桜祭り その3

 夜が明け、4月2日になった。志賀観音寺の建立祭である「桜祭り」が執り行われる日になった。

 巳の刻みのこく(午前10時)から申の刻さるのこく(午後4時)まで、約半日の間は花見の檀家衆でいっぱいになるのだったが、門前の道沿いに出店が並び、大人も子供も喜びに満ちた表情で行き交った。

 志賀孝衛門しがこうえもんは従兄弟の市右衛門いちえもんと共に仁王門で立ち止まっていた。2人は同時に合掌し短い経を唱えると、何やらブツブツと口の中で呟き始めた。志賀市衛門は昨年仁王尊に命を救われた礼を述べ、孝衛門は従兄弟とその家族や奉公人達を救ってくれたことに感謝した。これは2人が寺を訪れた時の決まりごとになっていた。

 「桜祭り」はこの年からずっと続くのだが、今年はその始まりの年で、祭りを主催する檀家代表5人の苦労は相当なものだった。ことに志賀市衛門は、玄空大師の手直しによる仁王像のお陰で一家の命を救われたのだから倍の働きを見せた。未の刻ひつじのこく(午後2時)に行われる歌舞音曲は、市右衛門が京の一座を招いて開催されることになっていた。

 「市右衛門さん、まだ2時ふたときも早いではありませんか。一座の人々は手馴れておいででしょうから、心配には及びませんよ」志賀孝衛門のなだめにも上の空で、やきもきするばかりの志賀市衛門だった。

 出店でみせでは子供連れの客を呼び込む声が響き、境内に入ると主だった檀家達が松仁大師に挨拶したり、本堂で経を唱えたりしていた。熱心な檀家の多くが、素空の経を聴きたいと密かに思い、素空を探していた。素空は客間にいたが、檀家衆の誰もが客間を覗くような無礼はしなかった。

 松仁大師は挨拶が一通り終わり、庫裏に下がろうと思って振り返ると、一貫いっかんが近寄って来てひとこと告げた。「お住職様、庫裏にお戻りでしょうか?」

 松仁大師が頷いて答えると、一貫が耳元で囁いた。「お住職様、客間では素空様が何やら無心に御仏を彫っていらっしゃいます。栄雪様にも私にも、暫らく1人にして欲しいとおっしゃって閉じ籠られたのです」

 松仁大師は、一貫の言い方に怪訝な顔をして暫らく考えを巡らした。昨夜、廊下で彫り物をしている後姿に金色の輝きを見たことと、客間に籠ったことには何か関係があると思った。『素空様はご自分の体から金色の光が発することをご承知なのだ』松仁大師は金色の姿のまま何かを成し遂げなければならない訳があるように思った。

 松仁大師は本堂に行き、栄雪に会ってその訳を訊いた。

 栄雪が言った。「松仁様、素空様は2体の御仏を彫っておいでなのです。1体は大津の百姓夫婦のために、もう1体は志賀孝衛門様のお屋敷で風呂番を務めておいでのお方のためです。今、急ぎお彫りの御仏は、風呂番のお方に差し上げる薬師如来様です」

 松仁大師は、栄雪の話で理解ができた。『素空様は何かに集中する時、御仏と一体になり金色の光を発するのだろう。1昼夜休みなく過ごせるのは御仏と一体になったためにお体の疲れを癒されたからだろう』

 松仁大師は冴えていた。今は興仁大師こうじんだいしと言う後ろ盾がいないせいで、何でも自分で解決しなければならないためだった。

 「栄雪様は何故素空様に同行したのですか?」突然、松仁大師が尋ねたので、栄雪はどう話そうかとしばらく考えて答えた。「手短に話せば、私が一心に尊敬をするお方だからです。天安寺での修行は幸多い日々を与えてくれましたが、御仏同様の素空様に従うことは、浄土への鍵を与えて下さると思ったからです」

