第16話 美術館でぇと(?)
冬から春へと季節はめぐる。
俺は足掻く。
描き、描き、本で学び、学んだとおりに描き、次へと次へとまた次の絵へと、デジタルイラストを量産する。
絵が巧くなるために必要なサイクル。
学び、考え、試行し、楽しむ。
漫然と描かず、しかして量産する。
有馬十郎あらため絵描き「アルマジロ」の腕はめきめき上達する。
上達した腕を披露すべく、チュイッター上に投稿を行う。
てりぃ先生の助言に従い、数字を取るためにできることをやる。
・前提としてキャラ絵。とくに女の子の絵。
・旬のコンテンツの二次創作なら伸びやすい。
・男やロボや風景やオリジナルキャラの絵は伸びないが、根気強く描いていれば見てくれる人が増えていく。ニッチ需要を狙うならあり。
チュイッター上で俺の絵を見てくれる人は少しずつ増えていく。
400人が500人に。500人が600人に。じわじわと伸び続けていく。
上野恩賜公園、東京都美術館。
俺とオイスター先生は特別展「オルセー美術館展」に来ている。息抜きに見に行こうとオイスター先生が俺を誘ったのだ。
ブラウスにプリーツスカート、レディースシューズといったガーリーな服装で来たオイスター先生を見て笑っちゃったらバッグでばしばし叩かれた。いや、だって、ふだんクソダサTシャツにホットパンツという格好の牡蠣だし……
「エドゥアール・マネ『草上の昼食』……」
特別展の目玉らしき絵の前で、オイスター先生がつぶやいた。
相反するふたつの顔が、絵を鑑賞する彼女に
「十郎、変に照れてないでちゃんと絵を見て。経験値獲得のために来たんでしょ」
「ば、馬鹿。照れてないが?」
照れてました。
いや、だってさ。マネの名前くらい俺も知ってるけど。
この草上の昼食という絵。露骨に女の裸なんだよな……
……言ってしまえば裸婦画なんだけど、ただの裸婦画でもないというか。裸になった女性がきっちり服を着た男たちとともに座ってくつろいでいる。
裸であること以外はピクニックの途中みたいだ。そんな普通の光景から、女性の衣服だけが剥ぎ取られている。
そんなシチュに微妙に背徳感を覚えてしまう。
ふと気づくと、オイスター先生が俺を注視していた。
「ふうん。十郎ってちゃんと、あれだね」
「なんだよ!?」
「美術への感覚が鋭敏だなって」
急に言われ、俺はとまどう。褒められたのかどうか判別しづらい。
オイスター先生はまた絵に目を戻した。
「この『草上の昼食』は、発表されたとき大スキャンダルとなって批判の嵐を巻き起こしたんだ。『シチュエーションがエロすぎる』ってね。
だから十郎がこの絵を見て恥ずかしくなるのなら、時代を飛び越えて『生きた絵』を感じられてる証拠だよ」
…………えー。
「お、俺はそこまでウブなわけでは……」
「マネがこの絵を発表したとき――」
オイスター先生は俺のぼそぼそとした弁明を聞き流しながら、小声で解説する。
「『退廃的だ』『不道徳だ』という批判が殺到したんだ。
それまでの西洋画は、神話や伝説を題材として言い訳をつけながら女の裸を描いていた。ところがマネはこの作品で堂々と『現実的なシチュエーションでの人間の裸』を描いた。裸婦画を描くために本物のモデルを使ってね」
「ほー……」
「裸という非日常は、同じ非日常の舞台ではなく、日常のなかに置いてこそ異常さが映えるってことだね」
「真面目な話なんだよな、これ……?」
「真面目も真面目。いかにして絵のメインである裸を目立たせるかってことだよ。
この絵の構造自体もほら――明度の差で裸が目立つようになってるでしょ」
そう言われて、俺はもう一度「草上の昼食」を見る。
男たちは黒い服を着ており、背景の木々も地面も暗く塗られている。そのなかで、男たちとともに座る裸の女と、奥の泉で水浴びする女――そのふたりがくっきり目立っている。
暗い画面に浮かび上がる、白い肉体。
「視線誘導ってやつか」
「そうそう。名画はたいてい視線を集める工夫こらしてるから、気をつけて見るといいよ。現代イラストにも通じる技術だから」
「ふうん……視線誘導の技術って他にはどんなのがあるんだ?」
「いろいろあるよ。
ちろりと舌を出し、オイスター先生が俺を見ながら前かがみになる。下向きになってたぷんと量感たっぷりに揺れる胸。そのままオイスター先生は襟ぐりをひっぱってブラウスの中を見せつけてきた。俺は狼狽する。
「ちょっ、おまっ、やめ……!」
「あっはははは十郎ガン見ー! 口では制止してるのに視線は正直ですねww 誘導されてやんのww
だーいじょうぶだよブラウスの下に見られても大丈夫なキャミソール着込んでるし! ざーんねんでしたぁエロマジロ先生……あ、あれ……? 十郎……?」
煽りカスの顔をつかんでアイアンクローをキメる。天誅。
ギブギブギブと叫びながらばしばし腕を叩いてくるオイスター先生。
……とんできた警備員さんに静かに鑑賞するようふたりそろって怒られた。すみません。
「わー。クレサンジュの『蛇に噛まれた女』の像だぁ!」
彫刻にオイスター先生が寄っていき、嬉しそうに周りをめぐりながら鑑賞しはじめる。
その彫刻は横たわり、身をよじる裸の女だ。
「ちぇ、さすがにレプリカか。でもそう思えないくらいいい出来。本物はいつかフランス行ったら見るとして……十郎、もっとそばで見なよ。また照れてる?」
「は? 照れてないが?」
芸術をいかがわしい目で見たりしないが?
