第8話 Doujinwork is Battlefield


 一月半で漫画作ってみたいとか言ったのは誰だ。

 俺だ。俺のバカ野郎。


 いま俺は鉛筆とノートを前にのたうちまわっている。

 比喩だ。本当に転がりまわっているわけではない。だが心象風景はそれに近い。


「ぐおおおおお」


『オイスターちゃんねるでーす! 今日は漫画の描き方をレクチャーするね!

 まず頭に叩き込んどいてほしいのは、「漫画」と「一枚絵のイラスト」はぜんぜん違うものだということ。

 漫画ってのはね──たくさんの技術が必要な総合芸術なんだ』


「いま思い知ってる……」


 机の上に置いたスマホの音声に力なく答える。何度も参考のために見返しているオイスターちゃんねる漫画編だが、この動画の助けを借りてすら漫画は難しかった。


 コマ割り。構図とアングル。トーンおよびベタによる光と影のコントロール。台詞とストーリー、その配分。

 なにもかもが初挑戦。

 そして、絵を描き始めたばかりの初心者には正直荷が重い。


 ネームを作った段階ですでに俺はグロッキーだ。

 ……ネームは作品の設計図だ。小説のプロットにあたる。

 ノートに汚いなぐり書きでコマ割りとキャラの配置を決めていく作業。


 まったく作れないわけじゃない。これでも俺はラノベ作家だ。ストーリーと台詞はなんとかなった。

 目下の問題はコマ割りと構図だ。ネーム段階でこれは決めないといけない。イメージはできる。手は動いた。

 そしてネームが完成したが──


「漫画としてヘタクソすぎる」


 まだ下描きすら描いていないのに、ネームを見返すとわかってしまうのだ。自分の技量があまりにも拙いことが。

 コマ割りは無駄に細かく刻んでしまうか大ゴマの連発。

 構図は単純なものしか出てこない。迫力を出したいコマでは迫力不足になり、緊張感を出したいコマでもゆるっとして締まりがない。

 なにより──キャラがひとりで立っている絵はまだしも、ふたり以上の絡み(エロ漫画的な意味で)となるとまず書けない。純粋に、描く力がない。


『日本人は漫画を読んでる人多いんだよね。これにはメリットとデメリットがあります。

 メリットは、初心者でもコマ割りや構図をまったく想像できないわけじゃないこと。

 デメリットは──目が肥えているために作るとなると自分の実力不足を痛感しちゃうこと』


 いまがまさにその状態だ畜生。

 ていうか、「全体的にへちょい」なんてわかったところでどうしようもなくないか? 手探りで実力の底上げをするしかないんだろうが……それにしても時間が足りない。コミフィまであと一ヶ月半しかないというのに。


「…………まことに遺憾ながら……最終手段を使うか」


 俺はスマホを手に取った。




「で、配信見るんじゃなくぼく本人を呼んだってわけ?」


 なにやらバッグに詰めた大荷物を持って俺の六畳一間に上がり込み、オイスター先生はにやにやしている。

 こいつがタワマンで住んでいる吉祥寺と俺の部屋のある武蔵小杉は行き来しやすい。なのでわりかし軽快に来るのだ。


「呼んでねーし……細かいとこ知りたいからちょっと聞いただけじゃん」


 牡蠣召喚してしまった俺は苦し紛れにもごもご言う。


「はいはい、そういうのいいからさ。そばで教えるほうがやりやすいし」


 こいつ、前回は「ぼくみずから手取り足取り教えるのはなんだか違うよね」とか言ってたくせに……いや、文句どころかありがたい話ではあるんだが……

 妙にご機嫌なオイスター先生は「送った液タブ設置してる? してるね、うん」とチェックしはじめた。早くも届いた液タブはPCにつないであるのだが、微妙に使い方がわからなくてまだ使っていない。ネームをノートに書き付けるのにかかりきりで放置していた。

