第5話 割れた鏡に映る姿


「とりあえず冒険者タグの再発行だな。記憶がねぇなら、冒険者ランクの見直しが必要になる。それに初心者用の説明講習を受講しとけよ。あぁ、そもそも冒険者を続けるか? 魔王討伐の報酬があるだろお前。危険が多いし覚悟が必要になる職業だから——」


 俺は矢継ぎ早に出される言葉を慌てて手で制止した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。色々頭が追い付かないんだ……また明日にしても良いか?」

「まぁそれもそうか、俺はロンジだ。明日受付で俺を呼べ」


 今日は森で目覚めてから多くの事がありすぎてもう頭がパンク寸前だった。正直今何を言われても忘れてしまうだろう。俺が誰かこんなにもさっくり分かると思っていなかったのである。そして辺りはすでに薄暗くなっていたので道が暗闇で見えなくなる前に宿まで行きたかったのだ。


 俺は受付を後にしてアールの所に向かった。アールはまだ机に突っ伏したままだった。


「アール、一応聞くけど……立って歩けるか?」


 俺はそう言った後、少しかがんで耳をアールの口元に近づけた。


「………………………ム……リ…………」


 実はそんな気はしていた。


 耳を澄ませないと聞こえない程小さな返答だった。反応があるだけギルドに来る前よりはマシだ。

 そうして俺はアールを小脇に抱えて俺は冒険者ギルドを後にしたのだった。


 ***


 宿の場所を地図で確認しつつ、俺は薄暗くなった町を歩いていた。近道で細い路地に入っており曲がり角に至るその瞬間だった。


 ガシャン、と何かが割れる音がした。


 音の発生源は丁度俺が向かう方向からだ。誰か物を落としたのだろうか。不思議に思いながらそのまま歩みを進めると、人がひとり路地に立っていた。


 その人物は長い棒を振り上げて何かを破壊している最中だった。


 壊していたのは、大きな板のようなものだ。その大きな板は布に包まれ、狭い通路に立てかけてある。


 俺がその人物を目撃したと同時に、相手も俺に気づいたようでお互いに目が合う。


 まずい。俺はアールを抱えて手が塞がっている状態だ。対する相手は武器を持っている。

 きっと地の利だって向こうにある。逃げるために方向転換をしようと足を踏みしめた瞬間、相手は武器を投げ捨てて俺とは逆方向に一目散に逃げだしたのだった。


「……何だったんだ?」


 結果として厄介な事にならないのなら良いか。

 俺は疲れていたのでそのまま目的地に向かうことにした。そして立てかけられた板の横をすり抜けようとした時だ。

 強い風がひとつ吹いた。風に吹かれて包んでいた布がはらりと舞い上がり中が露わになる。


 大きな鏡だった。

 それは大きな蜘蛛の巣のようなヒビが入っている。

 鏡の枠は凝った掘りがなされており金色に鈍く光っているが、枠の数か所は折れてしまっていた。


 何の気なしに鏡へ向き、目線が吸い込まれる。そこに映っていたモノの異常さゆえに。


 映っていたのは、おぞましく吐き気を感じる黒いうねり。


 どす黒いうねりを、鏡の中の俺が抱えていた。


 現実にはそんなうねりなど無い。そんなモノは知らない。更に言えば。


 鏡の中の俺は——、足が無かった。


 気づけばアールを地面に落としてしまっていた。ぶへっと落っこちたアールから変な音が鳴ってようやく気づいた。


「ぁ……す、すまん……」


 はっと正気に戻ってしゃがみこむ。アールを再度抱えなおすときに俺はジーンズの裾を太ももまでたくし上げる。


 ビーサンとジーンズは映っていた。

 けれど見えるはずの俺の足が無い。俺は再び鏡をじっくりと見つめる。

 俺の太ももからつま先見える部分すべて鏡に映っていない。俺の手も顔も映っている。


