第7話 てりぃ竹橋先生


 柱の陰にいる男は中肉中背でワイシャツにスラックス、革靴を身に着けていた。年の頃三十歳、眼鏡の奥からうかがうような目でこちらを注視している。

 ……怪しい。

 俺は無意味に咳払いしたり、椅子にふんぞりかえって腕組みしたりしはじめた。

 なにしろ防犯は大事である。なんだ? オイスター先生、またストーカーにでも狙われてるのか?


 男はしばらく柱の陰でとまどう様子だったが、やがて意を決したように大股で歩み寄ってきた。


「オイスター先生はいるかな?」


「すみません、席を外しているんですよ」


 まともな相手かもしれないから礼は失さない口調で俺は答える。

 とはいえ表情や声音から警戒心が伝わったのだろう。あまり愉快ではなさそうに男は目を細めた。


「君はこのサークルの関係者か? 『生牡蠣』は女性ばかりのはずだが」


「そりゃたまたま俺がいないときのこのサークルですね。俺もたまに売り子やってますよ」


「おい、にらむのをやめてくれるか? さっきから正直あまり気分がよくない」


「にらんでませんが?」


 目つきが悪いのは自前だよこの野郎。そりゃちょっとくらい疑い深く見てたかもしれないけど。

 険悪な雰囲気がお互いのあいだに流れる。

 男がぴりついた面持ちで口を開く。


「君は──」


「あ、てりぃ先生だ!」


 オイスター先生の声が響いた。てててと小走りで寄ってきた彼女は、眼鏡の男に「お久しぶり! こっちからてりぃ先生のスペース行こうと思ってたのにわざわざどーもっ」とにこやかに話しかけた。


「…………知り合い?」


 俺はオイスター先生にいちおう確認した。じつは確認するまでもないのだが。このコミュ障が普通に話せる時点でそれなりに親しい相手のはずだ。


「うん、てりぃ竹橋先生だよ!」


「えっ、てりぃ竹橋? マジ?」


 オイスター先生が告げた名前は俺も知っていた。

 てりぃ竹橋。コミックエロフにしばしば掲載する、大人気成年漫画家だ。

 現代萌え絵の流行をおさえたオーソドックスな絵柄を、鉛筆画風味の昭和レトロなタッチで描く、変化球と万人受けを両立させた画風。女体の曲線をとびきり扇情的に描き、過激な行為をちゅうちょなく描写し、ストーリーにも毎回味わいがある。


 要はエロ漫画界の星。

 なんで俺が知っているかというと、まあ俺も男だからね?


 そういうことなら一読者の立場として敬意を払わなくも──ないと思ったのだが。

 そのてりぃ先生は俺をあごで示し、


「時間ができたので来たが……オイスター先生、この彼に私をにらまないよう言ってくれ」


「だからにらんでませんって!」


 抱きかけた好意が霧散する。悪かったな凶悪犯みたいなツラで。

 不審者と疑ってすみません、くらい言おうかと思ってたのだがやめた。にらんでるといわれなき非難されたのこっちだし。傷ついたし。

 初対面からここまでのそりの合わなさ、どうも相性が悪い相手のようだった。


 俺を無視して、てりぃ先生はかたわらのオイスター先生に向き直った。


「なんの用かね、それで。私に相談したいことがあるのではなかったか」


「うん、こっちのこいつのこと。ぼくの友達で有馬十郎っていうんだ。てりぃ先生、絵のことを教えてやってくれない?」


「「は?」」


 俺とてりぃ先生の声が重なった。


「十郎はプロのラノベ作家なんだけど、最近絵を描き始めてさー。十郎がてりぃ先生から学べることは多いと思うんだ」


「おい、ちょっと菅木すがき、なに勝手に──」


 思わず椅子から立ち上がり、オイスター先生の実名を呼んでまで俺は制止しようとした。だが、


「ラノベ作家だと?」


 顔をしかめたてりぃ先生の声が響き渡った。決して好意的ではない様子で。


「ひとつ言っておきたい。私はな、小説家という手合いが嫌いだ」


 ……ストレートに喧嘩を売られたのか、これ?

 すぐさま頭に血が上るほど多血質ではないつもりだ。こほんと咳払いしてたずねる。


「なんで作家が嫌いなんですか? 聞いてもいいですかね」


 感情を抑えたその質問に、てりぃ先生は予想外の角度から切り込んできた。


「君はどういうデビューをした? 新人賞をとったのか、ネットからの拾い上げか?」


「……拾い上げ、ですけど」


 高校在学中、スタリオン戦記という作品をネット連載していたら出版社から声がかかった。それが俺のデビューだ。昨今ではそういうデビュー形式が珍しくない。

 てりぃ先生はうなずき、


「ネット小説か。では聞くが、

『異世界や転生などの流行に乗って模倣のように同じ題材で書き』、

『PVやブックマークなどの数字だけ見て大衆に受けたかどうか判断し』、

『だめな作品にはさっさと見切りをつけて次を書く』

 というネット作家にありがちな傾向を、君はどう思う?」


「……そういう作家と俺が同じだと?」


「どう思うかを聞いている。答えたまえ」


 ああ──こいつはネット小説家を馬鹿にするタイプか。

 俺は心中で顔を盛大にしかめる。


 そういうネット小説家がいる、いや、多いのは否定しない。数撃ちゃ当たるとばかりに手当たり次第に質の低い文章を書き散らし、運良く書籍化できればいいと思っているタイプだ。

