第13話
イルミネーションが点灯し始めて、商店街がキラキラしている。街を歩く人々の足取りも何だか軽い。もうクリスマスか。時間が経つのもあっという間だな。俺は歩く人の邪魔にならないところへ移動して、スマートフォンを確認する。
教えられた住所によれば、悠親が住んでいるマンションは、この商店街を抜けた先にあるらしい。
あの二人に会うのは翔真の学園祭が終わって以来だから、一ヶ月ぶりだろうか。宅飲みをするんだから、ちょっとしたお土産でも買っていった方が良いだろうか。
惣菜屋の前で一瞬足が止まった。美味そうなコロッケを売っている。値段は一個八十円か。これなら今日食べきれなくても、朝ごはんに転用できる。タイミングを見計らったかのように、おばちゃんの愛想良い声がした。
「お兄ちゃん、今日のおかずにどう?」
必要なのは悠親と一美、遅れて来る翔真と俺の分。
「じゃあ、四つちょうだい」
「あいよ。お兄ちゃん、格好良いから一個オマケにつけとくね」
まあ、一個くらいなら誰か食べるだろう。支払いを済ませて、おばちゃんからコロッケを受け取ると、ほんのり暖かい紙袋から、美味そうな香りがする。一個だけ食っちゃおうか。いやいや、やめておこう。目的地はもうすぐだ。
スマートフォンの指示に従って歩いて行くと、通りの両脇から店がなくなり、マンションが建ち並ぶようになってきた。この辺りのハズだ。目の前に現れたシンプルなデザインの白い壁の低層マンションの名前を確認する。どうやら目的地に到着したようだ。俺は玄関にある操作盤に教えられた部屋番号を押す。
「カギ、開けますね」
一美の声がして、自動ドアが開く。エレベーターで最上階の四階まで上がり、インターフォンを押す。
「はーい」
ドアが開き、中からエプロン姿の悠親が出てきた。
「いらっしゃい。上がって、奥の部屋で待っててよ」
「これ、お土産」
「別にいいのに。あっ、これ商店街にある惣菜屋のだろ。あそこの美味いんだよ。ちょっと温めるわ」
悠親は紙袋を受け取り、皿を出しはじめた。俺は靴を脱いで、奥の部屋に行く。
中には一美と、その右隣に剛がいた。いつの間に仲良くなったんだろう。一美はこちらを向いて、挨拶をしてきた。
「お疲れ様です。何を飲みますか」
「じゃあ、ビール」
俺は缶を受け取り、カーペットの上に座った。部屋にはテーブルがひとつにベッドと本棚、姿見鏡があるだけだ。綺麗に片付けられており、本は同じサイズごとに並べられていた。ベッドの下にある箱から手錠がはみ出しているのは、見なかったことにしよう。視線を逸らしたら、剛と目が合った。彼は頭を下げる。
「お久しぶりです。翔真くんは?」
「今日はバイトで、ちょっと遅れて来るんだ」
「そっか。僕も何かやった方が良いのかな」
剛が呟くと一美が相づちを打つ。
「良いんじゃない。社会勉強にもなるから」
「一美さんがそう言うなら、僕やってみます」
この二人、どうなっているんだろうか。悠親が気にしていないということは、何もないんだろうが。いや、あいつは最初会った時に「四人でやってみる?」なんて言っていたヤツだ。って、まさか三人はそういう関係? けど、剛くんは「好きじゃない相手とはしない」と言っていた。一美はともかく、悠親とするだろうか。
考え事をしていると、ドアが開く音がした。悠親が料理を持って、部屋の中に入って来る。
「お待たせ」
左手の皿には餃子がぎっしり乗っている。右手は俺が買ってきたコロッケと唐揚げだ。悠親はテーブルに皿を置き、一美の左隣に座る。
「じゃあ、はじめようぜ」
各々、自分の飲み物を手に取って、乾杯をした。俺は悠親の作った唐揚げに手をつける。
「美味っ」
思わず声が出てしまった。悠親は得意気に俺を見る。
「だろ? 翔真から誠史さんがビール好きだって聞いていたから、ビールに合う味の特製スパイスを使ったんだ」
悠親にそんな特技があったとは意外だ。これはビールが進んでしまう。次の唐揚げに手を伸ばそうとした時、悠親が俺に尋ねる。
「誠史さん。翔真とは、最近どうなの?」
「どうって?」
「またまた、とぼけちゃって。何か進展したんでしょ」
「ん、まあ」
「もしかして、とうとうやっちゃった?」
随分と楽しそうだな、こいつ。
「やってない、やってない。キスだけだ」
「おっ、一応進んではいるんだ。いつしたの?」
「学園祭の時」
「あぁ、やっぱり。誠史さんがいなくなって、その後に二人で帰って来たから、何かあったとは思ってたけど。誠史さんが部屋から出ていったのを翔真に教えた甲斐があった訳だ」
気付かれないように部屋を出たつもりだったが、こいつに見つかっていたってことか。悠親は言葉を続ける。
「にしても、随分とのんびりしてるな。焦らしプレイ?」
「アホか。俺たちには、俺たちのペースがあるの」
まあ、そろそろ俺が主導権を取らなくてはと思っているけど。俺の考えを見透かすように、悠親はニヤニヤした顔でこちらを見ている。
「そういえば、十二月にカズと温泉に行こうと思っているんだ。二人も一緒に行かない?」
温泉か。翔真は年が明けたら試験と、就職活動の準備で忙しくなるだろう。だとしたら、どこか出掛けるにしても当分先になってしまう。だとしたら、ちょうど良いタイミングかもしれない。
