第九話 捨てる首あらば拾う花あり

 どこから湧いて出てきたのか、あれだけ倒した兵士どもの残党が阻む道を更に突き進んだところに、その扉はあった。

「ここが……『お館様』とやらの部屋…………で良いんだよネ? お兄さん?」

「は……はひっ!! その通りでさァ!!」

 出てきた奴等のうちの一人をひっ捕まえて尋問して、ようやくたどり着いた。見れば確かに他の部屋の扉とはわけが違う豪華さだ。磨き上げられた美しい木目の扉には精緻な彫り細工が施され、持ち手と思しき場所には外国製の真鍮の取っ手が取り付けられている。確か『ドアノブ』とか言ったろうか。こんなものを用意できる人物。相当顔が利く金持ちに違いない。

「さて…………」

「待――待って、待ってくだせえ!!」

「……なに」

 歩き出そうとする腕を掴まれる。先の男だ。もうこいつには用などない。勝手にどこへなりとも逃げ出してくれればよかったというのに。心底面倒な気分になりながら、振り返る。

「あ、え……っ、と……お……! オイラがここにあんたを案内したってこと…………お館様には! ぜっ、絶対に言わんでくださいよ!! まだ死にたくねンだよ俺ァ!! 頼んますからァ!!」

「…………」

 そういえばウツギが言っていた。『お館様』には血も涙もないのだと。獣のような人物なのだと。なるほど確かに、この怯え具合、ウツギのいうことは正しいのかもしれない。

「覚えてたらね」

 私からしたら、どうでもいいことなのだが。

 尚も何やら喚きだす男を適当に放り投げてから、改めてドアノブに手をかける。この先にいるのは、獣。怪物ウツギが忠誠を誓った人物。

「……面白い人だといいなぁ……」

 僅かな期待を胸に、ノブを捻り、押し開ける。

「――――よォ、椿」

 そこにいたのは、確かに鋭い眼光の男だった。

 端から端まで外来品で埋め尽くされた奇妙な空間に君臨する男。背の高い机に腰かけて、長い脚を組むその姿は確かに威圧的だ。これまた渡来の衣服に包まれた細腕が持つのは金属製の奇妙な道具。逆さに持った煙管のようだと言えば良いだろうか?

 あれは、確か……

「お前が一人で来たってことは……ウツギの奴は死んだってことか……。 ……あんな化け物をどうこうできるなんて、さっすが生ける妖怪伝説は違うなあ…………! 信じられねえ気分だ」

「あんたの気持ちなんて知らないよ。 私がここに来た目的は一つ。 月餅亭の営業権利書を返してよ」

「あァ――そう言うと思ってたぜ……そのためにやったんだ」

 なんだって?

「そう怖いカオすんなよ……。 ……いいか……そもそもこんなことになったのはお前の責任なんだよ……! お前が俺の顔にドロ塗りやがったから……! その手前に立場ってモンをわからせてやらなけりゃあならなかったから、俺はあの店を潰したんだ……。 それでお前は絶望し、もう二度と俺に逆らおうだなんて考えなくなる。 ……そのためによぉ……!」

 道具を持っていない方の手で激しく髪を掻きむしりながら男は吠える。その振る舞いの一つ一つが粗暴で獰猛だ。まるでそう、飢えた野犬のように。

 しかし。いきなりそんな風に睨みつけられても困るというもの。担いだ刀で肩をこつこつ叩きながら口を開く。

「私、あんたに何かした? ……まったく記憶にないんだけど」

「るっせえ!! 忘れたとは言わせねェぞ!!」

 机を拳が叩く。獣の叫びは止まらない。

「覚えてるだろお前も……少し前に手前の店で暴れた男……。 アイツも俺を侮辱しやがったからシメてやったんだ……。 俺の名を使って好き放題暴れておきながら、手前如き小娘に良いように笑いものにされやがったからなあ……! そんなこと、この俺が許すわけが無えだろ…………!」

 震える指がゆっくり持ち上がる。神経質そうな顔にいくつも青筋を浮かばせて、男がまっすぐこちらを睨む。

「次はお前だ…………! 店潰しても! ウツギに始末させても! それでもまだ反省してねえお前を殺す…………!! それで仕舞いだ。 俺の怒りはようやく収まる」

「はぁ……?」

 つまり、あの乱暴男は『獣』の名を利用した上で恥をかいたから殺されて、あいつに恥をかかせた私も同罪なので死刑だと、こいつは言いたいらしい。

 そこに何故、月餅亭が?

「さァ……こいつで殺されろ…………! 外国の武器だ。 銃と言う。 刀なんかよりよっぽど強いぞ。 ……さながら鉄の弓矢だ……! これで眉間を撃ち抜けば、それでお前は仕舞いだ……!」

 私の疑問は解消されぬまま、男が武器をこちらに向ける。かちりと、部品を動かす。

「!」

 あぶない!

次の動作を始める前に飛び出す。あの武器には心当たりがあった。以前の雇い主も同じようなものを持っていたのを思い出したのだ。

立ち尽くしたら恰好の的になる。突如走り出した私に動揺しつつも、男は銃を向ける手を緩めなかった。そのまま指を引き絞り、けたたましい音と共に凶器をこちらに放り投げてくる。

「死ねえええッ!!」

「危ないなぁ……っ!」

 咄嗟に進行方向を変える。さっきまで私の頭があった辺りの壁に黒い穴が出来ていた。鉄の塊、銃弾だ。小さな鉄を火薬か何かの力で押し出している。個人携帯可能な大砲と思えば確かに恐ろしい。驚異的だ。

 しかし。

「こんなもの……?」

 こんなもので、本当にウツギを押さえつけることが出来るのか?

