桜祭り その4

 志賀市衛門と孝衛門は檀家衆と共に、本堂に座して住職のお出ましを待っていた。檀家衆とは各家の主である亭主達のことで、女房達は寺の近くの家を借りて夕食の支度をし、庫裏の厨房で配膳をするのだ。

 おウスの亭主も本堂に座していたが、おウスの家は焼き物をするために使わせ、自らも近所の女房達と共に煙に燻されながら手伝っていた。

 賄いは、飯、汁物、煮物、焼き物などに分かれて、近くの家から順に振り分けられておウスの家が一番遠くだったため、焼き物を用意することになったのだった。60の膳が志賀孝衛門の屋敷から運ばれ、お椀や器や箸などは市衛門が用意した。他の檀家代表達は紅白饅頭と第1回目の桜祭りを記念した手拭いを用意した。

 志賀観音寺の檀家達は、それぞれに厚い信仰を持っていたが、それは50年前と30年前の忌まわしい記憶があったからだった。

 里人が寺の建立を望み続け、昨年悲願が叶ったのだから、喜びも一入ひとしおなのは間違いのないことだった。

 旅芸人の興行も終わり、屋台の出店も店仕舞いを始めた頃、寺の1周年を祈念する法要が始まった。一貫、松仁大師、素空、栄雪の順で本堂に入堂すると、祭壇の前に座った。素空のことを知っている者も、知らない者も素空の経の噂を耳にしていたので檀家の全員が素空に注目した。

 松仁大師が初めに経を唱え始めると、皆一斉に後に続いた。素空は声を出さずに心の中で唱えるのみだった。桜祭りで松仁大師の先を唱えるのが憚られたからだった。

 経が2本終わったところで、松仁大師が檀家衆に向き直って法話を始めた。松仁大師は1年の歩みと本日の労いを口にすると、仁王門の手直しをした素空のことに触れ、皆の信心が益々深まり、互いの絆が一層強まるように祈願してもらおうと言った。素空は突然だったが、住職の思いを理解して経を唱え始めた。

 素空の経は檀家全員の胸奥に響き、感動を与えた。檀家達は仏道の奥深さがこの経に集約されていることに気付いたが、自分が何故そのようなことを思うのかが不思議だった。素空の経が、他の僧とは明らかに違うことは、聴いた者が漫然と後に続くのではなく、思いを深くするところにあった。素空の経を聴き、後に続きながら思いを深くすることは、より信心深くなると言うことなのだった。

 素空の声が響くと、門前の家で炊き賄いをしていたおかみさん達が、急にソワソワしだした。自分達も側で聴きたいと思いながら、飯が炊けるのを今や遅しと待っていた。

 米は2升釜を2つ並べていたが、早く炊きあがった方のおかみさん達が小躍りして喜んだのを見て、仕切り役の志賀市衛門の女房がひと声掛けた。「みんな分かっているだろうけど、飯炊きは皆一緒だよ。最初に終わった者は、最後の者と一緒に行くんだよ。例えお経が終わってしまおうがいいじゃないか。辛抱は功徳を積むのさ。お経を聴きに行くより仏様はお喜び下さるでしょうよ」

 市右衛門の女房は上手くおかみさん達の気持ちをなだめて、炊き上がった飯を5つの御櫃おひつに詰めると、庫裏の厨房に運んだ。5人のおかみさん達は御櫃を胸に抱えて急ぎ足で向かったが、境内に入ると途端に足取りが重くなった。素空の経はまだ続いていて、ゆっくり歩むとよく聴くことができたのだった。

 御櫃おひつを通して胸を震わせる声が、本堂から10間離れた境内で響いて来るのだから不思議を感じざるを得なかった。おかみさん達が5間の距離まで近付いた時、素空の経が止んだ。この時、吸い物の鍋を持っていた4人のおかみさん達も、境内の中ほどまで遣って来ていたが、庫裏まで運び終わると、本堂を覗き込み、口々に素空の経とその容姿について触れ回った。他のおかみさん達は自分の仕事に専念し、こんな自由勝手に動くのを我慢していたのだった。

