第6話 同人即売会に行こう!(売り子編)
「新刊完売です! ありがとうございました!」
「ありがとうございましたー! 既刊はまだあります!」
昼前、俺とオイスター先生は同人即売会の会場に声をはりあげた。
本日の俺は、オイスター先生のサークルスペースで売り子をしている。
ちなみにサークル名は「生牡蠣」。
「助けて十郎! いつもの売り子さんが重めの風邪ひいちゃって、急遽代わりが必要なんだよー!」
ヘルプ要請が入ったのは昨日のことだった。昔からたまにこうして手伝っていたこともあり、オイスター先生は割と気軽に俺に声をかけてくるのだ。
バイト代がちゃんと出ることもあり、これまで断りはしなかったのだが……
「んー。わりいけど今回は別の人にあたってもらってもいい?」
「なんで!? 何が理由でかわいい親友の頼みを断るの!?」
素で厚かましいなこいつ。知ってたけど。
「なんでって……絵を描けって言ったのはお前だろ」
俺は脇目も振らず一日中描いていた。
正直、めちゃくちゃ楽しくなっていたのだ。半日の外出すら惜しむほどに。
「ていうかマジで、俺である必要はねーだろ。おまえのサークルくらい有名だったら声かけりゃ手伝ってくれるやついくらでもいるだろうが」
「ふざけんな! ぼくは重度の人見知りなんだぞ! 初めて雇う売り子さんと明日一日スペースでずっといっしょなんて空気が死ぬに決まってるだろ!」
あーはい。そうでした。超内弁慶なんだよなこいつ。
「配信ではいつものノリで話せてんのにな……」
「ん? ぼくの動画見てるの?」
あ、やべ。
俺は電話越しに舌打ちしかけた。
いま俺は課金してまでオイスター先生のお絵描き講座を視聴している。それを知られたら……
『へえ~~~十郎、ぼくの講座見てるんだあ~~それってぼくの教え子みたいなもんだよね。いやいや、もちろんいいよ? ドンヨクな向上心ってやつだよね。ぼくのノウハウしっかり吸収するんだぞわが弟子よ。ふんふふふんふーん♪』
「牡蠣が……舐めてると潰すぞ……」
「何!? なんでぼくいまキレられたの!?」
おっと先走った。煽られる想像だけで思わずこめかみに血管がピキピキ浮いてしまったので。
「しょうがねえな……別に行ってもいいんだけどさ」
めんどくささが若干、声ににじんでいたのだろう。オイスター先生は「わかったよっ!」と声を高めてきた。
「今回は報酬はずむから!」
「へー。どんくらい?」
「ぼくのお下がりの液タブ一個、無期限で貸したげる! ちょっと小さめだけど予備だからほぼ新品のやつ!」
「液タブ?」
「液晶タブレット。PCにつないで、デジタルで絵を描く道具」
いまのお絵描き環境はデジタルが標準だよ、とオイスター先生は補足してきた。
俺は慎重に問いただす。
「……商品名は?」
オイスター先生が伝えてきたメーカーと型番で検索する。
おいおい……マジか、十五万円はするぞ。これはたしかに「はずんだ報酬」だ。
「十郎、PCでゲームしてたよね? デスクトップのゲーミングPCならたぶん性能足りる。
本格的にお絵描きするなら早いうちにデジタルでやり始めたほうがいいよ」
そんなわけで物に釣られて俺は売り子をやっているわけだ。
今回の同人即売会は一次創作オンリーで、オイスター先生は同人漫画とオリジナルキャラグッズを出している。二次創作同人のときほどの売れ行きではないが、二時間で二百五十冊を越す程度には捌けている。……周りのサークルに比べれば凄まじいペースだと思う。なにしろ一冊も捌けていないサークルも珍しくない。
新刊も一部グッズも完売し、ぼちぼち撤収が視野に入ってきていた。
「どうする? 全部売れるまで残っとく? それとも片付けて外に昼飯行く?」
俺は隣のオイスター先生に話しかける。
にしても狭い。椅子を並べて座った俺たちは肩がぴっとり触れ合っている。このサークル「生牡蠣」は、大きな即売会だと壁際の広めのスペースをあてられることが多いのだが、今回は周りのサークルと変わらない狭さだ。
「十郎、即売会じゃ売れるじゃなくて捌けるって言わなきゃ……」
顔も上げないオイスター先生の生返事。さっきからオイスター先生は手元に目を落としてスマホをぽちぽち打っている。なんか肩がぷるぷる震えてないか?
