第4話 正体を知る旅

 騎士団の詰め所を後にして、スワンから貰った地図を手に危険地帯冒険者組合を目指す。


 因みに、宿屋に行く前に、寄り道でギルドへ行くことについては……実はアールの意見は聞いていなかった。


 違うんだ、俺が意見を無視しているではない。単にアールの反応が薄いのである。今のアールは俺の言葉を聞いていない気がする。


「お、ギルドの看板見つけたぞ、アール。ここ寄った後に宿屋までは連れて行くから、少しだけ待っていてくれ」

「…………」


 アールの反応が無い。でも何か言っている気がする。俺は少しかがんで脇に抱えているアールの口元に耳を近づけてみた。


「……ゥマ……ム……ゥマィ……」


 まんじゅうの咀嚼音とともに味の感想を呟いているのが微かに聞こえた。あぁ、まんじゅうが美味いのは俺も分かる。

 しかしアールはさっきからずっとこの調子で美味いとしか言っていないのだ。


 取り調べの前、アールの体調を心配したスワンが診療所に連絡しようとしたが、「大丈夫だ」とアールは頑なに断っていた。その時のアールは反応が出来ていたが、今や会話が成り立ちそうに無い。


 今のアールの顔色はまるで死人のように見えるほど悪く、その……若干白目をむいているのだが……これは本当に大丈夫な状態なのだろうか?


 そうこう考えているうちにギルドへと、危険地帯冒険者組合に到着した。


 このギルドは港町ブルーローズの中でも標高が高い場所に位置している。港町は切り立った崖を削っていく形で建物が立ち並んでいる。


 ギルドから海辺の方へと視線を移すと、白い漆喰の建物と青いペンキで塗られた屋根の家が窮屈に立ち並んでいるのが見えた。家々が立ち並ぶさらに向こうには海があり、穏やかな波が立つ海は赤い夕陽に照らされて幻想的な風景を彩っている。


 温かな潮風が頬を撫でるのを感じながら、目に映る美しい風景を脳裏に焼き付け、俺はギルドへと足を踏み入れたのだった。


 ***


 俺とアールがギルドの中に入った途端、一斉に向けられる鋭い視線の数々。


 外まで聞こえていた喧噪は一瞬で静寂に包まれた。あまりにも急激な変化に思わず戸惑ってしまう。


 俺に何か変な所でもあったのだろうか。

 と、俺は俺自身を観察してみた。


 だぼついた白いフード付きの分厚いシャツ。

 裾折りしている藍色の大きなパンツ。

 足元はフリーサイズのビーチサンダル。


 これらは騎士団の詰め所近くの店でスワンに買ってきてもらった服だ。サイズはよく分からなかったので、適当に大きめのものを頼んだ。


 ギルド内を伺うと鎧を身に着けた人が多く居た。……先ほどの指すような視線は和らいだものの、未だあちこちで警戒されているように感じる。


 俺自身が場違いな格好をしているかと思ったが、俺以外にもラフな服装の人もちゃんといる。と考えると服装ではないのかもしれない。

 そしてラフな服装の人たちはというと、周囲のピリついた反応に不思議そうに頭をひねっていた。


 しかし、彼らが周りにつられるようにして俺たちに視線を向けると、それはもう不自然なくらいに慌てて目を逸らすのだった。


 まるで見てはいけない物を見てしまったかのようにして。


 俺は居心地の悪さを感じながら、壁際の休憩所の空いている椅子に向かい、アールを椅子に座らせる。


「アールはここで待っていてくれ、すぐに済ませるから」


 すると近くで座っていた人々が皆、急いで席を立ち、何処かへ去っていってしまう。


「……」


 これはどう考えても避けられている。


 少しばかり物悲しくなりながら俺は一番空いている受付に向かった。

 俺が向かった先、そこには無精ひげを生やしたおっさんが受付をしているようだ。おっさんも周囲の例に漏れず、手に持つ大きな結晶デバイス越しにこちらをねめつけている。どうやら俺の方ではなくアールに視線を向けているようだ。そして俺が口を開く前に声をかけてきたのだった。