 極端な例だと、投稿サイトのランキングを見て一位の作品を真似する・流行を逃さないために速く書きとにかく毎日投稿・数字の伸びが悪ければ早めに打ち切って即次の作品に行く──というやり方で書籍化を連発している作家もいる。


 そんなやり方で作品の質が上がるわけがない。プロットの練り込みも文章の推敲もろくにせず、オリジナリティもないのだから当然だ。そういう作品に触れた人たちの一部から「しょせんネット小説」と見下されてしまう原因でもある。

 はっきりいうと、そのタイプの作家と同じと思われたくはなかった。

 俺は数字ではなく物語を大切にしたい。


「結果を出している以上、ビジネスとしてはありでしょうが……俺個人の感性としてはそういう粗製乱造は受け付けませんね。

 作者としても読者としても、しっかり練り込まれた作品のほうが好きです」


 てりぃ先生の目を見てきっぱり答える。

 それを聞いたてりぃ先生は、ふっと片頬を歪めると、


「なら、君はやはり私の嫌いなタイプの作家だ。

 いいか。いま私が挙げ、君が『粗製乱造だ』と切って捨てた作り方はすべて、絵描きにとっては当たり前のやり方だ。特にネットにおいてはな」


 息が詰まった。

 予想外の方向からの攻撃に。

 とっさに反応できず呆然とした俺の前で、てりぃ先生はさらに口を開く。


「『流行のコンテンツの二次創作や、流行のテーマに添った絵を描き』、

『数字が稼げるものを描き、大衆に受けるよう工夫し』、

『伸びなければこだわらず見切りをつけて次の絵に活かす』。

 こんなことはネットに絵をアップして上を目指そうとする者にとっては常識、とっくの昔に通り過ぎた論争だ。

 なのに小説家という人種はしばしばそういうやり方を自分の尺度で測り、何も作らない一般人に混じって『同人イナゴだ』『創作者の風上にも置けない』と唾棄してくる。いったい自分たちをなんだと思っているのだ? しょせん『暇つぶしの商品』を作っている存在でしかないのは絵描きと同じなのに、文章書きは君のようにお高くとまりがちだ。

 絵よりも見てもらえない存在のくせに。競争の熾烈さも市場の広さも絵以下のくせに。体系的な学び方すら確立されていない遅れた分野のくせに。絵描きの養成機関は美大をはじめたくさんあるが、小説家のほとんどは独学だろう? それだけでも身につくほど簡単な技術だからだ」


