第14話
凍りついた地面で滑らないようにバスから降りると、冷たい風が吹き付ける。俺はコートに身体を縮こまらせて、マフラーの中に首を埋めた。真っ白な雪が目の前を舞う。後ろで翔真が大きな歓声を上げた。
「すげぇ」
振り返ると翔真の後ろで悠親が雪を手に持っていた。声をかけようとする前に、大声が上がる。
「冷たっ」
飛び上がりそうになる翔真を見て、悠親は笑っている。服の中に入った雪を払い出して、翔真は抗議する。
「ハル、何するんだよ」
「翔真、トロいな。油断しているヤツが悪いんだ」
「ふぅん。そういうことを言うんだ」
翔真が投げつけた雪が悠親に当たった。
「お前、やったな」
「油断するヤツが悪いんだろう?」
二人はそのまま雪合戦を始めてしまった。あっち、こっちと雪の上を元気に駆け回る。翔真は楽しそうだ。二週間前に悠親の誘いに乗っておいて良かった。
おっと。流れ弾がこっちにも飛んできた。安全なところに退避した方が良さそうだ。俺は荷物を持って、一美と二人で近くにあったバス停に逃げ込む。
五分ぐらい経っただろうか。雪まみれで、息の上がった悠親が入って来た。後ろには翔真も一緒だ。
「何だよ、お前ら。高みの見物かよ」
一美が平然とした顔で答える。
「いやいや、二人で勝手に始めたんじゃん。満足した? そろそろ宿に行こうよ」
一美は悠親に荷物を渡すとバス停を出る。俺たちは後に続いて、宿に向かって歩き始めた。翔真は肩で息をしながら、こちらに手を出す。
「荷物、ありがとうございました」
「結構体力使っただろ。俺が持つよ」
「いや、大丈夫です。オレの地元ってあんまり雪が降らないから、つい興奮しちゃうんですよね」
頭でも撫でてやりたくなる気持ちを抑えて、俺はうなずく。
「地元の人にとっては大変だろうけど、確かに雪ってテンションあがるよな。この辺りは雪質も良いから」
「誠史さん、この辺りに来たことあるんですか」
「ああ、前のシーズンにスノボをしに来た」
あの時は川村と二人だったっけ。あいつはほとんど滑らずに、レストハウスで女の子にちょっかいをかけていたが。
「誠史さん、スノボするんですね。オレにも教えてくださいよ」
「良いけど、俺の指導は厳しいぞ」
「えぇ? 優しく教えてくださいよ」
話をしているうちに、大きな日本家屋が見えてきた。門の柱に書かれている屋号からすると、ここが今日泊まるところか。かがり火の置かれているところが、入り口らしい。
室内に入ると天井が高い。黒い大きな柱が所々に立っている。畳の間にいた女性がこちらに気付き、頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
彼女に靴を預けて、座敷に上がると悠親が俺に声を掛けてきた。
「誠史さん。受付をするから、一緒に来てもらって良い?」
俺たちと二人は別々に部屋を取ってある。チェックインが必要なのだろう。フロントの列に並ぶと、悠親が俺に言った。
「この後、晩メシ食って風呂に入ったら、一度俺たちの部屋集合な。せっかくだから、ちょっとだけ飲もうぜ」
「了解。翔真にも伝えておく」
俺の返事に悠親が笑顔でうなずく。フロント係が俺たちを呼んだので、そちらへ向かって歩き出した。
カギを受け取って部屋に着くと、ほどなく食事の用意ができたことを知らせる電話がかかってきた。
夕食はその土地の食材を使った和食で、翔真はメインのブランド牛のステーキをペロリと平らげてしまった。
露天風呂も湯船に浸かりながら、雪景色が楽しめた。天気の良い朝は、ここから山も見えるらしい。滑り気のある白い湯は熱めだったが、外気の冷たさを考えれば丁度良かった。困ったのは悠親が俺たちの身体を触ろうと、じゃれてきたことくらいだ。
このまま良い気分で寝てしまいたいくらいだが、まだそんな訳にはいかない。とりあえず悠親と一美の部屋で飲むことになっている。俺たちは浴衣姿で彼らの部屋の障子戸をノックした。
中でガタンと音がして、しばらくすると浴衣を着崩した悠親が出てきた。何故だか呼吸が荒い。
「待たせたな。まあ、入れよ」
案内されて部屋の中に入ると新しい畳の香りがする。一美が頭を擦りながら座布団に座り、テーブルに飲み物と乾き物を並べていた。布団は少し乱れた状態で部屋の奥に追いやられている。俺たちが来たから、急にどかしたのだろう。悠親が俺たちに促す。
「じゃあ、二人はそっちに座れよ」
俺たちは入口側に座り、各々好きなアルコール飲料の缶を取ると全員で乾杯をした。一息つくと、翔真が悠親に尋ねる。
「ここ、本当に良い宿だよね。ハルくんが見つけたの?」
「ああ。最初は俺の大学の奴らとのスノボ旅行で連れて来てもらったんだけどさ。良いところだから、プライベートでも使っているんだ」
