第10話 同人即売会に行こう!(描き手デビュー編)


 生まれて初めて作る同人誌──それも十八禁漫画──に、俺は熱中した。


 寝食を忘れて、女をかたどった。

 肢体の優艶を。肉の妖美を。

 闇のいとなる黒髪を。

 あてなる眉目まみの整いを。


 緋雨先輩の写真を入手し、頭のなかで彼女をモデルとして描きはじめてから、絵への没頭はいや増した。

 それまでも夢中ではあった。描くことそのものが楽しくて。

 いまはそこに──「推しを描く」という強力な動機が加わっている。


 先輩をモデルにしたとたん、強烈な衝動が倍増したのだ。

 もっと美しく、もっと可愛く、もっと淫らに、もっと可憐に、もっと奔放に描きたい。

 あらゆる表現を試したい。

 最初の予定を大幅に超え、同人誌のページがどんどん増えていく。

 足りない。コミフィまでの時間が足りない、俺の腕が足りない。描きたいものすべてを描きつくすにはあまりに足りない。


 自分で言うのもなんだが、このときの俺は常軌を逸していた。

 もう昼夜の別もなかった。過集中で描き続け、脳を回復させるためだけに最低限眠り、目が醒めると同時に机に向かう。

 水分や食事は描きながら摂った。摂るのを忘れることすらしばしばあった。脱水症状で体から危険信号が出ていてもぎりぎりまで無視して描いた。これで死ぬなら死ねばよい。生物としては異常だが、創作者としては幸福だ。狂え、狂え、狂って描けと、脳内麻薬を放出しながら描き続けた。


 そしてまたたく間に時が過ぎ──





「人体デッサンが甘い。キャラ単体ならまだマシだけど絡むとところどころ不自然。骨折れてる? って感じになってる。

 顔の描き方が本の最初と最後で変わりすぎ。短期間で上達したのはわかるけどクオリティは統一しよう。

 ヒロインの絵はやたら力入ってるけど男の絵はめっちゃ雑だね。

 背景ぜんぶ素材か、ベタやトーン貼っつけただけだよね。素材集渡しといてなんだけど、ここまで背景に興味ないとは思わなくてウケちゃった。

 本の途中から絵が下描きのまんまだよね。ネームよりはマシって感じの汚さ。

 台詞やモノローグの文章多すぎ。漫画なんだから絵で説明しようね。

 あとこれがいちばんマイナスだけど、未完だよねこの本。最後ぶつ切りになってる」


「うるせえええええ──ッ!!!」


 俺は涙目で叫んだ。オイスター先生に対して。

 オイスター先生は俺の前で、製本された俺の初めての同人誌を持っている。俺の目の前で楽しそうに添削していた。


「え、だって十郎が遠慮せず感想を率直に言えって」


「てめーは人の心がねえのかよ! んなもん余裕ぶってカッコつけただけに決まってんだろ!? 初めての漫画だぞ、欠点指摘するよりすごいねーとか言って自信つけさせろよ!」


 欠点だらけで未熟な本なのは自分でよくわかってんだよッ!!!

 それでも全力をぶつけたんだよ!