 「さあ、みんなやるべきことをやるんだよ!」志賀孝衛門の女房おフサが皆の気持ちをまとめようとして手を叩きながら言った。

 「お膳は60脚あるから大丈夫です。とりあえず30脚に吸い物を乗せ、ご飯を装って下さい。焼き物が届いたら器に乗せて、厨の出口で吸い物を注いでもらって運んで下さいな」おかみさん達は手馴れたもので、おフサの言葉でそれぞれの役割まで決められていたかのようにサッと動いた。段取りが調った頃、おウス達が焼いた鯛の塩焼きが到着した。鯛は尾頭付きで4尾、他はすべて頭と尻尾が分かれていた。言うまでもなく尾頭付きは4人の僧のためだった。

 すぐに吸い物が注がれ、30脚の膳が瞬く間に運ばれて行った。次に20脚余りの膳が用意され、これも瞬く間に運ばれて行った。膳の支度がすむと頃合いを見計らったかのように、本堂からぞろぞろと檀家達が遣って来て、それぞれの座に着いた。とは言え、決まった座と言うのではなく、檀家総代の志賀孝衛門から4人の檀家代表世話役が僧の次の上座に座り、地域ごとの世話役が続き、世話役経験の古い者から、若い者へと続くのだった。向かいにはおウスの亭主のように自宅を賄い場に貸した者と、賄いの加勢に来た者の亭主が座った。その他の席は暗黙の了解のもとで、適当に座に着くのが恒例だった。『寺が人の集まりであればこれも止む無し』志賀孝衛門との話の中で、松仁大師が言った言葉だった。

 焼き物組にいたおウラと言う女房が、おフサに小声で話し掛けた。「おフサ様、おウスさんの家で妙なことがあったんですよ」そう言うと周りにひと目くれながら、また囁くように言った。「今日は焼き魚だから家中煙だらけで、さぞ魚臭くなるだろうって言ったんですけど、おウスさんは平気な顔でしたよ。何故って訊いたら、『ご仏壇まで煙にまかれたら御仏が御助け下さるに決まっているからさ』なんて言うんですよ。そしたら、ホントに家の中を風が吹き抜けて、煙が外に出て行ったんですよ。それも、焼いている間ずっとでしたよ」

 おフサは、おウスが懐地蔵を持っていることを知っていた。信心深い数人の者しか知らない不思議があったのだが、すべてを明らかにすることは信心の薄い者には毒となることを知っていた。

 おフサが言った。「おウラさん、このことは決して人に言ってはいけません。他に気付いた人がいたなら、その人にも口止めをするのです。御仏に罰を与えられないように、必ず私の言った通りにするのですよ」おウラはしっかりと頷き、おフサに目を向けた。

 おフサは用心のために、もうひと言付け加えた。「素空様とおっしゃるお若いお坊様がいらっしゃる時は、おウスさんをお守り下さるのですよ。昨年おウスさんが、素空様方の夕餉ゆうげを用意した時、最後の日に大変感謝されたのですよ。その時、『御仏の御加護を願っております』とおっしゃられたそうです。努々口外しないように」おフサは何時になくピシッとした口調で厳しい眼差しを向けた。

 話し終えると、笑顔でおウラに言った。「さあ、お膳を出し終わったらお楽しみが待っていますよ。皆さんもお座敷が食べ終わる前にお上がりなさいませ」

 おフサが言うや否や、お椀に茶碗、小皿などが飛び交うように動き、おかみさん達のもとに届いた。皆手を合わせて感謝すると、ご飯やおかずを口に入れた。座敷はお代わりなしだったので、残った料理はすべておかみさん達の物だった。おフサは食べ物を分ける前に、握り飯を6個、鯛の尻尾の方を3切れと漬物を竹の皮にくるみ、それを竹籠に詰め込み、既に用意しておいた竹筒に白湯さゆを入れた。これは、風呂番のエツが里に帰るための心尽くしだった。

 おフサが取り分けた後、おかみさん達がご飯や焼き魚を器に取分け始めた。20人近いおかみさん達は、決してわれ先にには取らず、貧しい子沢山から順に取り始めた。おフサは言うまでもないが、世話役衆の女房達は後回しだった。貧しい者は見栄を張らずに皆に甘えて、子供を喜ばせようとした。賄に加勢したおかみさん達は、詰め込み終わると、先に帰って行った。志賀の里も他と同じように、盆、正月にしか米の飯を食べることができなかった。志賀家の歴代に渡って信心深いのは、志賀の里が貧しいが故に里人を思い遣ってのことだった。毎日、里が豊かになるようにと、仏に祈るうちに志賀家は信心深くなり、里人は当主の心に適うようにと、次第に信心深くなったのだった。


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