第15話 魔族

 4階層の大部屋を抜けた先、そこは様々な幅の道があちらこちらへ幾つも伸びている場所だった。


 道から視線を外せば下は真っ暗闇。もし足を踏み外せば下の階層へ逆さまに落ちていくだろう。どうやらこの場所は1階層から最下層の5階層ですべて繋がっていて吹き抜けとなっているらしい。もし1階層から落ちた場合、運が良ければ2階層の足場に着地して近道が出来る。けれども運が悪ければそのまま最下層まで落下するのだ。宙に浮ける魔法が使えればこの穴からどの階層もすぐに行けるだろうが、魔法が使えないなら回り道。


 この穴から安全に降りられる階段は何処にも無いらしい。


「この吹き抜けの一番下、5階層は上層から落下してきた人の遺体があったりするんです」

「殆どがゴブリンの骨だけどな」

「遺体あれば、冒険者タグ回収」

「じゃあうっかり足踏み外しても、道が崩れても落下なのか……気を付けないと」


 カナンは少し悲しげな表情をして穴の先を見つめている。アンクスによると落下した先の遺体はその殆どがゴブリンらしい。アンクス達はゴブリンの洞穴に何度か来たことがあるようである。


 もし冒険者の遺体があればタグは回収するようにとシーリンに言われた。

 そんな会話をしているとアールが俺の耳元で焦った声を上げた。


「あ……マズ……イ……隠れロ……」

「隠れる?」


 どういう事なのか分からず、俺は背負っていたアールに聞き直した時だった。


 上空から風を切る音が近づいてきた。何かが落下する音。落ちてきたモノは俺たちのすぐ近く、比較的広い足場に着地した。


 落下してきた人物はゴブリンの首を手に持っていた。そしてゴブリンの眼窩に指を深々と突き刺し、かき混ぜている。


「どこどどどこかかかかな。どこかどこかなドラゴンのののの眼眼め眼眼」


 その人物は楽し気な声で意味のわからない事を呟いていた。そしてかき混ぜていた指を抜き取ってゴブリンの眼球を目前に掲げる。


「ドラゴンアイ? 違う? 違う違う違うちちがうちがうちちあああ。————ゴブリン」


 一度言葉を止めたその人物はゴブリンの眼球越しに俺たちを認識した。俺はゴブリンの眼球を取り出していた事にばかり目が向いていた。しかしよく見ると落下してきた人物の風貌は異常であった。


 元は何色なのか分からないほど汚れたワンピースを着ている女性。足は裸足でゴブリンの血が滴り落ちている。肌の色は暗い紫色をしていて、手足や顔のあちこちが肥大化していたり、大きなできものがある。そして彼女の周りでは風を切る音が無数に聞こえる。さらには音だけで無く彼女の立つ地面の周りがズタズタに切り裂かれていた。


 その異様な姿の女性は手に持つ眼球を握りつぶし、ゴブリンの首とともに投げ捨てた。宙に舞うゴブリンの首は不可視の刃によってズタズタになり、血と肉片を周囲にまき散らす。そんな様子を気にも留めずに彼女は俺たちの方にゆっくり歩いて近寄ってきた。


「ゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリン。ここここ殺さないと増えて増えて増えてききき気持ち悪いゴブリンンン」


(魔族だ……俺が合図したら皆一斉に散らばって逃げるぞ!)


 アンクスが俺たちに小声で指示を出した。どうやら目の前の異常な風貌の女性が魔族らしい。シーリンとカナン、そして俺は頷いて了承する。俺は走れるようにアールを抱えなおそうとした時、アールは俺の背中から無理矢理降りたのだった。


(おい、アール!)

「先に……逃げロ……」

「ここ殺しても増えてて殺ししても増えて殺して殺し? ……あ、れれ?」


 俺がアールを小声で咎めたその時、魔族は足をピタリと止めた。何をするのかと思い観察すると、魔族は何やら臭いを嗅ぐ仕草をした。そして首を横にカクンと傾け、虚ろな目を見開く。ゆらり揺れていた腕を持ち上げ、その歪な指でアールを指さした。


「何で……何で何で何で、魔王様の大事なもももものもの持ってるの?」

「さて……何でだと……思ウ? ……お嬢サン」


 アールはふらふら歩いて魔族に近づく。そしてアールは俺たちに向かって手で払う仕草をした。俺はアールを連れ戻そうとしてアンクスに引き止められる。


(やめろ! 魔族に補足されれば逃げるのは困難だ。今は助けを呼ぶために俺たちだけでも逃げるぞ!)

(でもアールが!)


 アンクスは俺の胸倉をつかみ必死の形相で告げる。


(魔族に目を付けられれば何処までも追いかけてくる! アールを抱えて何処まで逃げられるっていうんだ!? 運よく撒けても後で町へ探しにやって来るぞ! 下手なことして犠牲者を増やすわけにはいかないんだよ! パーティーのリーダーとして、試験官としての判断だ!)


