第4章 真の御姿 その1
「何はともあれ、御本尊を手直さねばなりません。栄雪様には、手助けをお願いいたしたいのですが、よろしいですね?」素空の願いは快く受け入れられ、栄雪は見様見真似で刃物を手に、素空に指示されたところを彫り始めた。
開泉寺の仏像は殆んどすべてが同じ彫師の手によるか、一門の手によって彫られていた。
「この御仏像は素人目には不審なところはありませんが、真贋を見極めることができる者には、いとも簡単に贋物と分かるのです。ここをご覧下さい。そこは、御仏には一切不似合いなもので、彫師が見栄えをよくするための勝手な造り物です。真の御姿に出会っていない者には、想像でのみしか彫る術がありません」
素空は、栄雪に真贋の見極め方を伝授しようと思った。
この日から栄雪は
栄雪は驚き、夢でも見ているのかと疑ったが、これが夢でないことはすぐに分かった。素空に声を掛けられたのだった。
「栄雪様、今私は御仏と一体となり経を唱えております。さあ、私と共に心を沈めて御仏にすべてを委ねるのです。さあ、参りましょう…」
栄雪は、素空の後に付いて行けるように深く心を沈めて行った。静寂から無の世界に変わり、眼前には素空の姿しか見えなかった。
突然、目の前に強烈な金色の輝きが現れ、目をあけていられないほどになった。目を閉じると、強烈な金色の輝きが次第に収束して行くのが分かったので、栄雪はゆっくりと目を開いた。そこには金色に輝く素空の光背が見え、同じくらい金色に輝く中で女人が微笑んでいるように見えた。栄雪は両目を見開いてしっかりと見極めると、そこには
栄雪は聴き取るために近くに寄ると、ふくよかな顔は男でも女でもなかった。初め女人のように感じたのは、唇が紅を引いたように紅いせいで、見るほどに不思議な雰囲気を感じたが、人ではないのは明らかだった。
開泉寺の本尊はまさしく文殊菩薩で、今目にしている菩薩が本物の仏なら、寺の本尊はまったくの贋物だと言うことがすぐに分かるのだった。
栄雪は夜中に目を覚ました。今のは現実のような夢だったようだが、確かに現実だったと信じたかった。横には素空が寝ていて、一緒に仏の前になど行ける筈はなかった。だが、素空は寝入ってはいなかった。「栄雪様、今宵はごゆっくりお休みなさいませ。明日からは先ほどの文殊菩薩様が彫りの助けとなって頂けるでしょう」素空がそう言った時、栄雪はドキッとした。
『あれは現実だったのだ…しかも…』栄雪は、横で微かな寝息を立てている素空の端整な横顔を畏敬の念を込めてジッと見詰めた。
素空は、栄雪の助けを得て5日後に本尊の文殊菩薩を真の姿にした。
「おお、これは前の御本尊と比べれば、何と見事なでき栄えだろうか!これが真の御姿だったとは…」庄源和尚は感に堪えないような声を発して目を細めた。
やがて、いつもの顔に戻り親し気な笑顔で素空に語り掛けた。
「素空様、この御姿が御仏そのままなのでしょうか?立派に仕上がっていることが分かるくらいで、恥ずかしながら、実のところ本物かどうかの見分けはできません。よろしければその見分け方をご伝授下され」
栄雪は、父の申し出に驚き、慌てて質問を取り消すように言ったが、素空には庄源和尚に答える用意があった。
「和尚様、御仏像の真贋を見極めるためには、心のありようを御仏の如くにすることです。さすれば、真の御仏は容易に分かるでしょう。和尚様には朝な夕なに御本尊と語り合ううちに、必ずや真の御姿になったこの御本尊様が、御仏の御降臨を示して下さることでしょう」
素空が答えると、庄源和尚は不服そうに問い返した。
「拙僧はこれまで如何なる時も御仏の前で、いつも心から
素空は微笑みながら答えた。「それならば良いのです。僧が御仏にのみに倣いて生きることは悟りへの近道であり、経は御仏と語り合う術なのです」
庄源和尚は、素空のこの言葉で赤面し、我が身を恥じて謝罪した。この時まで、日常の諸事と変わらぬほどの思いしか持たずに経を唱えていたことを思い知ったのだった。
素空の短い言葉は、庄源和尚の半生を省みるに足る示唆をもたらし、この後の生き方を変えるきっかけになった。
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