第17話 同人即売会に行こう!〈ヤバい人たち集合編〉



「今日も売り子よろしくねー、十郎。でもいいの、今回は報酬なしって」


 隣のオイスター先生が俺の様子をうかがうように見上げてくる。

 俺はざっくばらんに答えた。


「たまにはいいさ。……Shkebのお代がいくらなんでも貰いすぎだったからな」


 春コミと呼ばれる即売会。

 またまたサークル「生牡蠣」の売り子として俺は参加していた。いまは設営を終わらせ、開場するのを待つ時間帯である。


「それにおまえの呼びかけがなにやら物騒だったし。

 『お願い、今回だけはどうしてもいてほしいんだ』ってなんだよ」


「……なんか今回はさ……胸騒ぎがするっていうか……

 あのね、今回頒布する本は、原作元が『即売会でのみ販売可。書店委託禁止』をガイドラインに盛り込んでるジャンルなんだ」


「? それがなんなんだ?」


「つまりね今回、会場のこのへんのブロックに集まったサークルの本は、ぜんぶ原則的に『会場限定品』なんだよ。

 そうなると目の色変えて手に入れようとする人たちが出る。どういう人たちかわかる?」


 聞かれて、俺は会場の入り口にみっちり詰まったオタクたちの行列を見やる。

 傍目にもわかるほど意気込んでいるかれらの目は、心なしか血走っている。開幕スタートダッシュしそうだ。


「……熱心なファン?」


「もちろんそれが大半だと思うけど、それだけなら十郎呼ばないよ」


「わからん……あ、待て」


 なんとなくぴんときて、俺は聞いてみた。


「転売屋?」


「はい正解」


 びしっとオイスター先生が手でOKのサインを出し、その手をくるっとひっくり返して「ゼニだよゼニ」と言った。


「会場限定本はねー、転売したらいい金になるの。希少価値高いからね」


「なるほど……」


 転売屋といえばオタク界隈では「この世すべての悪」ってくらい忌み嫌われている。


「しかし俺にどうしろってんだ。詰めかけている客のだれが転売屋か見分けるなんて芸当、俺にはできねえぞ」


「用心だよ。せめてもの転売対策として今回は購入を一人一冊ずつに制限するつもりだからさ。それで文句言ってゴネる人が出ないよう、男の人にスペースにいてほしいの」


「そうか。了解した」


 嘆かわしいが売り手が女性だけだと舐める買い手が出るというのは聞いている。

 オイスター先生は「うん、いい機会だから、迷惑な参加者の手口おしえとくね」と手を叩いた。


「まずは差し入れに注意ね。手作り食べ物系は特に気をつけて。絶対に受け取っちゃ駄目」


「絶対にか。まあなんとなくわかるよ、手作りは衛生とかも怪しいもんな」


「一時期、ぼくのスペースにいつのまにか手作りのお菓子が置かれてた時期があってね。スポンジケーキを割ったら、中から切断された人の指先が出てきたんだよね。チョコからは抜かれた大人の歯が出てきた。

 それからつぎは同人誌泥棒の手口について説明するけど、」


「ちょっと待て待て怖い怖い怖い! えっ? いまなんて? 指? 歯?」


「え、ああうん。自分の体の一部を切ったり抜いたりして、手作りお菓子に混ぜ込んで置いていった人がいたんだよ。ぼくの熱心なファンだったみたい」


「えええ……」


 ドン引きですわ。即売会ってそんなホラー現象起こる場だったの?