既刊とグッズを買いに来た人がいたので応対し、それからオイスター先生に苦言を呈する。
「さっきから俺に接客任せっぱなしじゃねえか。何してんだおまえ」
「十郎、客じゃなくて一般参加者……あっこら! スマホ返せ!」
スマホを奪って画面をのぞきこんでみた。
【オイスターを叩くスレ 炎上67回目】
284:オイスターのアンチって何もわかってないね。こんなとこで叩きに精を出して恥ずかしくないの? 君らがこんなとこに書き込んでるあいだもオイスターは高みに上ってるから
>おっ本人?
>降臨しちゃった
>ここ牡蠣くせえぞファブリーズまけ
「掲示板に書き込んで自分のアンチと戦ってんじゃねえ!」
しかも本人バレして煽られてんじゃねえか。
オイスター先生がぷるぷる震えたまま怒りの涙声をあげる。
「うわーんだってムカつくんだもん! わかるでしょ十郎にも!」
「便所のぞきこんで臭いと文句言うなよ」
アンチ探して喧嘩すんなマジで。不毛の極みだから。
ぷりぷり頬を膨らませていたオイスター先生に、俺は「なあ」と改めて話しかけた。
「液タブ、貸してくれるのは嬉しいけど、なんでいきなり?」
「またその話?」オイスター先生は呆れたように首をかしげた。「十郎が絵を描くのはぼくとしては賛成だし? 予備のつもりで置いてた液タブだけど、こないだ最新型もう一個買っちゃったから余ってて使い道ないし。気兼ねしなくていいってのに」
そうもいかない。さすがに十五万円もする
よく考えれば、一日手伝うことへの報酬が大きすぎるのだ。
「……今日のことだって俺いなくても一人で何とかなったんじゃないか?」
行列ができる程度には忙しかったが、一人でさばききれないというほどではなかったと思う。前に手伝った年末のコミフィでの死闘に比べればのんびり進行だった。
が、オイスター先生は首を振った。
「ほんとに売り子いたほうがいいんだって。トイレ行くとかでスペースを離れるときにお金や頒布物を任せられる人がいないと不安だし」
それは……たしかに。
どこに泥棒がいるかなんてわからないからな。
「あとぼく、初対面のお客と目を合わせらんないし。どもっちゃうし」
「……そうだな……」
こいつは本当に超がつく人見知りコミュ障なのだった。客じゃなくて一般参加者が建前じゃなかったのかとつっこむこともできず、俺はうなずくしかない。
「最後に、これはいつもの売り子さんには悪いけど──」
オイスター先生はリラックスした様子で軽く伸びをし、こてんと俺の肩に頭を預けてきた。ピンクに染めているくせに髪は細くてさらさらだ。
「十郎がいるといつもよりちょっとだけ心強いっていうかさ。やっぱりスペースに男がいると、変なのが寄ってきづらいんだよね」
「あー……」
俺は納得の声を出した。
こうしたイベントにそういう「変なの」が出るのは何度か聞いている。サークルスペースに毎回おしかけて何十分も話したがったり、帰るときに後をつけてきて住んでいる場所を知ろうとしたりするそうだ。
というか、実際に過去、オイスター先生はそういうストーカー的存在に絡まれている。あのときは俺が居合わせてなんとか解決できたが……
「頒布数のことだけ考えたら、いつもの女性の売り子さんのほうが数字出ると思うけどねー。かわいいコスプレで来てくれるから」
「それはたしかに俺に求められても困るな」
「でしょ。一長一短なんだよね……あ、ちょっとトイレ。そのあと撤収作業しよ」
オイスター先生が椅子から立ち、離れていく。
俺はゴミを集めたりとひとりで撤収の準備をしていたが、少したったころ、投げかけられる視線に気づいた。
ん、と顔をあげて見やれば、前方の柱の陰に男がひとりいる。
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