第12話 図書室の少年
「……何から読めばいいんだ?」
ギルドの二階の図書室に来た印象。思ったより広くて、本が多くて、人が居ない。
図書室のカウンターに居る人は本を読んでいるな。どうやらかなり集中しているようで俺の方には全く見向きもしない。
壁に書かれた注意事項のひとつに図書室内は飲食厳禁との記載を見つけた。饅頭を食いながら勉強は無理そうである。俺は饅頭を食べるのを辞めて、目についた本を適当に手を取ってみることにした。
「うーん……お、返却本か。超ひも……魔粒子? ……ひもの特別な結び方とか?」
冒険するなら紐の結び方を知っといた方が良いと思い分厚い本を手に取る。図解してあるから分厚いのだろうと思いきやそうではなかった。
「…………?」
ぱらぱらとページを少しめくった後、俺は本をそっと元の位置に戻した。次は理解し易そうでかつ比較的薄い本を探そうと思い、視線をあちこちに向けながら奥に進む。
「ちゃんと人がいるんだ」
本棚で隠れて見えなかった奥に読書スペースがあった。大人が何人も寝ころべそうなほど大きな机がひとつ。その周囲に椅子が数多く置いてある。そこに十歳前後と思われる少年がひとり熱心に調べものをしていた。
彼は大きな机のスペース目一杯使って本を山積みにし、さらにタブレットデバイスを何枚も使用している。可愛らしい顔に不釣り合いなほど真剣な眼差しに気圧される。その場には近寄りがたい空間が出来ていた。
俺は邪魔しては悪いと思い踵を返そうとした時、声を掛けられた。
「何か探しているの?」
可愛らしい声だった。声の主である少年が顔をあげて俺を見ている。その瞳からは先ほどの真剣さはすっかり消え失せ、穏やかな色を浮かべていた。窓から差し込む光も相まって少年が微笑む姿は非常に絵になる。
一瞬時が止まったように感じたが、質問されていたのだったと思い出す。もしかすると彼はこのギルドの図書室に詳しいのだろうか。何か良い本を紹介してくれるかもしれないと思い俺は言葉を返す。
「えっと、常識的なこととか……何か簡単な本を探しているんだ」
何を探しているか俺にも分からないので漠然とした回答となった。俺の返答を聞いた少年はしばし思案したのちにタブレットデバイスを操作して俺に差し出す。俺は渡されるがままに受け取り、空いた椅子に座った。
「これは読んだことある?」
「いや、無いな」
タブレットに表示されているのは〝六花といにしえの神々〟というタイトル。神話テーマの児童書らしい。最近読んだおすすめの本とかだろうか。因みに図書室専用のタブレットデバイスを借りればこの場所にない蔵書も読めるらしい。
俺はそのまま彼と同じ机で読み進めていった。少年もどうやら勉強の続きを再開したようで、この場は静かな空間に包まれた。
児童向けの為か比較的すんなりと読み終わった。
内容はずっと遠い昔の古き神々の話。
***
オウディアム神とニルヴァーナ神のふた柱がこの世界を造り、六種類の花を二輪ずつ植えた。
植えられた十二輪の花々はすくすく元気に育ち、世界は賑やかになった。
そして花々はもっと賑やかな世界にしたら楽しいと神々に語りかける。
それを聞き入れた神々によってビーストと呼ばれる獣たちが生み出された。
賑やかで楽しく平和な世界。
ずっとこの平和が続くと皆が信じていた。
しかし、とある出来事がすべてを一変させてしまう。
薔薇の二輪のうち一輪。赤薔薇と黒薔薇の黒い方がニルヴァーナ神に恋をしてしまったのだ。
ニルヴァーナ神は優しかった。
だからニルヴァーナ神が黒薔薇に返す優しさを見たオウディアム神は怒り狂った。
そしてオウディアム神はニルヴァーナ神を真っ二つに引き裂いてしまう。
そうして引き裂かれたニルヴァーナ神の片方と黒薔薇、そして監視役として赤薔薇をこの世界から追放したのだ。
オウディアム神は引き裂かれたもう片方のニルヴァーナ神を手元に置いた。
しかしそれでもオウディアム神の怒りは収まることが無く、募る怒りはやがて狂気に変わった。
その狂気は魔力に混ざって世界に伝染し、土地を汚染し、ビーストたちの理性を狂わせた。
花々たちも例外なく徐々に狂っていった。
そんな絶望の中で新たな神が生まれた。
世界の希望、女神デザイアが生まれたのだ。
女神デザイアは追放された薔薇たちとニルヴァーナ神の片割れを呼び戻し、皆で力を合わせて見事オウディアム神をその狂気ごと月に封印したのだった。
封印の要となった花々とニルヴァーナ神は沈黙し、狂気に呑まれたビーストたちは長き眠りについた。
静かになった世界で孤独になった女神デザイアはヒトを造り、オウディアム神の封印が解けぬよう監視を命じた。
そしてようやく平穏な世界が戻ったのだった。
***
俺が読み終わったのを察したのだろう。少年は再度手を止めて俺に言葉を投げかける。
「読んだ感想を聞いてもいいかな?」
「オウディアム神は怒り狂う前に一旦落ち着け。と思った」
俺の感想を聞いた少年はきょとんとした顔を見せた後、吹き出すように笑った。そのとおりだねと彼は言って息を整えている。俺は何かおかしなことでも言っただろうか?
「ごめんね? お兄さんが言うからついうっかり」
「良く分からんがまぁいいや。君は何の本を読んで勉強しているんだ?」
「……呪いの封印方法について書かれた文献だよ」
少年は急に真剣な顔に戻った。思わず俺も姿勢を正す。
「呪いの封印? これ全部か?」
「全部そうだよ。基本的に呪いは祓うものだけれどね。手に負えない程の強力なもの、多くの呪いが混ざり合って複雑化したものは封印するんだよ」
少年によると厄介な呪いは封印して時間を掛けてゆっくり力を弱めるらしい。
「僕は教会に所属していてね。呪いを祓う機会もいっぱいあるし封印することもあるんだ。けど知らないこともまだまだ多くてね」
「勉強熱心だな」
俺も見習わないと。
俺が感心している時、少年は思いついたとばかりに俺に向かって前のめりに告げる。
「そうだ、さっき笑ってしまったお詫びに特別で教えてあげるよ。教会が秘匿している話。勇者たちが魔王パンドラを倒した直後のお話を」
「魔王パンドラを倒した直後の話?」
それは勇者とヴェンジが魔王を倒した時の、精霊レイが消滅したとされる時の話だろうか。
僕は教会所属だから知っているんだよ、と少年は自信たっぷりだ。秘匿されているから言ってはいけないだろうと思いつつも、口には出さなかった。
俺は記憶を失う前に何があったのか全て知りたいのだ。
俺も少し前のめりになって話を聞く態勢になる。俺の様子を見た少年は少し悪い笑みを浮かべた後、真剣な顔で話し始めた。
「勇者が魔王にとどめを刺した直後にね。魔王が倒れる寸前に勇者とヴェンジが精霊レイに吹っ飛ばされたんだ。しかも魔王に一番近いふたりだけじゃなくて倒れていた他の仲間も全員ね。みんなが吹っ飛ばされた先は魔王から離れた場所だったらしいよ。」
俺は思わず驚いた声が出た。精霊レイは味方なのに何故そのようなことをしたのだろうか。俺の驚く声を聞いた少年は瞼を伏せて疑問に答えるように呟く。
「……レイは庇ったんだよ」
その声色はどこか悔しそうであった。そして俺と目を合わせて少年は話を続けた。
「そして魔王パンドラが——彼女が絶命した時、その体から夥しいほどの邪悪な呪いがあふれ出した。呪いの数は数千ないし数万。魔王パンドラの体内に巧妙に隠されていた全てが開放された。恐らく彼女の死がトリガーとなったのだろうね」
俺は呪いがどのような物か分からないからピンとこない。……数千から数万の饅頭モンスターが一斉に襲い掛かって来るようなものだろうか、などと想像して一気に血の気が引いた。
恐れのあまり小刻みに震える俺。それを見た少年はそうなるのも無理もないと言った。
「その呪いを全て身に受けたレイは緊急脱出用の小型転移装置を発動させてその場から消えたんだよ。でもレイが転送先の設定を弄っていたみたいで今も見つかっていない。これが勇者から聞き取った教会が秘匿している話。」
「じゃあ……レイが消滅したところはハッキリ目撃されていないんだな?」
それならまだ消滅せず何処かに居るのではないだろうか。ヴェンジのもっとも近くに居た存在であるレイ。会って色んな事を詳しく聞きたい。その為にどうにかしてレイを探し、受けたという魔王の呪いを何とかしないといけない。
「確かに消滅を目撃されてはいないよ。けれども精霊はエネルギー体だからもし呪いを受ければその分の体が削られる。レイが受けた呪いの数は尋常じゃない。普通に考えれば間違いなく消滅しているし、最悪の場合は反転しているよ」
「反転する?」
「精霊が一気に膨大な負のエネルギーを受けると、受けた精霊自体が負の存在になる。在り方が完全に逆転するから……その苦しみに逃れるために暴れまわり、精霊や人から生命を奪い尽くす存在になる」
記憶を失う前の俺はレイが反転した希望に賭けて探しに飛び出したのだろうか。
「もし精霊が反転していたら、必要なエネルギー?をどこかから用意して元に戻すって事か?」
「残念だけど元には戻らないよ」
受けた負の分以上にエネルギーを与えても消滅するだけ。
苦しみから楽にしてやれるだけ。
少年はそう言った。
「人ならその肉体に呪いを受けて死亡しても魂は巡る。精霊が呪いを受けてしまえば消えてなくなる」
数千から数万の呪いを受ければどんな人でも精霊でも生存はまず不可能なのだそうだ。俺は少年の言葉がもう殆ど頭に入ってこない。それは、つまり。
「今現在、反転した精霊が暴れている報告は無い。そして呪いが広範囲にまき散らされたという報告も無い。その二点からレイは人気の少ない高危険度エリアに転移して消滅、呪いはそのエリアの範囲に留まっていると教会は判断した。教会が内容の詳細を公表しないのは余計な混乱を招かないようにだよ」
そういう事なのか。だからレイは消滅したと公表されたのか。先ほど俺が抱いた淡い希望は完全に消え失せた。
「……精霊が人の様な肉体を持っていたらまた違ったんだろうけど、そんな存在は人でも精霊でもないよね」
ショックを受ける俺に少年は気休めにしかならない言葉を掛ける。
「勇者は後悔していてね。魔王パンドラに内包されていた呪いに気付けなかった自分を悔いている。それで何処かにまだある魔王パンドラの呪いを祓う方法を調べているんだ。仲間だったレイの弔いを行う為にもね」
「君は……それを手伝っているのか……偉いな」
「出来る事をするだけだよ。もし呪いで困ったことがあったらいつでも僕を呼んでね。必ず力になるから」
少年はそう言って握手のために手を差し出して来た。俺は彼の手を握った時、お互いに名乗っていない事に気付いた。
「ありがとう。そういえば名前言ってなかったな。俺の事はレストって呼んでくれ」
「分かったよ、レスト。僕はノエルだよ」
どこかで聞いた事がある名前だった。何処で聞いたのかと思い出そうとして、ふと階下が騒がしいことに気付く。そういえば結構時間が経っているのでアールの技能テストが終わったのかもしれない。俺はアールを迎えに行こうと席を立つ。
「俺はもう行くよ。色々教えてくれて助かったよ、ノエル」
「どういたしまして。じゃあまたね」
そして俺は図書室を出て一階へ向かった。
***
レストが去るのを見届けた少年はまたしばらく机に齧りつくように文献に目を通していた。そんな彼に近づいて声を掛ける人物が居た。
「勇者様、何故このような所に?」
「昔みたいにノエル兄ちゃんって呼んでくれないのかなぁ、トリクトス君は」
ノエルは顔を上げることなく、声を掛けてきた人物を揶揄うように返事をする。
「こんな爺に言われて嬉しいですか? それより貴方がここに居るとうちの職員に聞いて驚きましたよ。仕事を放置してこんな所で何しているんですか」
女神デザイアの加護はもうみんな知っているのになぁ、とノエルは口を尖らせ顔を上げた。そして少年は操作したデバイスの画面をギルドマスターのトリクトスに見せる。
「『見つけた、助けてくれ』って昨日ヴェンジからメッセージが来てたんだ。僕はヴェンジに呼ばれたんだよ」
まさか、と呟き目を見開くギルドマスターに少年は苦笑いを浮かべる。
「ほんと一杯食わされたよ。でも猶予なんて殆どないだろうね」
"ふたり"への借りを返す良い機会だ。
その強い言葉と共にノエルは確かな意志を瞳に映したのだった。
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