「ちょっとそのレベルはお力になれる気がしませんね……俺帰りますね」


「待てコラぁ! 逃がすか!」


 パイプ椅子から腰を浮かせたら、オイスター先生があわててしがみついてきた。


「放せ! 俺みたいな一般市民じゃなくて警察か呪術師を呼べ!」


「指や歯入れてた人はとっくに逮捕されたから! ぼくは見てないけど、たぶんもう来ないって話だから! 今回はちょっと胸騒ぎするだけだから!」


「その胸騒ぎに不安しかねえんだよ! おまえそういう妙なところでは勘がいいから!」


〈只今より春季コミックコミュニティを開催します~〉


 ぎゃーすかやってるうちに開場の時間が来た。

 ほんとうに逃げるわけにもいかず俺は諦める。




 サークル「生牡蠣」の売り子として、陸続と並ぶ行列をさばく。

 最大の即売会であるコミフィほどの混み具合ではなく、昼前にはその喧騒も一段落した。客の入りがぽつぽつになり、腰を落ち着けて雑談をする余裕もふたたび出てくる。


「おまえが脅すからどうなることかと思ったけど、このまま無事に終わりそうだな。ほっとしたよ」


 オイスター先生にそういうと、「油断禁物なんだからね」と釘を刺された。


「どんな人が訪ねてくるかわからないのが同人イベントなんだから。

 たとえばほら十郎。見てアレ」


 オイスター先生に囁かれて見ると、暗緑色のリュックを背負った中年男性がサークルスペースの前を回っている。サークル主のひとりひとりに話しかけているようだった。


「誰だ? 何してるんだ」


「『緑のリュックおじさん』。即売会ではある意味名物なヒト。もうすぐ来るからわかるよ」


 オイスター先生の言葉通り、ほどなくして緑のリュックおじさんは「生牡蠣」の机の前にも来た。口を開き、


「色紙にスケブいいですか?」


 スケブ。

 それはたしか、コミッションサービスShkebの語源にもなった独特の交流の仕方だ。

 こうした場で、絵描きに頼んでスケッチブックなどに絵を描いてもらうのだ。絵描きが快く受けてくれるなら問題ない……のだが、


「ごめんなさい。受けてません」


 オイスター先生はあっさり断った。

 緑のリュックおじさんはさして残念がるふうでもなく、


「そうですか。新刊と画集一部ずつください」


「いつもありがとうございまーす」


 オイスター先生から新刊セットを受け取り、緑のリュックおじさんが去っていく。

 俺は目をぱちぱちさせてそれを見送り、オイスター先生に聞いた。


「……もしかして、片っ端からスケブお願いして回ってるのか? あの人」


「うん。そういう人は何人かいるけど、特に有名なのはあの人かな。悪名高いともいうけど」


「悪名か……たしかに片っ端からサークル主に声かけるのはちょっと節操ないよな」


 でも俺が頼まれたらウキウキで描いちゃうかも。やってみたくはある。

 が、オイスター先生が首を振った。


「ううん。タダで描いてもらったスケブを後日転売するの、あの人」


「殺したほうがいいのでは?」


 せめて出禁にすべきでは?


「あの人なぜか本は転売しないんだよねぇ……だからこっちがスケブさえ受けなきゃただの客だよ」


 そんなことを話していると、ふたたび机の前にざっと人影が立ちはだかった。

 あわてて俺はお客と思しき人影へと向き直る。


「あ、失礼しました。どれをお求めですか──」


「先生……この男はなんですか……」


「へ?」


 赤いゴスロリ服の少女がわなわな震える指を俺に突きつけていた。

 カチューシャの下から前髪が垂れて顔が見えない。目を丸くしているオイスター先生に、呪詛めいた震え声が向けられる。


「この男は誰ですか……オイスター先生、先生は独身ですよね? サークル『生牡蠣』に男なんていませんよね? なんで男が先生の隣に座ってるんですか? やけに親しげですがただならぬ仲なんですか? 配信で存在を匂わしてもいなかったのに影でか、か、彼氏を作っていたんですか? 汚らわしい……汚らわしい汚らわしい……裏切ったんですね私達ファンを……」


 な、なんだこのヤバい女の子。

 横を見るとオイスター先生は俺の陰に隠れ、「え、えー……ぼくと十郎そんなふうに見える? やだなあもー」と両頬を押さえてもぞもぞくねっている。俺はゴスロリ少女に向き直って淡々と答えた。


「この牡蠣とは単なるビジネス上の関係としてここに座っています」


「せめて売り子って言えよ! よそよそしさが過ぎる!」


 横からの叫びは無視。いまふざけてる場合じゃねえだろこの空気。返答次第では俺が首絞められそうで怖いんだよ。

 と、ゴスロリ少女の横にすっと誰かが現れた。


「落ち着いて」


 革のバッグを下げた、白い服の優しそうな中年女性だった。昂ぶってふーふー息を荒らげているゴスロリ少女の背中をさすりつつ、中年女性がこんこんと諭す。


「私もオイスター先生のファンだからあなたの気持ちはわかるわ。でもねぇ、迷惑をかけては駄目なのよ。この男の人を先生が選んだのなら、見守って祝福するのもファンのつとめ……」