 アンクスを見て……脳裏にロンジの言葉が浮かんだ。試験管の言う事くらいは聞けよ、なんて言葉を。そして俺はアンクスの勢いに押されて頷いてしまう。それを見たシーリンとカナンは安堵の表情を浮かべた。アンクスは手で指示を出した。シーリンとカナンはこのまま上層へ、俺とアンクスは最下層に向かって転移陣を使用する。転移陣が使えるかは賭けであるようだが。

 そして全員に指示が伝わったことを確認し、アンクスが声を張った。


「全員走れ!」


 シーリンとカナンは上層へ引き返し、俺は半ばアンクスに引きずられるようにして最下層の方へ。魔族は苛立ったようにアールを睨みつけながら何かぶつぶつ呟いている。アールは魔族に笑顔を向けて軽口をたたく。ふたりは何一つ会話にならない言葉を交わしていたのだった。逃げる俺たちにはまるで見向きもしない。


 このままアールと魔族の間に何事も無ければ、もしかしたら助けが間に合うかもしれない。ならば今は選んでしまった選択にくよくよ悩むよりも進まねば。俺は最下層へ急いだ。


    












 そしてアンクスの背を追ってひたすらに5階層を走っている時、上層から大きな音が鳴り響き始めた。


「さっきの魔族が暴れだしたか!?」

「……アールっ! 転移陣はまだなのかアンクス!」

「もうすぐそこだ!」


 俺は焦りを胸にひたすらに足を動かす。アールが無事である事を祈って。


「あれだ! 転移陣に乗れ!」


 アンクスの声に従い、俺たちは転移陣の上に飛び乗る。

 しかし何も起こらなかった。

 転移陣は完全に沈黙し、上層からの轟音はまだ鳴りやまない。


「何で発動しないんだ!?」

「くそっ! きっと入り口の転移陣が破損している! あの魔族が壊しやがったか!」


 うんともすんとも言わない転移陣に俺は混乱した。アンクスは怒りをぶちまける様に転移陣を強く踏みつける。俺たちがこのダンジョンに入った時、入り口の転移陣に破損は無く使える状態であったのは確認している。何かあったとすればその後の事だろう。しかし今はそんなことを考えている余裕はない。


「レスト! 引き返してそのまま地上を目指す!」

「分かった、急ごう!」


 俺たちは慌ててさっきまでの道を引き返す。丁度その時、全身に音が響き渡るような感覚に襲われる。轟音はさらに大きくなり、地面が揺れているのを足で感じられるほどであった。


「ちっ、ダンジョンが崩れかけている!」

「ダンジョンって崩れるのか!?」


 アンクスの言葉に俺は驚いて聞き返す。その直後、背後から岩が崩れ落ちる大きな音がして砂煙が舞い上がる。走りながら振り向くとさっきまでの道が岩で塞がれ、無くなっていた。


「まずい! アンクス、もっと速く!」

「俺には! これがっ、限界だ!!」


 俺はまだまだ余裕だがアンクスの方はかなり全力で走っているらしい。俺はアンクスに並走しながら落ちてくる岩を蹴り飛ばして進む。時折隠れていたゴブリンと遭遇するので目視した瞬間に俺が切り捨てる。


 ダンジョンが崩れて慌てて出てきたゴブリンが俺たちを見るや否や周囲の状況を忘れて襲い掛かって来るのだ。お互いが相手をしている余裕などないというのに。


 


 







 ようやく最下層を駆け抜け、俺とアンクスはかろうじて埋まっていなかった4階への階段を駆け上がる。そして魔族と遭遇した吹き抜けに戻ってきた。そこは俺たちが最下層に降りる前に見た景色とは一変していた。


 壁だった場所は穴だらけになり、他のフロアにあった部屋も丸見えだ。何だかより一層広くなったように感じる。そして崩れてしまいそうだった道は今やすっかり無くなってしまっていた。足場に出来そうな場所と言えば壁に沿った場所、若しくは下層から突き出た岩を飛び飛びに渡るしかない。


 俺は戻りの道を確認する前に周囲を見回す。すると一番広い足場にアールがひとり居た。アールは壁にもたれ掛かり、足を投げ出して地に座りこんでいる。


「足場を飛べば何とか戻れるな。それより魔族が居ない……?」

「アール! 大丈夫なのか!?」


 アンクスは冷静に帰りの足場の確認をしている。俺はアールに向かって声を掛けた。俺たちとアールの間にはかなり距離があり、足場の数も少ない。


「ボクは大丈夫ダ。それより早く外へ行ケ。ここ崩れるゾ?」

「5階層に魔族は来てなかった。……っまさか上層へ!? カナン! シーリン!」


 アンクスは血相を変えて叫ぶ。胸が張り裂けるような悲痛な声だった。そして俺が知るよりもずっと速い速度でアンクスは足場を飛び渡る。上層へ向かった彼は直ぐに姿が見えなくなった。俺のことはもう完全に頭の外のようであった。


「レストもさっさと出口を目指セ」


 ……アールを置いて俺はさっさとダンジョンを出ろって? さっきアールを置いていった事で俺はめちゃくちゃ後悔しているのにまた?

 周囲にあの魔族が居ない今なら俺がアールを町まで連れて帰っても特に問題は無いはずだ。いや、ひょっとしてアールはひとりで脱出できる手段があるのだろうか。先ほどあいつは大丈夫だと答えていたが……座り込んで動かない所を見ると脱出する気が無いようにも見える。脱出に際して俺に足手まといだと言っているのか、そのまま崩落に巻き込まれて此処に埋まるつもりなのか。


 俺は声を張り上げてアールへ問いを投げかける。


「……悪い、聞き方間違えた! アール! ダンジョンが崩れる前にお前ひとりで脱出できるのか!?」


 それを聞いたアールはバツが悪そうに目を逸らす。


「そりゃ無理だナ」


 アールの近くで岩が落ち、砂煙が舞い散る。そんな危険な状況でも、あいつはどこ吹く風であった。

 俺は顔面に青筋が立ったのを自分でもはっきり分かったのだった。

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