「……お前さんの連れ、ありゃ不味いだろう。診療所はここじゃなくて裏だからな?」

「あ、いや。あいつは大丈夫だって聞かなくてさ。診療所に行くのを拒否しているんだよ」

「……まぁ、本人ならそう言うだろう。なら、俺からもう言う事はねぇ。お前さんの用件は?」


 おっさんはアールから視線を外し俺に向き直った。俺の正体などすぐには分からないだろうとは思いつつも、少し緊張しながら俺はギルドに来た目的を告げた。


「俺がギルドに登録を既にしているかどうか調べてくれないか?」

「おいおいおい、んな事も覚えてねぇのか」

「俺、実は記憶喪失なんだ。今朝目覚めてから以前のこと全て覚えてなくて困ってるんだよ。俺が行方不明者のリストに引っかかるかも見てくれないか?」

「厄介ごとか……つうか、空間収納に冒険者タグ入れてんじゃねぇのか? まずはそこ探してみろ」

「空間収納……どうやって空間収納からタグを出すんだ?」


 おっさんは大きなため息をついた後、手から出したいものを強く念じるのだと俺に教えてくれた。

 早速ギルドのタグを空間収納から出そうと俺は自分の手を見つめて念じてみた。


「強く念じる……タグ……タグ……」


 より強く念じられるように空間収納から出す対象を口に出し、勢いよく空間を掴む──手に柔らかな感触を感じた。


 成功した!


 空間収納から無事にものを出すことができたのだ。初めて空間収納から所持品を出す不思議な感触に思わず感動した。

 こんなすぐに出来る事だとは思わなかったのだ。


 そして手に持ったギルドのタグを見て——タグ?


 まんじゅうだった。


 俺はまんじゅうを持っていた。どこからどう見てもアールが空間収納から出したまんじゅうと全く同じまんじゅうだった。さっき俺が空間収納から出したのはまんじゅうだったらしい。


 うっかり間違えて出してしまったらしい。やはり空間収納は慣れていないと失敗するものなのだろう。

 とりあえず出したまんじゅうは戻さないと。


「出したものはどうやって戻すんだ?」

「遊んでないでさっさとしろ。さっきの逆で収納する物を強く念じればいい」


 まんじゅうを収容するように念じてみる。すると手からまんじゅうが消えていた。おぉ、成功した! 

 あとはタグを出すだけだ。俺は再度タグを出すように手をかざす。


 ぐっ、と強く念じる。


 ——俺はまんじゅうを掴んでいた。


 ……掴んだまんじゅうはもう一度収納しなおし、あのヤバい肉まんじゅう以外が出るように念じた。


 すると先ほど出したまんじゅうより小ぶりのまんじゅうを手に掴んでいた。


 とりあえず一口食べてみた。

 中身は甘くて黒い餡子だ。

 脳みそが溶けそうなほど美味い。


「おい何喰ってやがる。ふざけてんなら外に放り出すぞ」

「おっさん……大変だ。タグが出ない……それどころか……俺の空間収納がまんじゅうしか詰まってねえ」

「……は? どんな頭してたら空間収納にまんじゅうしか入れねぇんだよ!」


 おっさんは俺に叫んだ後、さっきより更に大きなため息をついた。そしておっさんが少し待っているように告げて席を外した。しばらくして戻ってきたと思えば手のひらを出すように言ってきた。

 俺はカウンターの上に大人しく手のひらを出す。おっさんは手に持った小さな板を俺の手の指目掛けて勢いよく叩きつけた。何の声掛けも予兆もなく。

 あまりにも唐突だったので驚きのあまり俺は心臓が跳ね上がった。


「うお!? ……び、びっくりした……」


 さっき叩きつけられた場所、俺の指を見るとほんの少量の血が出ている。小さな透明の板で血をひょいと拾うと、そのままそれを何かの装置へ乱暴に差し込んでいた。


「さっき取った血液でウチの登録リストの照合をする。ここで少し待て。あぁ、それとこっち向け」


 冒険者登録は血液で登録を行っているらしい。それに顔も登録しているようである。さっき撮った顔も照合すると俺に伝え、大きい結晶デバイスを操作するおっさん。どうも俺が困惑している間に顔を撮っていたらしい。これで照合の準備は全て終わったようだ。もういいぞーと適当な返事しながら結晶デバイスをバタンとカウンターに倒して首をゴキリとひとつ鳴らした。


 そして照合の結果が出るまでの待ち時間の間。

 受付のおっさんは未だアールのことを気にしているのだろう。目線がアールの方に何度も向いているのが分かった。

 俺もアールが心配になり後ろを振り向いてみた。アールは机に突っ伏したまま、まんじゅうを口にしていた。ぎりぎり椅子から落ちてはいないのだが、かなり心配になる座り方だった。アールはまだ調子が悪いようである。気になった俺は待ち時間を利用しておっさんに相談してみた。


