第16話 そこに落ちてる右腕
アールはひとりで脱出するのは無理だと言った。それはつまり。
「バカかお前! 死ぬつもりなのか!?」
俺はアールを罵倒しながら助走をつけて飛ぶ。ひとつめの足場は止まらずに踏み切ってそのまま更にふたつめの足場へ。一度着地してさらに壁の方に、小さな足場を斜めに踏みつけてアールのいる方へ向かった。しかし俺の踏み込みが強すぎたのだろう。小さな足場は崩れ落ちて俺はバランスを崩す。
「っ!? こっんなくそ!」
このままではアールのいる場所まで届かずに落ちてしまう。俺は必死で手を伸ばし、何とか目的地である足場の淵を掴む。かなりギリギリでぶら下がる事が出来た。俺は崖の出っ張りに足を引っかけてよじ登る。登った勢いで平らな地面に転がって荒い息を整えた。ようやくたどり着いた。
俺は休憩もそこそこにアールの元へ向かう。
「バカ言ってないで急いでここ出るぞ」
俺は砂煙手で払いながら近づく。そして有無を言わさずアールを背負った。しかし俺はその体重に違和感を覚える。魔族と遭遇した時にもアールを背負っていたが、その時よりも明らかに軽いのだ。人はこんな短時間で体重が軽くなるものだろうか? それに加えてどうも背負いにくく感じる。
「……運んでくれんのカ?」
「ああ、揺れるだろうがじっとしてろよ」
俺は不思議に思いながらもロープを取り出す。アールを体に固定するためである。するとアールが左手で地面を指さして言った。
「……なら……そこに落ちてる右腕……ついでに拾ってくレ」
「————は?」
瞬きひとつで景色が一変した。
何もなかったはずの地面には血だまりが幾つもできていた。ひときわ大きな血だまりには体格のよい大きなオオカミの死体が無残な姿で沈んでいる。そしてアールが指さした方に右腕が落ちていた。
アールの右腕だった。
俺は背負ったアールを見る。右肩から先が無くなっており、そこから血がしたたり落ちている。肩は服のベルトで止血しているようだ。アールの顔はもはや死人かと思うほど土色だった。
周囲には錠剤と小さなケースが転がっていた。アールの近くに散らばった錠剤は見覚えがある。スワンからアールへ渡された物だ。
今にして思えば俺がアールに向かって叫んでいた時に何故気付かなかったのだろう。アールは普通の声量で返答していた。それで俺に届くのはおかしいのだと。
アールが無事で、魔族は何処かに逃げている。
そんな俺の期待通りの場景————全部が幻だった。
『悪いな。レストの見たいモノを見せていた』
俺の頭の中で声が響く。滑らかな発音。何時も耳にする声と似ても似つかぬものであったが、アールの声だと直感した。今まで見ていた幻はアールによるものだった。俺が背負っているアールの体はピクリとも動かない。
「ぇ……お、お前……クッソ何なんだよ! っ……何がハッピーな夢見せるだバーカバーカ! 俺っ、今し心臓止まったかと思ったんだぞ……! っ次にこんなはた迷惑なことしたら! したら、えーっと!? そうだ! 毎晩アールが寝ている時に叩き起こしてやるからな!」
今も心臓がいやに煩く響く。あの時置いていかなければ良かった。何で俺はまだ記憶が戻らないのだろう。もし記憶が戻っているAランク冒険者の俺だったら、アールを逃がせたかも知れないのに。
俺は行き場のない感情を発散させるようにがむしゃらに叫んだ。叫ぶ間にも拾った右腕とアールを俺の体にロープでぐるぐるに固定する。崩壊するダンジョン内で悠長にしている時間の余裕などない。
「ここから出た後で! 俺が分からないこと全部! みっちり問い詰めてやるから覚悟してろよ!」
『……おぉ怖い怖い』
少し反応が遅れて、全く怖がってなさそうな声が俺の頭に響いた。
何故頭の中に声が聞こえるのか。
このダンジョンはゴブリンしかいない筈なのに何故オオカミの死体がここにあるのか。
本当に分からないことだらけだ。