「頒布開始したらもっと心折れるよ? たぶん十郎の本、今回は売れないし。

 いまのうちに覚悟決めさせといたほうがいいかなって」


 オイスター先生は俺の慟哭を気にせず無慈悲に告げた。その横にはてりぃ竹橋先生がいる。彼は無言で、じっくりと俺の同人誌を読み込んでいた。


 十二月三十一日。コミックフィアスト三日目。

 コミフィ会場の東京ビッグサイト、朝九時二十分。

 開場前のこの時間帯には、サークルスペースでの設営が行われる。余った時間でサークル間での挨拶や新刊交換が行われたりもする。

 てりぃ先生もこの時間を利用してやってきたのである。


 俺はオイスター先生のサークル「生牡蠣」から本を出させてもらっている。

 なおペンネームはアルマジロ。ラノベ作家としての俺は、珍しい事例だが本名の「有馬十郎」で活動しているので、これが俺の作った最初のペンネームだ。


 てりぃ先生がぱたんと俺の同人誌を閉じた。俺はびくっと反応する。


『絵の才能が君にあるかを試す』


 そう言われて一ヶ月半。


 全力は尽くした。だが未熟な本なのは言い訳できない。

 やばい。心臓がばくばく言ってきた。前の調子で辛辣なことを言われたら心が折れるかもしれない……


 彼は眼鏡の奥から俺をじろりとねめつけ、


「チュイッターはやっているか?」


「え?」


 だしぬけに聞いてきた。


「えーと、アカウントだけは持ってますけど。小説を出したときに宣伝したくらいで、ほとんど書き込んだりは……」


「絵描きとして知名度を上げたければSNSを活用するのは必須だ。チュイッターはその中でもいちばん重要度が高い。君のアカウントはどれだ?」


 戸惑いながら俺はスマホを操作し、アカウントを見せた。

 てりぃ先生は自分もスマホを操作しはじめる。一瞬後、俺のチュイッターに通知が届いた。



> てりぃ竹橋さんにフォローされました



「フォローを返してもらえるか? 後ほどチュイッターのダイレクトメッセージ機能を通して連絡を取る」


「え? え」


「あ、ずるい! ぼくとも相互になってよ十郎!」


 オイスター先生が騒ぎ出す。困惑で目をしばたたく俺に、てりぃ先生は不機嫌そうに言った。


「四十ページも漫画で描いてくるとは思わなかった。十二ページのイラストのコピー本が出てくれば上等なほうだろうと」


「うん。十郎の同人誌、褒めるならまずそこだよね」


 オイスター先生がうなずく。

 てりぃ竹橋先生は俺の本をかかげ、


「欠点を挙げるならいましがたオイスター先生がだいたい言ったが……

 君は絵を始めて二ヶ月以内の人間。私は最初から、描いたものの質を問題にするつもりはなかった」


「え……と、つまり、試されてたのは」


「『量』を描く力だ。いや、これも正確ではないな」


 てりぃ先生は「描くことに夢中になれるかどうかだ」と言った。


「この作品は荒削りもいいところだが、君の注ぎ込んだ情熱が見て取れる」


「は……い。素材も使いましたが……それはそれとして熱意だけはあったと思います」


 描いて描いて、まだ描きたいことが残っていながらも描ききれなくて、眠る時間すら惜しくて──……

 創作の楽しみと苦しみを、十二分に味わった。


「これならば上等だ。……青田買いというと露骨だが、君の将来性を考えて、つながりを持っておいて悪いことはない。そう判断した」


 俺はひそひそとオイスター先生に囁く。


「なんだ、えっと……俺は褒められているってことでいいのか?」


「『君は伸びる』って言ってるんだと思うよ。てりぃ先生は露悪的な言い回し好きだから。ちょっと中二病なの」


「前回の怒涛の罵倒も露悪的なもんだったってことか? ガチの敵意を感じたんだけど、あれ」


「おい、君ら……」


 俺たちをすごい目つきでにらみ、てりぃ先生は口を大きく開いて何か言おうとしたが、それから思い直したかのようにごほんと咳払いした。


「む……前のときライトノベル作家についてあれこれ言ったのは、正直失礼したと思っていた。

 君の面構えが気に入らなかったこともあってつい積年のうっぷんをぶつけてしまったが、大人の態度ではなかった。謝罪しよう」


 ここまで率直に謝られると、こちらとしても態度を軟化させるのに異論は……

 待て。顔は変わらずけなされてんぞ。やっぱ相性悪くない?


「さておき、有馬くん……アルマジロ先生と呼ぶか。

 一年絵に打ち込んで、オイスター先生と勝負するとかいう話だったな。

 私の知識でよければ伝えてやろう。君に興味が湧いたからな」


「俺に興味、ですか」


「はっきり言って君の同人誌を見るまで、絵の素人がどうにかなるわけがないだろうと思っていた。どうせひと月も続くまいとも。

 しかし君が情熱をもって描く素質がある以上、きちんと叩き込めばどこまでやれるかは見てみたくなってきた」


 傲慢な物言いだが、前と違ってさほど腹は立たない。

 認めさせてやったという達成感があるからだろう。

 俺は手を伸ばして、てりぃ先生に握手を求めた。


「よろしくお願いします」


 こうして俺はてりぃ先生というアドバイザーとつながることになった。


 あ、今回のコミフィでの同人誌の売れ行き?

 最終的に二十冊くらい頒布できました。

 大盛況のオイスター先生の壁サークルにまぎれこんでなければ、ゼロ冊か一桁だったと思われます。もうこの話には触れないでもらえますか。


「十郎、次からは自分のサークル作って参加してね」


 撤収作業の直前、オイスター先生が通告してきた。


「それはあれか……俺のようなミジンコヘタクソ絵描きの売れない本が混ざってたらサークル『生牡蠣』の汚点になるからという……」


「違う違う! 自分でサークル立ち上げて頒布するのが成長につながるからだよ!

 そんな卑屈になってないでよ。名前の売れてない新人が初参加で、まったく事前の告知もなしで二十冊捌けたって、けっこうすごいことだと思うよ?」


「そりゃおまえの壁サークルに寄生してたもん俺……でなきゃ頒布数ゼロっすわ……」


「凹み方うっとうしいなあ、もー! とりあえず、さ」


 オイスター先生は俺の頬を両手ではさみ、こつんとひたいをひたいにぶつけてきた。


「次は自分のサークルで百冊売り上げるのを目指そ?」


「ひゃくさつ……」


 難易度高くない? と思ったが、目の前のピンク頭が「にゃはっ」とムカつく感じに笑う。


「ぼくに勝つよりは簡単だよ?」


「……挑発してくれるじゃん」


 わかったよ、やるよ。


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