 『浄土への鍵とな?』松仁大師は尋ねるともなく呟いた。

 境内では3本の桜が5分咲きになり、花弁がほころび始めた枝は、これから満開を迎える期待に満ちているようだった。気の早い者は境内の隅に茣蓙ござを敷き、桜を見ながら宴を始めていた。その宴席に松仁大師と一貫が本堂から呼びだされ、酒やさかなで持て成された。2人はしたたか酔い、腹も十分満腹になったところで、素空と栄雪の昼食をだすことを思い出した。「一貫や、お2人に昼餉ひるげをお出しせねばならぬが、用意してはくれまいか」松仁大師に命じられて、一貫が庫裏の方に向かった。

 一方、志賀市衛門は昼食など喉に通らぬほど気をもんでいた。既に孝衛門の気休めなど聞くべくもなく、市右衛門は熱を出して倒れそうな有様だった。

 未の刻ひつじのこく(午後2時)には半時ほど前だったが、このような催しに詳しくなくても、一座の到着は既にすんでいなければいけないと思う頃だった。それから更に小半時(30分)経った頃、やっと一座が門前に現れ、観音寺の石段を上ったところで市右衛門と対面した。座長が言うには、荷車の車輪が外れて1時ほど修理に時間が掛かり遅れてしまったと、すまなさそうな顔をした。

 「さあ、皆様一座の方々をお通し下され。未の刻ひつじのこくから始めましょうぞ」

 志賀市衛門は途端に元気になり、檀家衆も一緒になって段取り良く舞台回りが整えられた。本堂の祭壇には住職の許可を得て幔幕が張られ、本堂の一部が縁側と共に舞台になった。また、庫裏を楽屋にするために衝立で部屋が4つに仕切られた。客間は座長の楽屋にする筈だったが、素空一行が逗留したため、座長に許しを願って一座の踊り手と一緒に庫裏に設けた。

 ところが、一座の中の踊り子が何気なしに客間の襖をゆっくりと開けて、片目で中を覗き見た。踊り子は15才で、名をエイと言った。

 おエイは中にいる若い僧の顔を見た途端、胸が締め付けられるような苦しさを感じ、やがて動悸が激しくなって、立っているのもままならない状態になった。

 おエイは、素空に一目惚れだった。生まれて初めての経験であり、自分でもどうしようもない心の昂りに驚いていた。

 一座はきょう川上屋勧兵衛かわかみやかんべえが座長を務め、男衆6名、踊り女5名と見習いの踊り子が3名の総勢15名だった。一座の者には血縁はなかったが、家族のような固い絆があった。座長の勧兵衛は温厚で、人情厚い人だったが、若い頃には血の気が多く役者仲間との折り合いが悪く、芝居小屋を転々としていた。一座の座長になったのは5年ほど前で、28才の頃だった。6名の男衆は、勧兵衛とさほど変わらない生き方をしていたし、5人の踊り女も一通りの苦労の末に一座に加わったのだった。

 おエイは10才の頃、1両2分で勧兵衛に買われたのだが、親元を離れて初めて人の温かさを知ったのだった。読み書きができなかったおエイだったが、一座の者達の手解きを受けて、台詞せりふの読み書きや演目の書き上げもできるようになった。

 おエイは器量が良く、賢くて健康だったので、座長の勧兵衛は『男だったらひとかどの役者になれるだろうに、可哀そうなことだ』と常々思っていた。1両2分で買ったとは言うものの、阿漕あこぎな人買いに買われて行くところに通り合わせたのが縁だった。勧兵衛一座は当時7人の旅芝居一座だったが、皆快くおエイを受け入れ、それと共に踊り女も役者も増え、3年後には京でも名の知れた一座になり、河内かわち紀伊きい尾張おわりまで興行を仕立てるほどだった。

 おエイは客間を覗き見た後、急に体が熱くなり一座の者を心配させた。「おエイちゃん、奥に布団を敷いたから1時いっときの間横になっておとなしくしているんだよ、いいね!」姐御あねごのマツが気遣わしげに言った。

 やがて、未の刻(午後2時)をほんの僅か過ぎてから、舞いと芝居が始まった。

 おエイは1人布団の中でジッとしていたが、隣の僧がどうにも気になって仕方なかった。おエイは思い切って起き上がると、客間と庫裏を隔てていたふすまをそっと開け、素空の前に座った。