俺はキリッとしつつ彫像をじっくり観察しはじめる。
横でまたオイスター先生が解説し始める。
「オーギュスト・クレサンジュ『蛇に噛まれた女』は、名のとおり蛇に噛まれて死にゆく女性というテーマの像なんだ」
「ふむ……」
たしかに苦悶にのたうち回る姿だ。死の際ならではのすごみのある迫力を醸し出している。
が、オイスター先生が背伸びし、俺の耳にこしょこしょ囁いてきた。
「まあ作者のクレサンジュは自分の愛人をモデルにこれを彫ったんだけどね。実際はベッドで性的な絶頂に達して身をのけぞらせる姿とも言われてるんだけど」
「お前さあ!」
見てる途中で余計な知識注ぎ込むのやめてくんない!? 純粋に芸術鑑賞したいのに、知っちゃったとたんそうとしか見えなくなっただろ!
いや……納得はしたよ? だってこの像、何をどう言い繕っても官能的というか、凄艶というか、色香に満ち溢れてるもの。
「ピエール・ボナール『白い猫』。浮世絵の影響があると言われてるやつだよ」
「足伸びすぎじゃね? 猫を上に持ち上げようとしたらたまにこんなふうに伸びるよな」
「とろけたチーズみたいだよね」
「この猫ちょっとお前に似てる気がするわ」
「どこがだよ!?」
オイスター先生、布団でごろごろしてるときに胴つかんで抱き上げたらみょーんと伸びそうな感じあるし……
そのあともこの調子でオイスター先生の解説を聞きながら作品を見て回った。アレクサンドル・カバネル「ヴィーナスの誕生」、ジャン=フランソワ・ミレー「糸紡ぎ女」、ピエール=オーギュスト・ルノワール「薔薇をもつガブリエル」など名だたる名画。ひとつひとつがオーラに満ち溢れている。
オイスター先生の解説がまた、裏話的な面白さがあって飽きない。
とはいえ、それがとどこおる場面もあった。
「えーっと、これがギュースターヴ・クールベの『世界の起源』……じゅ、十郎、ちゃんと見なよ。またまた照れてるの?」
「て、照れてないが……? とか言えるか、照れるに決まってんだろが!」
モロじゃん、あまりにも赤裸々。
ひとりならともかく同行者が横にいるとまじまじ見づらいタイプの絵だわ。
「十郎さぁ、芸術をいやらしい目で見ちゃだめだよ。絵に真摯に向き合えよ」
「そういうことは俺たちがいま味わっているこの気まずさを払拭してから言え。お茶の間でテレビに映されたら空気がぎくしゃくするタイプの芸術だぞこれ」
オイスター先生自身が目を思いっきり泳がせてんじゃねーか。
「たのしかったー!」
展示を隅々まで見てから美術館を出ると、オイスター先生がててっと先に数歩駆け出し、そこでくるりと回って、深い満足感のこもった声を出した。
俺もうなずく。
「そうだな。なかなか楽しめた」
絵を学び始めて、新しい嗜好がしっかり俺の中に根付いていた。
昔は名画といってもあまり興味がなかった。博物館の特別展示で発掘品見るほうが好きだったのだ。
だがいまは恐竜の化石や古代人の遺跡に負けず劣らず、名画に興味を惹かれている。なんなら絵の来歴を知らずとも、使われている技術を分析するだけでも楽しい。
オイスター先生が俺を振り返り、嬉しそうに笑顔を咲かせた。
「やっぱり、この道に十郎を引き込んでよかった!
美術館に十郎といっしょに来れるようになったもの」
「なんだよ。絵を学ぶ前だって、声かかったら美術館くらいいっしょに来たぞ」
「わかってないなぁ、こういうのはふたりとも楽しめなきゃなの!
せっかくのデートだもの!」
「で、でぇと……?」
え? 今日のこれそういう趣旨だったの?
気がつくとオイスター先生が間近からジト目で見上げてきていた。
「十郎ってさ、ぼくが女だってこと忘れがちだよね?」
「いや……そんなことは……」
目黒寄生虫館とかジョイポリスとか月島のもんじゃ店とか、これまでもこいつと遊びに行くことはしばしばあった。しかしデートと意識したことはたしかにほぼない……
「そりゃぼくだって肩肘張らずいつもみたいに気楽に遊ぶのが好きだけど」
オイスター先生がすねたような口ぶりで言う。
「それにしたって十郎はデリカシーなさすぎ! せっかくいつもよりおしゃれしてきたんだから『今日の格好かわいい』とか褒めるのは大事なことなんだからな! ちょこちょこアピールしたのにさ」
胸チラで煽られたのはアピールだったのか……
俺は降参の証に手をあげた。
「わかったわかった。今度からはなるべく言うようにする。
ところで昼飯どうする? おしゃれなカフェでいい感じのランチでも食うか?」
「えー。気取ったカフェなんて入りたくない……キラキラしたご飯と一緒に自撮りしてる陽キャの巣窟じゃんそういうとこ。
ぼくはラーメンの気分だなぁ」
これだもんよ。
こいつ相手にいまさらデートとか意識しないっての。
なんとなくほっとしながら、俺はリクエストに応えるべくスマホを開いて近辺のラーメン屋を検索しはじめた。
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