 けれども、アールは鏡の中のどこにも居なかった。


 アールが映っていない代わり、どす黒い何かが鏡の中に居た。


 俺は吐き気がしてこれ以上見ることが出来ず、顔を鏡から背けて裾を素早く戻した。


「おわっ!?」


 その時、鏡を包んでいた布が再度風に煽られて俺の顔にばさりとかかる。俺は顔にかかった布を慌てて手で払った。焦りが良くなかったのだろう。手が布に絡まり、結果的に鏡を引っ張ることになってしまう。ずるりと少しだけ動いた鏡は枠がゆっくりと折れ、ふたつ折りになるようにしてバシャンと盛大に地面に重なる。


 そうして鏡はさらに粉々になった。


 ……壊れかけだった鏡にうっかり追い打ちをかけてしまった。頭がさっきから働いておらず、呆然と見ていることしかできない。

 高価そうな鏡が一瞬で無残なゴミとなり果ててしまった。


 ……この状況からして、俺がこの高そうな鏡をわざと粉々にしたと思われるのではないか?


 そう頭によぎった瞬間、驚くほど体が機敏に動いた。


「よし、忘れよう」


 アールを抱えなおし俺は素早くその場を去ったのだった。


 ジーンズの後ろポケットに大きめの鏡の欠片を差し込みながら——


 ***


 宿のベッドの上に寝そべり、俺は今日の出来事を思い出していた。夜はすでに更けており部屋の明かりも消している為、瞼を開いても真っ暗だ。思考はぐるぐると周り、ずっと目がさえている。


「…………俺、あんな怖い顔してたんだ……」


 実はギルドでの俺の顔登録を見た第一印象があまりにも怖くて……ちょっと引いた。今の俺とギルド登録時の俺の写真と比較したら誰もが別人だと答えるだろう。それくらい雰囲気やら何もかも違っていたのだ。受付のロンジが冒険者登録の検索結果をエラーだと思っても無理はない。


 何故あのような憎しみにあふれた顔をしているのだろうか?

 あのような顔になるほどの出来事が過去にあるのだろうか?

 今の俺には分からない。しかし今の俺の悩みもそれだけではない。


「……足だってあるしなあ……」


 仰向けになって足だけ上げる。足の指を丸めたり開いたりしてみた。ちゃんと動く。足に触れば感触だってある。きちんと確認したところ、へそから下が全て鏡に映っていなかったのだ。触れればあるというのに。

 深く息をひとつ吐き、ぼすんと足をベッドの上に投げ出した。そして水でも飲もうかと、ベッドサイドテーブルに手をついて起き上がった時だった。


「痛って」


 手に固い感触と鋭い痛みが走った。原因はすぐに思い出した。あの割れた鏡の欠片を寝る前に近くのテーブルに置いていたのだった。色々と考え込んでいてすっかり頭から抜け落ちていた。


 沈んだ気持ちで部屋の明かりをつけ、傷口を確かめる。


 ……思ったより深く切ってしまったようだ。血がだらだら流れている。


 せめて血を止めよう。そういえばこの宿のロビーにあった棚、あそこに怪我人が来た時の救急箱があるのだと宿屋の小さな女の子に教えてもらっていた。


 このまま朝まで傷をほったらかしにして寝ればベッドシーツは真っ赤に染まること間違いなしだろう。それはまずいだろうと俺は救急箱を求めてロビーに向かうのだった。


 ***


「……え? あいつまだここに居んの?」


 アールが居た。正確に言うと外からこの宿に入ってすぐのロビーラウンジに居た。白い石で出来た椅子に座り、椅子と同じ材質の机に上半身を放り出している。俺が最後に見た状態そのままであった。


 俺たちがこの宿に到着した時、スワンから借りた金でふた部屋取っていたのだ。そしてあいつの部屋はロビーから一番近い部屋にしてもらっていた。俺は部屋まで歩けるかどうかをアールに聞いた時、あいつは自分で行くと小さく呟いたのでテーブルに部屋のカードキーを置いて別れたのだった。