 素空は手を止めおエイに向き直り用向きを尋ねた。

 おエイは顔を赤らめるだけで、何も語ることはなかったが、その仕草で素空は気が付いた。おエイも初めての体験だったが、素空にしても同様のことだった。

 暫らくしておエイがやっとの思いで素空に尋ねた。「お坊様は一体何をお彫りなのですか?」問い掛けた後、また顔を赤らめて素空を覗き込んだ。

 素空は緊張して頭の中が渦を巻き、混乱の極致だったが、何とか言葉を返した。「これは薬師如来像です。あるお方の母上様のために、桜祭りが終わるまでに仕上げたいのです」素空はこの娘が好きになったことを感じた。胸の高鳴りや、思考が止まるくらいに魅力的な娘の眼差しが、自分の心を捕えて離さなかった。素空は手を止めたまま、おエイと暫らく話をし、ぎこちない遣り取りの中で時が止まったような不思議な体験をしていた。幸せな時がしばらく続き、おエイの生い立ちを知って哀れに思った。やがて、話しが素空の彫り掛けの仏像に戻った時、素空の恋は終わった。

 「お坊様、『ヤクスノライゾウ?』とはどのようなお方なの?」おエイの問い掛けを耳にした時、素空は我に返った。おエイが仏道とはまったく無縁の生活を送っていることに気付いたのだ。おエイの瞳に吸い込まれた時の感覚は、まさに仏が自分の前に姿を現したような喜びに似ていると思った。しかし、おエイの暮らしの中に、神仏の姿がまったく無縁なのはおエイのせいではないのだと思った時、素空はひとつの名案に辿り着いた。

 『知らないのなら、教えればいいのだ』素空は、おエイとの話を切り上げると、持っていた端材で4寸の素材を作り、それに小さな慈母観音像じぼかんのんぞうを彫り始めた。親との縁が薄い娘に、母親は何時も深い愛を持っていて、おエイを思っていることを伝えたかったのだ。

 おエイは、幕間まくあいに様子を見に来たおマツに引き戻され、無言で元のように布団に入って目を閉じた。人に何かを期待することなど、これまでになかったことだったが、素空をひと目見た瞬間、何か知らない期待のような、胸の高鳴りがしたのだった。しかし、素空と同様、そんなトキメキのような心持ちは今は消えていた。おエイは期待と失望の日々の中で、常に前を向いて生きて来た。初めての思いが恋と言うのかも知らないほど、幼いトキメキの余韻を抱きながら、眠りに落ちて行った。

 素空はこれまでにないほど大急ぎで、道具を駆使して彫りを進めていた。客間には素空が1人、肩口に金色の光を帯びたまま、彫り物に没頭していた。手には胸に幼子を抱き、頭にかんむりを付け、腕に天聖宗の証のような大きな数珠を下げ、慈しみの笑みを湛えていた。足元の土台には蛇が彫られていたが、その頭を慈母観音が踏み付けて、我が子に苦難が見舞わないよう守る意志を表していた。全体は中彫りを終わり、クッキリとした像だったが、慈母観音の顔と幼子の姿は見事に仕上げられ、細かな表情が鮮明に写し取られていた。背に「天聖宗、素空」と名を入れた。素空にはそうすることが最も好ましいことだと感じてのことだった。

 素空はおエイのことを思い出しながら、心に残る切ない余韻を噛み締めていた。おエイは布団から出ると、素空を覗き込むような仕草をして話を聴いた。1つひとつ記憶に刻むように頷きながら、やがて自分の知らない世界に引き込まれ始めた。素空は世の中にこれほど愛くるしい人がいたことを初めて知ったのだった。

 素空は慈母観音を彫り終えると、元のように薬師如来像を手にしていた。一座の演目が終わり、あっと言う間に帰り支度をすませると、役者衆は寺を出て京へと向かった。おエイは慈母観音を胸に抱き、見送りの人の中に素空を探したが、素空は客間からでることはなかった。

 おエイは、数年後に思わぬところで素空と再会し、短い一生を終えることになるのだった。その運命は、素空の慈母観音を胸に抱いた時に決まったかのようだった。

 志賀市衛門は荷車のわだちを残して、次第に小さくなって行く一座の後姿を何時までも見送っていた。桜祭りが終わるまで半時ほど前のことだった。

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