 そしてオイスター先生が俺をどかして椅子に座り、操作することしばし。


「えーこれが、CLIP STUDIO PAINT。通称クリスタ。お絵描き用のソフト。PROでもいいんだけど漫画描くならEXにしとこ。

 3Dソフトもおまけで入れたげる。クリスタ自体にもついてるけどね」


「はぁ(よくわからん)」


 なにやら新しいソフトをインストールされていた。

 アカウント設定だのの個人情報にかかわるものは俺がやらされる。


「クリスタはねー、デジタルで漫画描くなら正直必須だよ。いまからいっぱい使ってね」


 オイスター先生が操作してクリスタを開く。ぼけっと見ていた俺ははたと思い出した。


「いや、いやいや、こういう初期設定するのも大事だけど、そんな話で力を借りたかったわけじゃなくてだな──」


「はい」


 オイスター先生がバッグを開け、中からどさどさと本を出して俺の目の前に積み上げた。


「これね、うちから持ってきたクリスタの使い方本。基礎編はこれ、応用も含めたのはこっち。

 これは構図を、こっちはライティングを勉強できる本。ほしいノウハウが詰まってると思うよ。

 それでこのグループの本が、たぶんいまの十郎にいちばん役立つやつ」


 最後に突きつけられた十冊くらいある本を、俺は目を白黒させて受け取った。

 タイトルをいくつか読み上げてみる。


「『すぐ使える複数人ポーズ集』『イラストポーズ300』『小道具を添えたポーズ』『背景込みポーズ集』…………なんだこりゃ」


「買ってきた。これ全部あげる。

 複数人ポーズ集にしよっか。本にディスクがついてるから。それをPCの読み取り口に入れて──」


 うぃーん。


「クリスタ立ち上げて、新規にお絵描き……ディスクからファイル読み込みっと」


 ぽん。

 剣を手に鍔迫り合いしている二人組の絵が現れた。


「この絵をもとにトレスして、一部描き足し。はい、素人には難しい絵でも即できあがり。

 ふたりで絡む絵が描けなかったんでしょ? このポーズ集には肩車とかお姫様抱っことかいろいろ入ってるから──」


「ちょっちょっちょ、ちょっと待ておい」


「ん? なあに? あ、トレス元は3Dソフトでスクショとったやつでもいいよ。3Dのトレスだなってバレやすいけど」


「待てってば! トレスって……絵でそれしちゃダメだろ!?」


 俺ですら知っている。

 トレス発覚した絵がネット上で炎上するのをしばしば見てきたからだ。

 が、オイスター先生はまったく動じずにページをぺらぺらめくり、利用規約と書いてあるところを指さした。


「はい、十郎ここよく読んで」


「『本書はトレスOKです。商業、同人、あらゆる用途にお役立てください』……」


 え? そういうものなの?


「著作権者がそういう用途を認めて販売してるので、この手の素材集や3D人形使うのは問題ないよ」


 混乱している俺に、オイスター先生は心得違いを正しにかかる。


「ダメなのは他人の絵や写真の線を無許可でトレスすること。それはトレパクっていう著作権侵害行為。だからダメ。

 トレスいわゆるなぞり書きそのものは、ただの技法だよ」


「そうだったのか……で、でも……これ使うと簡単すぎないか……?」


「簡単でなにか問題が?」


「ない、けど……」


「モヤモヤするならポーズ集の絵はアタリ程度に使って、トレスせず線を変えちゃえば? 絵の初心者には難易度ちょっと高くなるけど、これなら完全に自分の絵柄で描けるしね。

 それか、完全に自分に著作権があるもの使えばいいじゃん。自分でとった写真をトレスするとか」


「絵って……」


「なに? 十郎」


「もっとこう……こつこつと上手くなるものであって、たとえ難しくてもぜんぶ自分で描かないと力にならない気が……」


「初心者が残り一ヶ月半しかないのにこつこつで間に合うと思ってるの?」


 効いた。俺はひざからくずおれる。

 ど真ん中を貫く超正論。

 オイスター先生はにっこりしながら続ける。


「この手の裏技をまったく使いたくないならそれも自由だけど、いきなり画力が上がって完璧な漫画が描けると思ってるの? 言っとくけど厳密にはあと一ヶ月半もないからね? 印刷所の締め切りがその前に来るからね?

 十郎、よく聞いて。即売会に参加する以上、その作家は結果しか問題にされないの。

 本を出せたか、落としたかなの。

 何をしてでも──間に合わせたやつが偉いの」


 オイスター先生のおごそかな声は、「戦場では、反則技があるなら即使え」と教えるストライダム大佐みたいな響きを帯びていた。


「お、押忍……」


 床に手をつき、俺はそう答えるしかできない。



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