「全部聞くまでだ! それまで絶っ対に! 死なせないからな!」
必ずアールと生きてここを脱出する。
俺は壁の方まで駆け寄った。振り返って上から崩れ落ちてくるひと際大きな岩を見据える。大きな岩が正面に落ちてくるタイミングを見計らって俺は駆け出した。
「っだらあ!」
大きく飛び跳ね、落ちてきた大岩を足場にして再度高く飛び上がる。そして斜め前にある岩の柱を蹴って壁際の足場に着地した。ここからはアンクスが向かっていった方へ、来た道を戻るだけだ。俺は穴だらけの道を難なく飛び越えて4階層大部屋に戻っていった。
4階層の大部屋は上から落ちてきた岩で視界が随分と悪い。俺はアールと右腕がしっかり固定されているか確認し、通れる幅の通路を走ってすり抜ける。
「狭いんだよっ!」
狭い幅の場所は岩を思いっきり蹴り上げて通路を広げた。広げた通路は崩れる前に駆け抜ける。
そして3階層へ戻る階段へ。そこは途中が崩れて大穴がぽっかりと開いていた。普通に飛び越えようにも少々穴が広い。
「壁壊れませんように!」
穴の真横、階段途中の壁を交互に蹴り上げて大きな穴の上を通る。手をつきながらもジグザグに壁を蹴り渡り、穴の向こうに残る段差に着地した。その時だった。
「うっし! ってうぉ!?」
着地した足元の段差が俺たちの体重を支え切れず崩れ落ちる。俺は慌てて崩れいく階段を登り切る。
「し、心臓に悪ぃ……」
全て崩れ落ちてしまう前に何とか三階層へたどり着いた。
3階層にたどり着いてみると天井が抜けて坂道が出来上がっている。そして二階層がぽっかりと見えていた。
「やりぃ! 近道出来る!」
抜けた天井の岩を駆け抜け、俺は2階層へ戻る。しかしそこから2階層を走り進めていると上層へと続く道が完全に塞がれていたのだった。
「道が無い……。こんなのどうすれば……」
『……ひとつ前の部屋に戻れ。道が無いなら作れ』
またもアールの声が頭に響いた。俺は深く考えるよりも先に動く。アールの言葉に従って足を向けた。ひとつ前の部屋に戻るとアールの声がまた頭に響く。指示に従ってとある壁の方向へ俺は向かった。
「ここだな?」
『……もう少し右……そこだ』
穴と崩れ落ちた岩だらけの部屋の何の変哲もない壁。その壁へ力いっぱい回し蹴りを叩き込む。すると蹴り破った先に通路と一階層への階段が現れた。
「ダンジョンの壁って案外脆いもんだな!?」
俺は蹴破った壁を急いで通り抜けて1階層へ駆け上がった。
1階層は足元が穴だらけではあるものの他の階層よりも広い空間だった。その為、塞がれる道もなく走り抜けていった。
そして1階層の吹き抜けにたどり着く。ここも通路は殆ど崩れ去ってしまいただの大穴となってしまっている。この穴に落ちてしまえばおそらく五階層まで真っ逆さまだろう。俺はアールを体に結んでいるロープが緩んでいない事を確認する。
「足場が無い……か。仕方ない。壁を掴んで渡るぞ」
地上への道は穴の真向かいではない。穴の右方向に道があるのだ。大穴の壁を横に四分の一ほど進めれば道へたどり着く。
俺は滑らぬよう両手の汗を服で拭って岩の出っ張りを掴む。そして足で壁の出っ張りを探る。探りだした僅かな足場に体重を乗せて進む。壁から揺れを感じながらも落ちぬように食らいて進む。
ようやく半分ほど進んだ時だった。比較的広い足場で一休みしようと体重を乗せた瞬間に足元が崩れ落ちた。
「ッ! マズッ」
慌てて出っ張った岩を掴んで間一髪落ちずに済んだ。がしかし、ぶら下がった状態で上を見れば大きな岩がガラガラと俺に向かって落ちてきていた。
「嘘っだろ!?」
俺は振り子のように一度体を揺らし、腕の力と揺れる反動で横に飛んだ。それでなんとか落石を回避する。が、そんな無理な回避によって体が宙に浮く。
「落ちてっ! たまるかっ!」