「なぁ。アールの、あいつのことだが……どう見ても調子悪いだろうに、大丈夫としか返事しなくてさ。どうしたらいいと思う?」

「……聞き方は良くないな。持論だが、ダンジョンで負傷した仲間には"立てるか"とか"出口まで歩けるか"って聞くもんだぜ」


 大丈夫というのは人によって、その時の場合によって異なってくるらしい。ちょっとした傷だから回復魔術を掛けるほどもないので大丈夫、全く動くことができないが死に至るほどではないから大丈夫、もうじき死ぬが痛みはそれほどではないので介錯は大丈夫、など様々だろうとおっさんは言った。


 厄介なのは特に見た目では分からない時、単なる負傷だけではなく毒や精神に作用する魔術を掛けられている可能性だってあるのだという。思考が鈍っている場合でも"はい"か"いいえ"で答えられる具体的な質問を投げることが良いと助言を受けた。


 おっさん天才かよ。次からはアールに具体的に質問してみることにしよう。


「お、結果出たな。うん…………?」

「どうだったんだ?」


 おっさんは結晶デバイスを前にして片眉を器用に上げた。結果はどうだったのだろうか……俺は固唾を呑んで出される言葉を待った。おっさんは結晶デバイスに向けた目を右へ左へと動かし、指で操作を行っている。


「……エラーかもしれん。行方不明者リスト方の一致はゼロだが、冒険者登録の方はもう一度調べるぞ」

「またやるのか……」


 とうとう故障したか、と言ったおっさんは鬱陶しそうに血液を入れた装置をひっくり返して舐めるように見ていた。

 ひょっとしたら俺は冒険者ではないのかもしれない。そうなると俺は誰なのか、記憶を思い出せるまで手がかりを自分の足で地道に調べなければならない。俺は心を決めた。もう一度調べて何も分からなければ、どこかにいるであろう俺の家族や知り合いを探すのだ。他にもよく買い物に行っていた店を見つけられればそこの店員さんが俺の顔を覚えているかもしれない。そして俺は記憶を取り戻すために旅を——


「うっっわ!! ヴェンジ!?」


 ギルド中に響き渡る力強い声だった。声の発生源に目を向けると、二階へと繋がる階段から降りる二人の男性がいた。片方は身長の高く、ギルド職員の制服と同じタイプで付けられた装飾が多く、地位の高い人なのだろう。お偉いさんらしき人は真横で大声を出した人物に視線を向けて眉をひそめていた。


 大声を出した本人である彼は腰や腕にポーチや小ぶりのナイフなどを装備した身軽そうな冒険者であった。ぱかりと大きな口を開けていた彼だったが、すぐに口を結び、足の筋肉だけで階段の段差をふわりと飛び降りる。


 そして着地後、真っ直ぐに飛んでくる。

 何故か俺に向かって。


「ははっ! レイは見つかったのか? 一瞬誰か分かんなかったぜ。そういや、お前のリーフが発動してない時こんなんだったな! 復讐の炎だっけ? そりゃあ今まで常時発動してたらまぁ分かんねえわ! 今のお前はなんか顔つきも穏やかだしよ! お前そこそこ顔は良いんだし黙ってたらそっちのほうがモテるぞ!」

「な!? うわちょ、やめっ」


 そして俺の頭をもみくちゃにかき混ぜ、何やらまくし立ててきた。しかし、すぐに手を放し、共に階段を下りてきた男に向き直った。


「悪りぃギルマス、急ぎだったよな。すぐに依頼行ってくるわ。ヴェンジ、今度ノエル勇者様々の奢りで飲みに行こうぜ、身内だけで魔王討伐の祝いはまだだったからな。これから俺は急ぎの依頼あるからこれで。じゃまたな!」

「え、あ、おう……?」


 嵐が去っていった。俺の髪を無茶苦茶に荒らしながらよく分からないことを矢継ぎ早に言った男。

 俺をヴェンジと呼んだ? レイって誰だ? リーフ、って何だ? 復讐の炎? 何がともあれ今俺が知りたいのは……


「今の誰だ……?」

「……あいつは勇者パーティーのひとり、バンダー・ディッド。Sランク冒険者だ。あとさっきのはエラーじゃなかったようだ。お前は冒険者登録している」


 おっさんはそう言って結晶デバイスの画面を俺に見せた。そこにはヴェンジという名前と登録情報の文字列が並んでいた。その横には顔が映し出されている。眉間に深い皺を刻み、憤怒の形相が顔に染みついた青年だった。短い髪は少し逆立っていて赤いオーラのようなものが画面に映っている。


「お前はヴェンジ。Aランク冒険者で勇者パーティーのひとりだ」


 そうして俺の正体を知る旅は決意した直後に終わったのだった。


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