 とげとげしい言葉が矢継ぎ早に投げつけられる。

 俺は深呼吸した。衝撃からなんとか立ち直り、てりぃ先生を今度こそしっかりとにらみつける。


「……一理ありますが、単なる環境の違いですよ。小説と絵では完成までにかかる時間に違いがあるでしょうが。

 小説で質を高めるためにはそれなりの練り込みが必要です」


「ふん──絵には練り込みの必要がないとでも思っているのか。

 もういい。オイスター先生」


 てりぃ先生は苦々しげに顔をしかめた。


「多少言い過ぎたが、私の言いたいことは彼に伝えた。仲良くやれる気はお互いにしないはずだ。

 だいたい君の友人なら、君が絵を教えればいいだろう」


 いまのいままで黙って俺たちのやりとりを聞いていたオイスター先生は、花が咲くようににっこりと笑った。


「そこがちょっと事情あってさ。十郎は絵でぼくを見返してみせるって言ってるの」


 オイスター先生は俺に向き直って、見透かすような微笑になり、


「十郎がぼくの配信を見て勝手に学ぶのはもちろんいいよ。けど、ぼくみずから勝負の相手に手取り足取り教えるのはなんだか違うよね。

 なにより“師匠”がぼくひとりのままじゃ──いつまでも師匠ぼくに勝てないよ?」


 おまえ、と俺は絶句する。

 肌で感じた。オイスター先生は本気で言っている。自分の敵になるくらいうまくなってみせろと。液タブを貸してくれるのもそのためだ。


「いや、しかし、さっきの俺たちのやりとり聞いてたろ。ここまで相性悪いんじゃ──」


「十郎とは対極だと思ったから、わざわざてりぃ先生を選んだんだよ?」


 オイスター先生はさらりと言った。


「ふたりとも創作に対する考え方がまるっきり違うよね。だから十郎には刺激的なんだ」


「お、おまえな、無茶苦茶な……」


「待て。わかった」


 てりぃ先生が急に発言した。

 それまで眼鏡を押さえて頭痛をこらえるようにうつむいていた彼は、名案を思いついたというように顔の前に指を立てる。


「オイスター先生には多少の借りがある。検討だけはしよう。

 ただし条件がある」


 彼はその指を、俺へと突きつけ、


「ひとつ試させてもらおう。それを見て付き合いを持つか決める。

 コミフィは知っているな?」


「……そりゃもちろん」


 コミックフィアスト。通称コミフィ。

 夏と冬の二回開催する、国内最大級の同人即売会だ。

 てりぃ先生は「次のコミフィは年末。残り一ヶ月半だ」と告げた。


「有馬くんと言ったな。一冊、本を描いてきてみたまえ。

 コミフィの申込み締め切りはとっくに終わっているが、オイスター先生のサークルに委託というかたちで出してもらえばいい。

 漫画でもイラスト本でもなんでもいい。だが文章は駄目だ、絵を描くんだ」


「それで俺のなにを試すっていうんすか」


「絵の才能が君にあるかをだ。それが何かを具体的に教えるつもりはない。

 君が付き合って損のない絵描きになれそうなら、こちらから交流を持ちたいと手を差し出すさ。

 オイスター先生もそれでいいな?」


「そうだね。いいよ」


 あっけらかんと答えるオイスター先生。こいつら俺の意思は無視で話を進めやがって。


「試した結果あらためて断っても、くれぐれも私が義理を果たさなかったなどと思ってくれるなよ。では失礼する」


 きびすを返し、会場の雑踏のなかにてりぃ先生は消えていく。

 俺ははぁとため息をつき、椅子にどっかり座り込んだ。


「なんなんだあの人」


 隣に座り直したオイスター先生がそれに答える。


「てりぃ先生は悪い人じゃないよ。

 ただ気難しい上に尖ったとこあるのは否定できないけど」


「……おまえはなんでああいう人と仲良さそうなわけ?」


「え? なーに十郎ったら嫉妬ー?w ぼくに仲いい男の人がいると不安~?w」


 ニヤニヤしながら調子に乗って煽るアホに俺は冷めた目を向ける。


「クソザコ人見知りのくせにコネ持ってるのが意外すぎる、って意味だが?」


「ひっどいな! 実はてりぃ先生の奥さんが、いつもコスプレしてうちの売り子やってくれてる人なんだよね。今日は急病で休んじゃったけど」


「あのメガネ、妻帯者ァ!? しかもあの美人のコスプレイヤーさんと結婚してるの!?!?」


 なんか今日一腹が立ったぞ。


「でも──彼の考え方や知識から学ぶものは多いと思うよ? ほんとに」


 オイスター先生がそっと言った。俺は眉を寄せてぶつくさ漏らす。


「そりゃあのてりぃ竹橋だしさ……でもあの会話じゃ好感抱きようがなかったし、いきなり『おまえを試す。一ヶ月半で本を作れ』だぞ」


「自信ない、十郎?」


「当たり前だろ。同人誌なんて作ったことがないんだから。ましてや絵でなんて」


「じゃあ、やめる? いまのうちならぼくがてりぃ先生に連絡して言えばすむし」


「…………やらないとは言ってない」


 正直なところ──

 こちらを試してやるという物言いには、ムカつきを超えて闘争心が煽られた。

 どうせおまえにはできないとたかをくくられたようで腹が立つ。実際、てりぃ先生にはそういう意図もあったのだろう。俺が諦めて投げ出すだろうと。


 なら、やってやる。見返してやる。

 どれだけ下手でも無様でも、同人誌を一冊作って見せてやろうじゃないか。


「十郎は負けず嫌いだよね」にこにこしたオイスター先生が「じゃあ、原稿だけぼくに送ってくれればいいよ。印刷所に入稿したりはやったげる」と言った。


「そういう慣れないとこで手間取ってギリギリ新刊落ちるなんてかわいそうだし」


「……? いや、たしかに慣れてないけど、そういう時間込みで締め切り設定すればいいんじゃねえの?」


 首をかしげた俺にオイスター先生はふふふと不気味な笑い声を漏らした。


「八割がた、締切ギリギリまでもがくことになるよ? ようこそ同人地獄へ」


 えー。まさかそんなははは。

 しかしコミフィに作り手側で初参加か……

 やばい。ちょっと、いやかなりわくわくしてきた。


「何作るかなあ……そうだ、漫画にしようかな。いっぺん作ってみたかったんだよな。楽しそうじゃん?」


「………………がんばー」


 俺の弾んだ声に対し、オイスター先生は笑みを浮かべたままそれだけ言った。

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