 因みにカードキーまで俺が置いたそのままの位置だった。不用心過ぎないか。


 本来なら宿屋の人がロビーラウンジにいるアールを見つければ起こすなり運ぶなりしただろうが、あいにく今はいない。


 俺たちが宿に着く少し前の事、宿の女将さんが急にぎっくり腰になったのだと女将の小さな娘さんが言っていたのだ。


 だから今この宿の従業員は小さな娘さんしかいないのだ。小さな宿なので人を雇えないのは仕方ないと小さなレディは気丈に振舞っていた。あの健気さを思い出すと涙が出そうだ。


 そんなわけであのアールは小さな彼女には重くて運べないだろうし、叩いても起きなかったからここに突っ伏したままなのだろう。


 後でアールを部屋まで運ぶことにして、先に俺は見つけた救急箱を開けた。謎の小瓶、液体が入った丸い球、大きな布、銀色の袋に密閉された何か、大量の透明なシート等々、よく分からないものが箱一杯に詰まっていた。


「説明書は、と……嘘だろ……説明書はないのか……?」


 何ということだ。入っている道具の使い方はもちろん、それがどんなものなのか何一つ分からない。箱の底まで探したが説明書は入っていない。ちくしょう、手当の仕方は全員知っている前提だということか。怪我人に優しくても記憶喪失の人間に優しくない救急箱だ。


 ……面白いじゃないか、俺はいずれ救急箱の全道具の使い方をマスターしてやろうではないか。なんだかちょっと燃えてきた。

 しかし何がともあれ現状では俺は傷の手当が出来ないのである。朝になったら宿屋の小さなレディに方法を聞くことにした。救急箱を元の位置に戻した俺はアールの所に向かった。


「全く……。アール、部屋まで運ぶからじっとしてろよ」


 俺はアールを小脇に抱え、机に置きっぱなしのカードキーを手に取り部屋に向かう。

 それにしても血と獣の臭いがアールに染みついているようで今のこいつはかなり臭い。俺はずっと一緒に居たので鼻が慣れて気付かなかったのだろう。

 ……ふ、既に俺はシャワーを浴びているので体の洗い方はもう完璧なのだ。


「部屋に運ぶついでにアールを丸洗いするか。……アレも綺麗になるだろうか」


 鏡に映っていたあの真っ黒なうねり。ひょっとしたらアールを洗ったら消えたりするのではないだろうか。そもそもあの時は薄暗くなっていたので見間違いだったのかもしれない。もしくはあの鏡が可笑しいだけなのだ。一度そう考えるとそれが正解のように思えてくるもので、なんとなく俺の重い足取りは軽くなったのだった。


 ***


 部屋のバスルーム着いたら俺はまずバスタブにアールを横たえた。そしてシャワーとバスタブの蛇口を全開にしてお湯をためる。さらにお湯に漬かりつつあるアールに向け、バスルームに置いてある同じようなポンプ3種類を二プッシュずつかけた。


「あ、俺は服を脱いで洗ったけどアールは服のままだった」


 追加で二プッシュずつアールにかけた。これで完璧だ。勢いよく流れ出るお湯によってバスタブの中は順調に泡立っている。にしてもアールは複雑な服を着ている。体にぴったり沿った服の上にかなりベルトが巻いてあるのだ。どうやって着脱するのか全く分からない。


「まさかずっと服を着っぱなし……なんてことは無いよな?」


 そんなアホなことを呟きつつ、アールの顔が漬かってしまう前に俺は湯を出している蛇口を止めた。そしてバスタブのお湯を手でかき混ぜた時、


「うわ、お湯真っ黒になっひぇぅ……?」


 手に鈍い痛みが走った。怪我した手でお湯かき混ぜてしまったのだ。しかし今はそれどころではなかった。俺は急にろれつが回らなくなり、目の前がぼやけた。そして間を置かず全身から突然力が抜け、俺はバスルームの床に倒れ伏し意識を失ったのだった。

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