第12話 確率なんて当てにならない
目を覚まして最初に感じたのは、全身の痛みだった。といっても、悲鳴を上げるような激しい痛みではない。筋肉痛のような感じ。それが全身をくまなく覆っている。迂闊に動かしたらひどい目に遭いそうだ。
病院だった。
誰に聞かなくても分かる。ここは病室だ。
どこの病院かはさすがに分からないが、このにおいは間違いない。自分が入院しているからか、久々に来たからか、記憶にあるよりもずっと強くアルコール臭がした。
足音がする。二人分。
片方はごっ、ごっ、と荒々しい。もう一方はたん、たん、と軽々しい。お香のような不可思議な香りがわずかに。
きっとあの二人だろう。
俺の正しさは三秒後に証明された。
引き戸が轟音を立てて開く。あまりの音の大きさに俺は耳を塞ごうとして、筋肉痛に阻止された。急に動かしたせいで全身が激しく痛み、思わず悲鳴を、
「キャンッ」
――犬の鳴き声がした。
途轍もない違和感に眉をひそめる。今、俺は悲鳴を上げたよな。なぜ犬の声がした?
しかもその犬の声、
朝木が溜め息をついた。
「その状態で起きたのか。ま、説明が楽でいいや」
そろそろと首を動かして、朝木を見上げる。なんだか視界がおかしい。眼鏡がないから、とかじゃなく、全体的に色がくすんで見える。
ひどく不機嫌そうな顔をした朝木が丸椅子にどっかりと座った。三白眼が俺を睨み見る。
「いいか、橘の呪いは無事に解けた。が、お前は呪われた。これを見ろ」
目の前に鏡が置かれた。
鏡には犬が映っている。ベッドに横たわる犬。ゴールデンレトリバーと柴犬の雑種のような、よく分からない姿の犬。
「わうっ?!」
なんだこれ、と言ったつもりだった。なんだこれ。なんだこれ?!
「お前はあいつに呪われて、犬にされたんだよ」
「とりあえず、コントロール次第で人間にもなれるみたいだから安心してねー」
と新保。
「月くんはこの七日間、ずっと犬になったり人になったりを繰り返してたんだよ。疲れたでしょー」
なるほど、この筋肉痛はそのせいか。などと平静を装っている場合ではない。
……七日間?
俺が視線で反復横跳びをしていたから察したのだろう。二度目の溜め息。
「そう、もう七日経った。で、あいつは見つけられなかった」
つまり、それは――。
俺にとどめを刺すように、朝木がばっさりと言う。
「お前の呪いは完全に定着した」
俺は言葉を失った。何もかもうまく飲み込めない。状況も言葉も、唾すら。絶望するには理解が足りない。理解するには異常すぎる事態。これを、一体、どうしろって言うのだろう?
「でもねぇ、解く方法がまったくないってわけじゃないんだよ」
と、フォローを入れた新保が、目線を宙に泳がせる。
「……ちょっと……時間と手間と費用とあれやこれやがヤバすぎて……いっそ解かないで慣れたほうが早いな、って思うくらいで」
フォローになってないぞ、と声が出せたら言うのだが。
「そこで、だ。月里」
急に朝木の声音が変わった。
「オレたちとチームを組まないか」
チーム? 俺の耳がぱたりと動く。
朝木は取り繕ったような仏頂面で続けた。
「魔法に関わる犯罪が起きた場合に、魔法局の捜査官と警察がチームを組む、っつー制度がある。それを利用して、お前を魔法局の臨時捜査官に迎え入れたい、ってーことだよ」
「呪いの詳細もよく分かってないし、呪いの制御の訓練もしなきゃいけないし、解くためにもいろいろ調べなきゃいけないからねー。魔法局にいてくれたらウィンウィンのはずだよ」
「親組織が一緒だからな、書類上は異動ってことになる。どちらにせよ、そんな呪いを抱えた状態で交番勤務なんて出来ねぇだろ」
どうだ? と朝木が問いかけてくる。
それがあくまで形式的な問いであることは分かっていた。状況が状況なんだ。俺に与えられた選択肢は一つしかない。
病室のカーテンが翻る。
『病気治ったらね、犬を飼いたいんだ!』
『それはいいな。じゃあ、お前のために、世界で一匹だけの特別な犬を見つけといてやるよ』
『マジで? ありがとう、兄ちゃん!』
俺は一体、何万分の一の確率を引いたのだろう。
だが、不条理を嘆くのにはもう飽きた。
朝木が苛立たしげに爪先を揺らす。
「おい、どうすんだよ」
今はただ、犬から人間へイエスと伝える方法を知りたい。
――これが、後に《日進月歩》と呼ばれる最強チーム誕生の瞬間であった。
おしまい
チーム・日進月歩は呪いでつなげられる 井ノ下功 @inosita-kou
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