咄嗟にロングソードを振りぬき壁の亀裂に突き刺した。どうやら上手いこと深く突き刺さった様だ。落ちることなくぶら下がる事が出来た。どうにかロングソードから壁の方へ手足を伸ばし、岩の突起を掴んで真上によじ登る。そしてロングソードを足場にして次の通路への穴を見据える。
「この距離なら飛んでも届くか……?」
ダンジョンの揺れは大きくなるばかり。今や壁に幾つも亀裂が走っている。急がなければ壁ごと俺とアールは落ちてしまうだろう。覚悟を決めて、俺はロングソードを思いっきり踏み抜いて飛んだ。
「届、けっ…………!」
穴に手を掛ける。掴んだ。掴めた。俺はこれでもかという程に手に集中する。落ちぬよう全力でぶら下がる。そして持っていた小ぶりのナイフを壁へ無理矢理に突き刺す。突き刺したナイフを支えにしつつ、俺は何とかよじ登ったのだった。
「後っ、は…………出口、までっ!」
小ぶりのナイフを回収し急いで立ち上がる。刃が少し欠けたようだ。しかし先ほど突き刺したロングソードを回収出来ない以上、何もないよりましだ。念のため持っておくことにした。
俺は急いで出口まで向かって走る。ここから出ればアールの怪我の治療をしないといけない。回復魔術で腕がもとに戻るといいのだが。
そうこう考えているうちに光がみえてきた。地上への階段だ。遠目にだが出口にアンクスが見える。階段に埋まる岩を割って外に出しているようだ。
「さっさと来い、レスト!」
アンクスが俺に声を掛けた時、階段の天井が大きく割れて崩れた。急いで駆け抜けようにも崩れる範囲があまりに広すぎる。あともう少しで出口なのだ。このまま埋まるわけにもいかない。
「アンクス! 横に飛べ!」
アンクスは俺の言葉を聞いて察したのだろう。すぐさまアンクスが俺の視界から消える。
上方から大きな岩がガラリと俺に崩れ落ちて来る。
「はっ」
俺は落ちていた岩に向かって飛び上がる。そしてその岩を思いっきり蹴とばして割れた天井へぶつけた。
「!? っち!」
蹴とばした岩で天井ごと外に吹き飛ばすつもりだったが上手くいかなかった。しかも運の悪い事に俺の足の装備が大破してコントロールが狂ってしまったのだ。けれど嘆く暇など無い。ぶつけた時の一瞬出来た時間。その間に俺は出口まで全力で駆け上がった。
だが、しかし────
「っ……! これじゃ……」
恐らくほんの少し間に合わない。
そのまま走り抜けた場合、俺が良くても背負ったアールが岩に接触してしまう。
極力体制を低く駆け抜けるがあと少しが足りない。
「くっ……そっ……!」
そんな時、アンクスの声が聞こえた。
「っ!? 〝
出口に落ちる岩が何かにぶつかる音が聞こえた。防御魔術だ。しかし岩がぶつかる重い音がした後、パリンと割れる音がした。それもそうだ、岩が落ちるというより壁が降りて来るように見えたくらいだ。あまりの重さに防御魔法が一秒と持たなかったのだ。稼げたのはほんの少し、ゼロコンマ数秒。
それはあまりにも少ない時間。
でも、その刹那の時間。
それだけ有れば俺には十分だった。
目は外だけをまっすぐ見据える。
力いっぱい地を踏み込んだ。
地面スレスレを飛んでいる気分だった。
落ちる岩と地面の間を慣性で滑り込む。
一瞬だけ暗くなり————
————全身が光に包まれた。
と、理解した瞬間だった。
俺は顔から胴体全て、地面へと盛大に擦る。
「ぅぶぶっ!!」
止まる時の事を全く考えていなかった。体に巻いたロープが擦れて千切れる音がする。背負ったアールだけは落ちぬよう咄嗟に手で庇った。そして俺とアールがダンジョンから出たのとほぼ同時。ひときわ大きな地響きが鳴り渡った後、しばらくして辺りに静寂が訪れる。
俺は全身スライディングから漸く停止した体を起こす。手で触れた感触から……俺の顔や体は摩擦で真っ平にならずに済んだようだ。
そして振り返れば、ダンジョンの入り口は何処にも見当たらず、ただの瓦礫の山に変わっていたのだった。
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