「うっ、ううっ、うーっ」


 ゴスロリ少女が顔をおおって泣き出した。よしよしとなだめながら、中年女性が小声で俺たちに言う。


「ちょっと彼女、向こうで落ち着かせてきますねぇ」


「あ、はい。助かります」


 泣きじゃくるゴスロリ少女と上品な中年女性が立ち去る。その背を見つめながら俺はオイスター先生に言う。


「おまえの信者、怖いんだけど……」


「……まれに思い込みの強い子がいるだけだって! ほとんどは穏当なファンだからっ!」


「そうか……まあファンのなかに親切なおばさんがいて助かったよ」


 緊張感あふれる場面をひとつやりすごし、俺たちの意識がゆるんでいたことは否定しない。

 だから気づくのが遅れたのだ。

 さりげない足取りで横手から近寄ってきていた若い男が、よろけたふりをして手を新刊につき……そのまま新刊を十数部ごっそりと持ち上げたことに。


「あっ……! どっ、どろぼ……!」


 目を見開いたオイスター先生が声を上げたときには遅かった。

 若い男はナップサックの中にすばやく新刊を放り込み、駆け出した。通路を走り──その先にいるゴスロリ少女と中年女性の横をすり抜けようとする。

 そこで中年女性がくるりと振り向き、


 ごきん。


 嫌な音の直後、若い男が転倒した。ぴくりとも動かない。

 中年女性が手に、にぶく輝く鋼鉄のモンキーレンチを持っている。バッグから取り出したもののようだった。

 それをメイスのように振って若い男の顔面を力いっぱい殴ったのを、場の全員が見ていた。


「さっそく先生のお役に立てて良かったわぁ……あら外れちゃった」


 中年女性がかがみ、手から落ちた何かを拾いあげ──指? 

 作り物らしき指を、指の欠けた手にはめ直しながら、女性は口を開けてにっかり笑った。隣のゴスロリ少女が泣き止んで固まっている。

 中年女性の笑顔は、歯がところどころ抜けていた。


「オイスター先生ごめんなさいねぇ。前は気持ちがあふれてご迷惑をおかけしちゃったからねぇ。警察にご厄介になったあと、反省して今後は陰から見守ろうと決めたんですよ。以後も私はどこかにいるけど気にしないでねぇ」


 硬直しているゴスロリ少女をその場に残し、中年女性は会場の雑踏のなかにまぼろしのように消えていった。

 俺の横でオイスター先生が恐怖に舌を震わせながら言う。


「で、で、出禁、一名追加……」





「いやー十郎呼んでおいてよかった。ひとりだとおしっこ漏らしてたね」


「巻き込まれた俺に申し訳ないと思えよおまえ」


 怖かったんだぞこっちだって。

 即売会の夜の打ち上げ。俺は居酒屋に入り、オイスター先生と差し向かいで飲んでいた。


 オイスター先生はさっきからおちょこを両手で持って日本酒をくぴくぴ傾けている。やや飲むペースが速い。


「ふわぁ……お酒おいしー」


 俺はビールで唇を湿らせながら忠告する。


「酔いつぶれるなよ」


「ぼくが酔いつぶれたら西仲しずく先生みたいに介抱してくれる?」


 口に含んだビールを噴くかと思った。

 なんとか飲み下し、袖で唇をぬぐって俺はオイスター先生をにらみつける。

 そして、沈黙した。


 オイスター先生の瞳が、光とうるみをたたえてじっと見つめてきている。

 心を探られているような落ち着かなさ。

 ときどき──こいつが何を考えているのかわからなくなる。


 それっきり、ふたりともなんとなく黙ってしまった。

 オイスター先生は料理も食べず、くぴくぴと静かに飲み続けている。

 やがて、明らかに酔いの回った様子で彼女は言った。


「やっぱり報酬ナシはよくないと思う。払うよ、今日の売り子代」


「……金はいらないっつの。もう前ので貰いすぎだ」


「えー……それじゃあ」


 オイスター先生は小首をかしげ、


「お金以外でなにか……なんでもしたげるよ?」


 どこか妖しい響きに聞こえたのは、俺の気のせいかもしれない。

 とろんとした酔眼。おちょこを持つ両腕に規格外サイズの胸が挟まれ、むにゅんと寄せられて強調されている。


「いや、おまえ、なんでもって」


「十郎にはないの? ぼくにしてほしいこと、なにか」


「あー。えー。えっと、だな」


 俺は焦って考えを絞り、そして、


「じゃ……じゃあ、スケブ頼んでいいか」


 最近持ち歩いているスケッチブックを差し出した。

 オイスター先生の猫のような目が丸くなり、それからなぜか意気地なしとでも言いたげな目つきになり、最後に軽くため息をついて、


「はいはい。希望ある?」


 俺が口にしたキャラを聞いてうなずくと、オイスター先生はスケッチペンを取り出し──……そして手を挙げ、


「ついでに余興やりまーす」


 酔っ払った様子でごそごそとアイマスク目隠しをどこからか取り出すと、それを自分に装着した。

 ──え、何やってんだコイツ。


 いぶかしんだ俺の顔は、ほどなくして引きつった。

 さらさらとペンが走り、スケッチブックの上に少女のバストアップ構図(顔から胸まで)が描かれていく様子を見て。

 目隠しをしたままでオイスター先生は絵を仕上げていく。


 目を見開きながら俺は震撼する。



 こいつが一番ヤバい奴だ。


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