「へぇ、ハルくんもスノボやるんだね」
「翔真もやるの?」
「いや、誠史さんがやるんだ。前のシーズンは、この辺りに来たって言ってた」
悠親はこちらに身を乗り出す。
「おっ。誠史さん、スノボやるんだ。じゃあ、今度一緒に行こうよ」
他愛もない話をしているうちに、テーブルの上の空き缶が増えてきた。翔真は新しい缶に手を伸ばしながら、悠親に尋ねる。
「そういえば、ハルくん。剛くんとケンカした?」
「ん、ケンカってほどたいしたものじゃないけど」
悠親の家で飲み会をした時のことか。翔真には細かい話をしなかったのだが、本人から何か聞いたのだろう。考え込んでいた悠親は思い出したように声を上げた。
「あっ。でも、あいつから殴られた」
それは初耳だ。確かに剛を追いかけて帰ってきた時に頬が赤くなっていたが、そんなことがあったのか。
「殴られたって、何したの? 剛くん、そういうタイプじゃないじゃん」
「あいつが急に俺の部屋から出ていったから、追いかけたんだ。捕まえた後に話をして」
「で、何を言ったの?」
「キスした」
「へ? どうして」
翔真は調子の外れた声をあげる。
「上手く説明できないけど、慰めているうちに可愛くなってきちまって」
危険人物か、こいつは。恋敵だと思っていた相手から急にキスされただなんて、剛もきっとショックを受けただろう。その時、悠親が声を上げる。
「ちょ、お前。何するんだよ?」
見ると一美が後ろから、のしかかっていた。彼は顔を悠親の首筋の上に乗せて尋ねる。
「何それ? 僕、聞いてないよ」
「何、お前。怒ってるの?」
悠親は焦った声で答える。
「いや、別にしても良いんだけどさ。何で僕に黙ってたのかなって。そこはオープンにする約束じゃん」
悠親が弁明をする前に、一美はその唇を塞いだ。手は浴衣の中に入り、胸の突起をなぞるように撫で回す。湿り気のある音と、くぐもった声が漏れる。悠親は何とか息をした。
「まっ、待てよ。二人が目の前にいるのに」
「ん? 知ってる。ハル、見られるの好きでしょ。隠し事をしていたご褒美」
一美はその口を再び封じると自分の足を差し込み、悠親の足をこじ開けようとしている。もしかして、こいつら。このまま始めるつもりなのだろうか。とりあえず、このままここにいるのは良くない。俺は隣にいる翔真の手を取り、急いで部屋を出た。
俺たちは夜の廊下を足音がたたないように駆け抜けて、自分たちの部屋へ戻った。中に入ると二人で畳の上にへたりこんだ。あがった呼吸を何とか整えて、俺は隣の翔真に声をかける。
「大丈夫か?」
「はい。けど、あっちの部屋にスリッパ置いてきちゃいましたね」
確かに。けど、今さらそんなものは取りにいけない。
「まあ、それは明日にしよう」
「ですね。ところで」
翔真が耳元でささやく。
「誠史さん、興奮しました?」
彼の視線の先を追った。俺は何を言って良いのか、わからないまま声を上げる。
「えっ、これは。その」
「オレは興奮しちゃいました」
驚いて翔真の顔を見ようとしたら、彼の唇が触れる。続けてバードキスの雨が頬に、顎に、首筋に、耳に降り注ぐ。思わず俺は翔真を抱き締めた。ピリッと甘い刺激が身体を走り、お互いの身体の熱を感じる。このまま流されてしまって良いのだろうか。だが、考える間もなく、翔真によって畳の上に押し倒されていた。そして――。
雪が地面に落ちる音がした。目を開けると窓から太陽の光が差し込んでいる。もう朝か。だが、まだ眠い。寝返りをうつと素肌が布団に擦れる音がした。隣には心地よさそうな顔で、翔真が眠っている。
とうとうしてしまった。当初、俺が想像していた展開とは違ったが、満たされた気持ちでいっぱいだ。にしても、げに恐ろしき若者の体力。終始、俺が圧倒されてしまった。次こそは年上の威厳というものを発揮しなくては。でもーー。
目の前であくびをする音がした。翔真は顔を擦り、言った。
「おはようございます」
「あっ、ごめん。起こした?」
「いや、大丈夫です。けど、暖かいですね。何も着ていないのに。初めて知りました」
「ああ。でも、本当に良かったのか」
「何が?」
「俺とあんなこと、して」
翔真は俺の顔を見て、微笑む。
「誠史さんは嫌でした?」
「いや」
「良かった。オレも嬉しかったですよ。その証拠に、今もしたいです」
翔真が俺を押し倒した。年上の威厳はいつ発揮できるだろうか。頭の片隅でそんなことを考えながら、俺は幸せの中に沈んでいく。
運命はどこにでも転がっている 藤間 保典 @george-fujima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます