第6話 喧嘩


 目が覚めると、アールの今にも死にそうな顔が目に飛び込んできた。俺はバスルームの床に仰向けになっているようだ。アールはバスタブから上半身を出してまんじゅうを食いながら俺を見ている。


「……なに……してんダヨ……」


 何をしていたんだっけ? 白い夢を見た気がする。いや違う、そうじゃなくてアールを洗っていたのだ。まんじゅうやらドラゴンやら建物等々、白色を見すぎるあまり頭の中すべて漂白されている気分だ。


「アールを丸洗いしたら倒れた……んだと思う」


 俺がそう言うとアールはがくりと項垂れ、もうするなよと呟くように言った。俺が中途半端に洗ってしまったのが良くなかったのだろうか。

 しかしさっき倒れたのは何だろうと不思議に思いつつ俺は上半身を起こして気付いた。


 鏡で切った手の傷が綺麗に無くなっている。


「? 傷が無い。アールが治してくれたのか?」

「あー……まあ……そう……だナ……」


 アールは随分歯切れが悪そうにしていたが、一応は俺の問いに肯定した。


 すごい。回復魔術だ。


 回復魔術は怪我をみるみるうちに治していくのだ。俺の怪我した足だってスワンに治してもらった。その時は見ていてとても楽しかったのだ。


 アールが治してくれた手の怪我も是非とも直接見たかったなぁ。

 しかし回復魔術は使い手が少ないと聞いたのだが、アールも使えるとは思わなかった。


「すっげぇ、ありがとう! ……あれ、もう朝なのか。ギルドに行かないと」

「……アン?」


 窓に差し込む朝日に気付いた俺の言葉に対し、アールは眉を顰め不快そうな反応をした。


「覚えてないか? 昨日の夕方、危険地帯冒険者組合に寄ったんだ。それで俺が勇者パーティーのひとり、ヴェンジっていう冒険者だって分かっ……」

「んなわけねぇだロ……てめぇの顔見てからもの言エ……」


 俺はヴェンジだと判明したと伝えているのに、突然言葉を遮られる。

 それもアールの言葉は急に力が籠っていた。


 ……案外こいつは元気なのだろうか? しかし俺こと勇者パーティーのヴェンジというのは案外有名人らしい、アールがこんなにすぐに反応するほどである。


 でも、少し言い過ぎなのではないだろうか。俺のビフォーアフターは差がありすぎるのは俺自身も分かるが……


「冒険者登録の照合でそう出たんだよ。それに知り合い……勇者パーティーのバンダーにそういわれたし確実だろ」

「……チッ! ……アイツ……コロスカ……?」


 アールは滅茶苦茶でかい舌打ちをした。そしてすごく怒った顔をして物騒なことを言った。俺の目の前で。

 理由が一切不明だが、俺の知り合いらしき人間を突然貶められ、俺は流石に黙ってはいられなかった。


「お前、いきなり何なんだよ! 俺がバンダーと居たら不都合なことでもあるのか? お前は記憶を失う前の俺を、ヴェンジを知っているのか!? 俺に何かしたのか!?」

「その名を、ボクの前で出すナ」


 俺がヴェンジの名を出した途端、アールの強烈な殺意を感じた。ほんの一瞬の憎悪の発露、全身の毛穴が開く感覚に襲われる。急に心臓の音が耳にうるさく響き、俺は手が震えた。

 アールは息をひとつ吐き俺に目を合わせて指を突きつけてきた。


「ボクは! アイツが! 大っ嫌い何だヨ! 二度とあいつの名を口にするナ!」

「……それは……俺の事が嫌いって言ってんだよな?」


 俺は僅かに体に残った恐怖感を気取られないように、冷静な振りをして問いを投げることで誤魔化した。俺の問いを聞いたアールは何処を見ているか分からない瞳を一瞬だけ揺らした。


「ボクは……今のお前は記憶がない状態だから……別に嫌いじゃなイ……」


 アールは戸惑った素振りをしたのち、苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 ……今の俺は、見た目も雰囲気も別人かと思うほど変わっていて、アールにとって不快だったであろう出来事すべて忘れている。


 そうか。

 そんな俺はアールにとっては——


「……何も知らねぇ今の俺は都合が良い存在ってわけか。っとに、バカにしてんじゃねぇよ! 冒険者になったら! 俺とお前の間に何かあったまで全部、全部全部何もかも直ぐに思い出してやるからな! その時は覚悟しろよ!!」


 俺は目一杯アールに向けて啖呵を切った。一気に大声を出したせいで息が上がった。肩で息をしながら俺はアールを睨みつける。


「思い出ス? ハン、レストには無理だロ」


 アールは俺の啖呵を鼻で笑った。こいつは未だに俺のことをレストと呼んでいるが、俺はヴェンジだ。俺の血液から登録が照合されたのだ。それに俺の顔を知っている人物だっていたのだ。これだけ証拠があれば間違いないだろう。


「残念だったな! 俺はレストじゃねぇよ!」


 単なる売り言葉に買い言葉だ。

 俺が言った内容は唯の事実なだけ。

 それだけなのにアールは、あいつは——


「……っ!? じゃあな!!」


 俺はすぐにアールから顔を背け立ち上がる。足早に去ろうと扉に向かい、ノブを回すと同時に部屋から出ようとした。


「へぶっ!?」


 扉が開かず思いっきり顔をぶつけてしまった。俺は無意識に鼻を手で押さえて扉から一歩下がった。


「鍵」


 アールの声が聞こえた瞬間、ドアからカチャリと音がした。どうやら扉の鍵が開いた音のようだ。俺自身が部屋の鍵を掛けていたのに完全に忘れていた。どうやったのかアールが鍵を開けたようだ。


「っバーカバーカ! 礼なんて言わないからなバーカ!」


 先ほどの醜態を見られた恥ずかしさを誤魔化すようにがむしゃらに罵倒した。それに鍵を開けてもらわなくてもそれくらい自分で出来るのだ。……いい感じの貶し文句がすっと頭に浮かばなくて何だか余計に腹が立ってきた。


「契約」


 ぽつりとアールがつぶやいた言葉。何の脈絡もなかった為、何を言われたのか理解するのに少し時間を要した。きっとあのモンスターまんじゅうをたくさん食べられるという恐ろしい契約の事だろう。


「気が変わったらまた来イ」

「知るか、バカ!」


 俺は勢いよくアールの部屋から飛び出した。

 本当に何なんだ。なんで、事実を言っただけの事なのに。俺はレストじゃないってアールだって知っているはずなのに、どうして。


 どうしてあんなにも傷ついた顔をするのだろうか。


 ***


 俺はアールの部屋を飛び出し、その足でギルドに向かっていた。抑えきれない憤りのまま、ずかずかと歩を進めていると、ふと周囲の騒がしさに気づく。細い路地は立ち入り禁止となっており騎士の人たちが仕事をしている。それを遠巻きに見る町の人々が何やら様々なことを言っている。


 騒ぎの元へと少し近づくと、昨日あの割れた鏡が落ちていた場所であると気が付いた。そして俺は野次馬に混ざったことによって周囲の会話が耳に入ってきた。


 町に騎士様が少なかったから直ぐには犯人を捕まえられなかったみたいよ。

 それでも翌日には見つけたって凄いわよねぇ。

 うわー大変そう。

 にしても盗まれた美術品は随分破損していたんでしょ? 治るのかしらね。

 ちょっと足踏まないでよ。

 そもそもどうしてあんな眉唾ものの骨董品を盗むのかしら。

 あぁ、真実の鏡だったかしら? 私見たことあるけど普通の鏡だったわよ。

 わ、ごめんごめん。

 麗しい美女なんて映ってなかったって?

 ほーんと憎たらしい鏡、顔の皺までバッチリ映してまぁ!

 あははは……

 ……

 

 どうやら鏡を盗んだ犯人は捕まったようだ。俺が見かけた人物なのだろうか。まあ犯人が捕まったのなら俺が割ったと間違われることもな……い。……いや、ここで鏡を割っていた人物は俺の顔を見ている。もしその人物が犯人だったとして、あの鏡があそこまで粉々になっていることに心当たりなどないだろう。


 当たり前だ、逃亡後に俺がうっかり割ってしまったのだ。故意ではないとはいえ、俺が粉々に割ってしまったのは事実だ。犯人がその疑念を騎士の人に話していたら。もし俺がその場にいたことを伝えていたら。俺は罪に問われたりするのだろうか。鏡を追加で粉々にした罪……か?  誰かに相談したほうがいいのだろうか。しかも俺は鏡の欠片をうっかり拾って所持してしまっているのだ。……どうすればよいのか良く分からなくなってきた。

 俺は考えるのは後回しにして少し挙動不審になりながらそそくさとその場を去った。

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