッハ」愉快そうに笑う化け物が名を名乗った。わしは
素空は結界の一部が破壊された瞬間を逃さなかった。
打手妖の腕が結界の中に入った瞬間、素空は呪文を唱えて数珠でその手を絡め取った。思いっきり引っ張ると肩口まで結界の中に入り込み、素空の調伏術が数珠を介して打手妖の全身に伝わった。
「ウワワワワーウ ウエー!」打手妖の黒い塊は結界を滑り落ちて素空の1間前の地面に叩き付けられた。打手妖は既にひと塊の暗闇になっていたが、素空はその塊に数珠の端を当てて調伏術を施した。すると黒い塊は更に小さくなり、地面に黒いシミを残して消えた。しかし、素空はそのシミに数珠を当て経を唱え始めた。地の底から吐き捨てるような悲鳴が聞こえたかと思うと、数珠を当てた地面には何の痕跡も残らず、打手妖が完全に消滅したことを示していた。
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