「良いのか? 二人で行くつもりだったんだろ」
「気にすんなって。みんなで行った方が楽しいじゃん」
「そっか。じゃあ、翔真に相談してみる」
「オッケー」
餃子を取ろうと箸を伸ばしたら、剛の姿が目に入った。四人で温泉に行く話で盛り上がってしまったが、彼はどうするのだろう。俺は話を振ってみる。
「そういえば、剛くんは最近この二人と仲良いの?」
「一美さんとは、仲良くさせてもらってます」
剛はハッキリとした声で答える。「とは」ってことは、仲が良いのは一美だけってことだろうか。悠親が抗議の声を上げる。
「お前。そういう言い方、止めろよ。空気が悪くなるだろ」
「何のこと? そっちこそ、人に難癖つけるの止めてくれない。ただでさえ邪魔なのに」
「いや。ここ、俺の家なんだけど」
「しょうがないでしょ。一美さんがここにいるんだから。でも、それも今のうちだけですけどね」
「ふぅん。清純そうに見えてテクには自信があるって訳だ。確かにお前みたいなのって、むっつりスケベなのが多いよな」
悠親が鼻で笑う。剛は大きな声で応じた。
「やだやだ。性欲でしか考えられない人間は、これだから困る。最後に勝つのは愛ですから」
「愛とか言うヤツに限って、現実も相手も見えていないよな。本当に欲しいなら、もっとカズ自身のことを見ろって」
剛の顔は真っ赤だ。よく見たら、彼の周りには、飲んだであろうアルコールの空き缶がいくつか転がっていた。
「何でそんなことを言われなきゃいけないんだ。僕はあんたから一美さんを救い出す」
「だからさ。そういうところだよ。お前のやっていることは、独りよがりなの」
「そんなことない。一美さんはあんたにたぶらかされているだけだ」
剛の持っていた缶が音を立てて潰れた。悠親は急いでウェットティッシュを取り出す。
「ちょっと落ち着け。キレるなよ。おい、カズ。お前も黙ってないで、こいつに何か言ってやれ」
全員の視線が一美に集まる。剛は乞うような声で尋ねる。
「一美さん、なんでボクじゃダメなんですか」
一美はにっこりと微笑む。
「剛くんのことは、可愛いと思っているよ」
剛の表情が緩む。その瞳をキラキラと輝かせて、一美を見つめる。
「じゃあ」
「けど、君が求める愛を僕は与えることができないんだ」
「えっ?」
剛の動きが止まる。
「剛くんも知っているよね。僕とハルがどんなことをしているか」
「そ、それは。でも、こいつに付き合っているだけなんでしょ。一美さんは優しいから」
そういえば、悠親と一美に初めて会った時に「別のカップルも交えて、している」と言っていた。多分、そのことだろう。すがるように見つめる剛を前にして、一美は首を左右に振った。
「違うよ。僕の望みにハルが付き合ってくれているんだ。剛くんはこんな僕でも、受け止めてくれる?」
一美が豹のように覆い被さり、剛は床ヘ倒れこんだ。今にも二人の鼻が触れそうなくらい顔が近付く。剛は動かない。いや、動けないと言った方が正確かもしれない。二人は見つめ合う。
その時、インターフォンが鳴った。
「すみません。ご注文のピザをお持ちしました」
全員の意識がそちらに向いた瞬間、剛は一美の下から抜け出して、部屋を出て行ってしまった。
「ちょっと待てよ」
部屋に残された剛の荷物を持って、すかさず悠親が追い掛ける。一美はインターフォンに出て、配達員へ部屋まで上がって来るように告げた。俺は尋ねる。
「いいんですか?」
「剛くんのことは、ハルなら上手くやってくれますから、大丈夫」
「でも」
「僕が行ったら、ダメです」
一美は俺を真っ直ぐに見る。確かに、ここで彼が一人で追い掛ければ、剛に期待をさせてしまうかもしれない。けど、一美は剛の真剣な思いに向き合った方が良いのではないだろうか。
「僕が剛くんと同じように一人の相手を愛せるタイプだったら、良かったのに。なんて、遊び人の戯言に聞こえますよね」
俺の疑問に答えるかのように、一美は微笑む。だが、その顔は何だか悲しそうだ。
「正直、自分の感覚に悩んだことはあります。けど、考えていても正解はわからなかった。だったら、自身の責任で確認していくしかない」
「そうなんでしょうか」
「もちろん、考えればわかることもありますよ。でも、例えば相手の気持ちは一歩相手に踏み込んでみないと実際のところは、わからないじゃないですか」
俺は頷く。翔真との関係も自分の頭だけで考え過ぎていたような気がする。二人で一歩踏み込んでみて、それから話し合って決めても良い。しかし――。
「とはいえ踏み込んだ結果、間違っていることがわかったら?」
「仮説が違った場合に、どうするのかを考えておく。僕とハルはどちらかが『違う』と感じた時にハッキリ言う約束をしています」
「実際に言えますか」
「黙っているってことは、相手よりも自分の幸福を優先しているかもしれないっていうのを頭に入れておいてください。それだけでも、随分違いますよ」
再びインターフォンが鳴る。配達員が部屋の前まで来たようだ。一美は玄関に向かって行った。
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