戦場の霊 その3

 翌日、素空と栄雪は仏壇の移動を手伝った後、関原孫士朗に丁重に挨拶して今須いますを後にした。関原孫士朗には再会を約束したが、場合によっては素通りすることもあると危惧した。素通りするとなると、原因は鬼の存在だろうと覚悟をしていたが、栄雪にもこのことは話していなかった。関ヶ原のすべての霊が、鬼に取り付かれでもしたら、命を懸けた壮絶な戦いが始まる筈だった。

 今須から関ヶ原までは下りのだらだら坂を足を取られないように歩んだ。途中で栄雪が昨夜外出していたようだが、護摩も焚かずに何をしていたのか訊いたので、すべてを話して聞かせた。

 栄雪は、虚空の法力を畏れたような言葉の後、と言う同じ名前の僧の存在に興味を引かれた。栄雪が言った。「素空様より力の強い、もう1人の素空様とはどのようなお方でしょう?私としては、虚空様より、その素空様とお会いしたいものです」

 歩きながら、栄雪は1つ川を越えたところに丸石の大きな塚が幾つもあるのに驚き、素空と2人で短い経を唱えながら、戦死者の霊を慰めた。

 「素空様、供養塔の数が戦いの凄まじさを物語っていますね。私には人と人とが殺し合う訳が分かりません」そう言うと、栄雪は塚石の上に涙を落とした。

 素空は、心優しい相棒に優しく語り掛けた。「人は権力のもとでしか生きられないのかも知れません。ある者は権力をその手に掴もうと戦を挑み、また或る者は大切なものを守るために必死に戦うのです。戦いで命を落とした者は、この世でやり残したことがあったでしょうに、悔いを残して死んで行ったことでしょう。そして、その霊はこの塚の下に今も蠢いているのです。やっと今、戦わずして世を治める日が来たのです。ですから私達は、この霊のすべてを早く冥府に戻さねばならないのです」素空の言葉が、栄雪の心に沁みた。

 幾つもの塚を渡った時、栄雪がフッと言葉を掛けて来た。「素空様、これだけの霊のうち1つくらいは封印のないものがあるかも知れません。1度お試しになっては如何でしょう?」

 素空は迷ったが、栄雪の言葉に従い小さな塚の前で経を唱え始めた。しかし、地中の霊は蠢くばかりで、素空の経には応えてくれなかった。

 栄雪は街道から遠く離れた小さな塚を見付けて、素空にもう1度試みるように頼んだ。素空は気乗りしないまま塚の前で手を合わせ、経を唱え始めた。

 素空は驚いた。地中に蠢く筈の霊達がまったく気配を示さなかったのだ。

 素空が言った。「栄雪様、急がなくてはなりません。既にこの塚は空です。ひょっとすると鬼の手に落ちたやも知れません。急ぎ飛騨ひだを目指し、虚空様を探し出さなければなりません」

 2人は中山道なかせんどう加納かのうを目指してひたすら歩いた。

 「素空様、ここは大垣おおがきです。托鉢をして明日明後日あすあさっての食い扶持を求めなければなりません。お急ぎでしょうが、大垣のご城下まで足を延ばしましょう」栄雪の勧めに素空は異を唱えなかった。自分のはやる心を見てのことで、このような時栄雪は冷静だった。

 大垣を回って2時ふたとき(4時間)ほど余計に時を使ってしまったが、栄雪はニンマリ笑って銭と米袋を差し出した。「これだけあれば飛騨入りも楽でしょう。もうすぐ加納です。夕刻までに1時いっとき(2時間)ほどの余裕がありますので、ご城下で托鉢することにいたしましょう」

 素空は、托鉢に勢い付いた栄雪を見て、守銭奴しゅせんどさながらのがめつさに違和感を覚えた。しかし、栄雪が素空の心を見取って言った。「おや、素空様、今は過分にあると見えても、飛騨で人を探すのは容易ではありません。その時この金子が役に立つのです。過分な食料は山で難渋しないように干飯ほしいい干芋ほしいもに交換しておきます。また、米以外の物も蓄えなければなりませんが、先ずは郡上八幡ぐじょうはちまんで用意のすべてを調えたいと存じます」

 素空は、栄雪の段取りの良さに驚いた。やはり、自分の欠けたところを補ってくれる大切な相棒だと思った。そして、素空は素直に詫びて自分の未熟さを恥じた。

 加納で托鉢すると、大垣より少なかったが相当の金子と米が手に入った。

 例によって、栄雪は銭袋を揺すってニンマリ笑ったが、素空はこれが栄雪の冗談だと初めて気付いて笑いを返した。

 栄雪は加納城下のいちを覗くと、日干しの魚を何枚も買って油紙に巻いて背中に背負った。日干しの魚は目刺しと鯵の開きだった。

 素空が、栄雪に尋ねた。「食料は郡上八幡で調達するのではなかったのですか?」

 すると、栄雪が事もなげに答えて言った。「これは海の物で、郡上八幡では高値で取引きされる筈です。これだけあれば、色々な物と交換ができる筈です」

 素空は相棒の商才に舌を巻いた。「栄雪様には到底敵いません」素空と栄雪は声を出して笑った。

 加納城下から郡上街道ぐじょうかいどうへの道を急ぐ途中、城下の一角いっかくに高札が立てられていた。触れの内容は『明後日、偸盗頭目ちゅうとうとうもく 夜蜘蛛の仙輔やぐものせんすけ 一味 韋駄天熊吉いだてんくまきち 手妻の仁六てづまのにろく 小暮喜重郎こぐれきじゅうろう 4名の斬首を行う…』と言う、ありきたりの高札だった。戦乱の世が終わったとは言え、人心の乱れは根深く傷を残し、生きるがために悪事に走る者も後を絶たなかった。

 素空は高札を見て、何やら妙な胸騒ぎを覚え、4人の名を脳裏に留めた。

 2人は郡上街道を1里ほど入った辻堂つじどうで1夜を過ごすことにした。中はガランとして仏像が1つもなかった。

 「栄雪様、このお堂は妙に閑散としていますね。かがみではあれほど多くの御仏像がありましたが、ここには1体の御仏像も祀っていません。この地では人の心がすさんでいるのでしょうか?辻堂に祀るものがないとは不可解なことです」素空は城下の高札を見た時、妙な胸騒ぎを感じたように、この辻堂にも同じ胸騒ぎを感じた。

 栄雪が言った。「お堂の中を広くするために、誰かが御仏像をお堂の外に出したのかも知れません」

 素空は、栄雪の言葉でハッとした。お堂の周りを捜せば真偽のほどがハッキリすることだった。「栄雪様、明かりを用意してお堂の周りを調べましょう」

 素空と栄雪はお堂の裏の床下に3尺から4尺の4体の立像と3尺の坐像を発見してお堂の中に運び込んだ。5体の仏像は泥と蜘蛛の巣と虫食いでかなり傷んでいた。2人は手早く汚れを落とし、半時のうちに綺麗にした。

 栄雪が言った。「素空様、この御仏像は私が見ても決して作りの良い物とは思えませんが、如何でしょうか?」

 栄雪の眼はかなりしっかりとして来たようだと、素空は頼もしく思った。まさに、栄雪が気付いたように、5体ともすべて贋物だった。

 5体の仏像をもとの位置に戻すとお堂が狭くなり、3、4人が入るだけでいっぱいになった。

 素空が言った。「恐らく、城下の高札にあった4人の盗賊一味がここを使ったのでしょうが、全員で7、8人はいた筈です。全員がここに入るために御仏像を外に出したのでしょうが、罰当たりなことをする者どもです」

 素空は不出来な贋物とは言え、仏像を粗末に扱った罪は決して赦されざる罪となることを思い、盗人達が死後にその責めを負うことになるのを憐れに思った。

 この日、素空と栄雪は辻堂の中で久し振りにぐっすり寝入って疲れを取った。

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