第3話 オイスター先生は許してくれない
ベッドで上体を起こしたまま、俺は陳さんに事情を話した。
長い文章が書けなくなったということを。連絡メールへの短文返信くらいならば問題ないが、小説の執筆は絶望的だと。
「そういうわけで、作家業がしばらくとどこおると思います……簡単なプロットくらいはできると思うんですけど……ほんとすみません」
実をいうとプロット作業も怪しい。プロットの作り方は作家によって様々だが、俺はけっこうがっつり細部を詰めて書くタイプだ。長文で提出しなかったことがない。
「謝る必要ありませんよ。事故と怪我はどうしようもないです。
いまは治るまでご静養なさってください。編集部には私のほうから説明しておきますから」
慰めてくれる陳さん。しかしすぐにその眉根が寄せられた。
心苦しそうな表情で、陳さんはドライに宣告してくる。
「ですが有馬先生……期間がかなり空くとなると『ブラッドランド』の完結巻を出すのはますます難しくなります。ほんとうに申し訳ないのですが、おそらく一巻打ち切りという判断になるかと……」
「…………はい。覚悟していました」
ベッドのシーツで隠したこぶしを、血がにじむほどぐっと握りしめる。
それは一巻の初週の数字が出ず、打ち切り決定していた俺の最新ライトノベルだった。次の巻でたたむように言われ、完結巻を書いていたのだが、どうやらモチベを絞り出す苦しい作業をしなくてよくなったらしい。
本当をいうと気は楽になった。そして、喪失感と挫折感が一気に来た。
──何度味わっても打ち切りというのは慣れないな。
悔しい。胃まで石を押し込まれたかのように胸が重い。
──また打ち切りの記録積み上げちまった。
──病気が治っても、俺の次の本は初版減らされるんだろうな。ますます売れにくくなる。
──それ以前に編集会議にプロット通りにくくなる。次に本を出せるのは何年もあとになるかも。
──それも治ったらの話だ。治るのか、病気?
思考が暗い方へ転がる。メンタルが沈むのを止められない。
──ああクソ。せっかく夢の専業作家になったのにな。
──印税の貯金が一年もつかは怪しい。一人暮らし続けられるかな。
視野が暗くせばまりかけたとき、
「だいじょーぶだよ十郎」
底抜けに明るい声が聞こえた。続いて、ぽふと頭に置かれる小さな手。
顔をあげると、オイスター先生が微笑を浮かべていた。
「ぼくがいるじゃん?」
「
思わずペンネームではなく名前のほうを呼んでしまっていた。
そうだ。俺の作品でいちばん長くシリーズが続いたのは、こいつと組んだときだ。
なんて優しい笑顔だ。出会って以来はじめてこいつが天使に見える。人気イラストレーターのオイスター先生が俺の小説に挿絵つけてくれさえすれば、未来に希望が──
「生活の心配はないって。一年後にはどうせうちで家事用の奴隷として
「は?」
なんつったこいつ?
俺の凝視に、オイスター先生はにこにこしながら「忘れちゃだめでしょ十郎」という。
「『一年で絵描きになってやる、できなきゃドレイでもカレイの煮付けにでもなる』って啖呵切ったよね、あの夜」
「お、お前、俺の現状の話聞いてた? 俺それどころじゃないんだけど?」
「小説書けなくておつむのリハビリするしかないって話でしょ?
治るまで絵を描いてればいいじゃん。どうせぼくとの勝負があるから描くしかないんだし。イラスト描くのって脳への刺激になるよ?」
いや。
いやいやいや。たしかに医者からは新しいことをやってみろといわれてたが。
「ははっお前、あんなの本気に……」
震える声でごまかそうと試みたがだめだった。
「あの夜のことぼくは金輪際忘れないからね十郎」微笑するオイスター先生の目が殺意に近いものを宿して光っている。「おっぱいオバケ呼ばわりまでされたもんね」
「いったっけそんなこと!?」
いった……かも……罵りあいになってたときに……でもこいつだって俺のことを「三白眼の犯罪者顔」とまでいってたはずだが!? あいこでよくない!?
「有馬先生、セクハラはだめですよ」
陳さんの非難がましい視線が俺に突き刺さる。いいたいことはあるが二対一だと分が悪い。
やむなく頭を下げる。
「わ、悪かったよ」
「ふんっ」
オイスター先生はTシャツをぱつぱつに張り詰めさせた胸を張る。
小柄な体とはあきらかにアンバランスなそこは、「巨」通り越して「爆」がつく。
となりの陳さんが横目でその双丘に視線を落とし、「……まあ女でもこのサイズはつい見ちゃうし、いう気持ちもわかりますけど」とつぶやいた。
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