第4話 丸と線を書くのが絵の第一歩?


 ○。

 -。

 ○。

 -。

 まる。

 せん。

 まるまるまるまるせんせんせんせん……


「やってられっかこんなもん」


 俺はスケッチブックと鉛筆を机の上に投げ出した。

 これでも長く保ったと思う。

 退院して武蔵小杉の自分のアパートに戻るなり、二時間、○と-を描き続けたのだ。その末に心が折れた。


「……これがいちばん最初にやる基本的な絵の練習だぁ?」


“完璧な丸と線を描けるようになるまでひたすら描くこと。かたちが歪むうちは次のことをするレベルにない”


 ネットでそういう情報を見たからやってるわけだが、はっきりいってクソ退屈じゃね? 刺し身に食用菊乗せる作業のほうがなんぼか有意義に感じる。でもこれを毎日三時間はやり通す忍耐力がなければ到底絵なんて上手くならない、とネットの論者は断言していた。

 無理。この二時間で思い知った。


「やっぱ絵なんか描く気しねーわ……」


 昨日、オイスター先生に賭けの履行を迫られた俺だが、いまはもういかにして奴をいいくるめるかを考え始めている。


「大体、絵の仕事受けられるのなんて基礎がもともとできてるやつの話だろ。子供のころから絵が好きで描いてて、美大や芸大に行って描き方を専門的に学んで……むりむり。俺そういう経歴じゃないし」


 机を離れ、畳の床にあおむけで大の字になり、


「待てよ」


 ふと、「じゃあオイスター先生はどうなんだ」という疑問が湧いた。

 あいつは美大にも芸大にも行っていない。

 だが、俺の知る限り腕も実績もトップランクの萌え系イラストレーターだ。


「初めて会ったときから描いていたけど……どうやってあいつ、基礎学んだんだ? 勝手に身につくもんなのか?」


 ていうか。

 よく考えたら。絵の基礎って、なんだ?


 俺はごろんと転がってスマートホンを手に取った。検索。


「確かあいつ、どっかの動画サイトで配信してたよな……あった」


〈初心者から絵描きになれる! オイスター先生のイラスト講座。第一回は無料!〉


 絵の描き方を教える講座動画。

 こういう動画の配信でもそこそこ実入りがある、とオイスター先生に聞いたことがある。

 あいつの収入はさておき……このタイトル、俺にぴったりの講座なのでは?


「うーん……賭けをした相手のノウハウ見るのはちょっと情けない気がする」


 このときの俺は本気でそう思っていた。

 練習にやる気が出ないのも、そもそも絵に興味がさほど持てないのも本心だった。

 だから、本当に気まぐれだったのだ。

 指を動かして動画を再生したのは。


『はーいぼくだよ、みんな知ってる? 知ってるよね? 『2022年あのイラストレーターがすごい!』ランキング1位でおなじみの美少女神絵師、オイスターでーす!』


 たちまちスマホの画面に出る、さんざっぱら見たドヤ顔。

 なんだろう……こいつ美少女は美少女なんだが、舐めくさったツラとかイラッとする顔とか形容したくなるんだよな、笑顔が……


「ていうか美少女神絵師って。自称してんのかよこいつ」


 厚かましい……とは言えない程度に顔と腕と実績のあるやつだが、ちょっとは謙遜しろと言いたい。

 画面の中でぶんぶんと手を振る悪友につっこみながら、俺はあくび。

 二時間も単純作業をやっていたからかちょっと眠いんだよな。


『今日は最初の最初だから、まず絵の基本練習法から話すね!

 ほら、丸と線を完璧に描けるようになるまで描き続けるのが絵の基本練習っておもってるヒトいるじゃん!』


 俺はぴたりと動きを止めた。あくびと眠気が急速にひっこむ。


『ぼくからいわせればぷーくすくすなんだけど。

 そんな練習法、ただの苦行もいいとこだから! ぼく一回もそんな練習したことないけど神だし。やるとしてもウォーミングアップに十秒程度でじゅうぶんだね!』


 なんだと……? え、この練習法しなくていいの?


『人間って興味あること、楽しいことしか続かないじゃん。

 丸とか線とか描いてそれ楽しいの? 最初っから好きなもの描くのがいちばんに決まってるでしょ。

 だからね、絵描きになりたいヒトがまずやるべきなのは──『自分の描きたいもの』をとことんまで心に問うコト』


 気がつくと俺は食い入るようにスマホの画面を見ていた。

 動画のなかのオイスター先生が手を胸に当てる。


『描き続けて飽きないモノ。描き続けて楽しいモノ。

 丸や線が楽しいヒトはそれ描いてたらいいけどさ、そうじゃないなら興味の対象を掘り下げて。

 電車が好きなら電車を描こう。

 恐竜が好きなら恐竜を描こう。

 描いてて心の底からエンジョイできるなにかを見つけよう。それを描き続けるのが練習になるから。

 修行を苦行にしちゃダメ、遊びながら上達しなくちゃ』


「なんだよ、こいついいこと言うじゃねえか……」


 目から鱗を落として、俺はつぶやく。

 しゃくな話だが感動していた。

 最初のアプローチが間違っていた、そういわれるとそうかもしれない。


 考えてみれば俺がまがりなりにもラノベ作家になれたのも、書くのを楽しんでいるうちに技術が身についたからだ。


「苦行になっちゃ意味がない。楽しくなければ続かない。そりゃそうだよな」


 うなずきながらひとりごちる。

 俺の感嘆のまなざしの下で、オイスター先生はぴんと指を立て、


『そうはいっても描くモチーフがなかなか見つからないってヒトもいると思う。

 そこで提案! ぼくのおすすめは──おっぱいです!』


 はい?


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