 急所に当たればいざ知らず、あの筋肉の鎧をこの武器で突破できるとは到底思えない。どういうことだ。まだ何かあるのか。

「避けるじゃねえか! 良いぞ椿! もっと足掻け!!」

「……足掻くついでに一つ良いかな……。 どうしてあんた、部下から『獣』だなんて呼ばれてるのさ。 ……正直、あんまり怖くもないんだけど」

「……何だ、そんなことかよ」

 すべて撃ち切ったのか、銃を放り出しつつ男が笑った。別に楽しそうではない笑い声。どちらかと言えばそう、他者を嘲る笑い声だ。

「そりゃあ、俺があいつらの弱点をすべて知ってるからさ。 ……人はどれだけ強く逞しくても、必ず弱点があるんだぜ……。 まるで空を行く雲に穴が開いてるようにな……どこかに必ず『穴』がある」

 懐から、二本目の銃が出てくる。

「部下共の大半は金がねえ……中には借金作って逃げるしかねえ奴もいる……。 そいつらにとっちゃあ、給料与えて、借金取りから匿ってるこの状況はどうやったって手放せねえもんだよなあ……そうなりゃあ、俺の言うこと何でも聞くしかねえよなあ……!」

「……町の人には、家や店を人質にしてやりたい放題ってかい……」

 銃弾の雨の中。思い出されるのは立ち尽くす女将さんの涙。

 ぼろぼろに引き裂かれた、月餅亭の暖簾。

「……私が苦しむと思って……月餅亭を…………!」

 無惨に破壊された、アサヒお嬢様の鉢植え。

「ようやく理解したってか!」

 銃口が、再び火を噴く。

「そうさ! 手前もアイツらも、誰も俺には逆らえねえ! ……ウツギの野郎だってそうだぜ…………。 アイツは故郷に病弱な家族がいるんだ。 そいつらの面倒見てやってるのは俺だ……! ……つまりアイツの家族は常に俺に見張られている……。 わかるか、あの剣で俺は斬れねえんだ……! ああ……どんなにいい気分だろうなあ……! こうやって人を思い通りに支配するってのはさあ!!」

「くだらない」

 指先が六度目、銃弾を撃ち出したその瞬間、外来物まみれの空間を走る足を止め、男に向き直る。

「手前……今なんて」

「くだらないって言ったんだよ!」

 そして直接、男の目前まで飛び出した。

「ぐほあっ!?」

 勢いそのままに繰り出した肘鉄が正確に男の顔を貫く。受け身も取れずに机から吹っ飛んだ男が床に這いつくばっている。それをじっと見降ろしながら、口を開く。

「お前がやってることは、ただの餓鬼の癇癪とおんなじだよ。 ……みんなが本当に恐れてるのはお前じゃない。 『獣』は、その幼稚な頭の中にしかいないんだよ」

「ンだと……!」

 三本目の銃。震える体を起こしながらも得物を構える手は揺るがない。しかしそれが再び猛威を振るうことはなかった。

「くだらない自尊心に、その上くだらない動機…………。 許せないね、あんたみたいなのがお嬢さんたちを悲しませてたなんて」

 その首に、刀が刺さっていたから。上体をあげたその瞬間に刃を押し込んだ。痛みからか衝撃からか、両目は大きく見開かれ、口から細く悲鳴を漏らしている。

「……話のわかる人なら命は勘弁してやろうかと思ったけど……やめた。 あんたを前に、手加減とか無理」

 ずるずると床に伸びていく体から、どろどろと血が広がっていく。構わず突っ切り、机の引き出しに手をかける。

「返してもらうよ。 女将さんの……この町のみんなの、大事なもの……!」

 返事なんてあるはずがない。終幕とは、常に静かに訪れるものなのだ。


 件の屋敷を出たころには、あんなにひどかった雨はすでにやんでいた。やや湿っぽい空気の中、赤く傾く夕日を背景に晴れやかな表情を見せる空が、一仕事終えた私を労ってくれているようだ。或いはそう、今日一日で流した数多の血飛沫がお天道様まで汚してしまったかのように。

 私としてはこのまま然るべきものを店の前にでも置いてきてから、女将さんたちに迷惑をかける前に静かにこの町からも出て行ってしまいたかった。

「……キハルさん」

 しかしどうも、人生とは思い通りにはいかないもののようで。

「あ――――、ど、どーも」

 屋敷の門を出たところで、なぜか女将さんと遭遇してしまった。

「……キハルさん……!」

「……やぁ……」

 お嬢さんも一緒に。

「…………良かった……生きてた…………! ここの近所の人が教えてくれたんだ。 お屋敷で騒ぎが起きてるみたいだって……。 あんたが飛び出して行ってすぐのことだったから、私心配で……!」

「良かった……良かったよキハルさん……!」

 髪もぼさぼさ、服はぼろぼろ。おまけに血まみれの汗だくと良いとこなんて全くない装いの私を前にしても、やっぱりこの一家は嫌な表情一つ見せはしなかった。心の底から私の身を案じ、私の無事を喜んでくれているのがわかる。いつもと変わらない温かな姿がそこにあった。

「女将さん」

見ようによっては初めて出会ったときの再現のような光景に思わず頬が緩みそうになるが、そんなことは言っていられない。あくまで無表情に、女将さんの顔を見る。

「これ……お店の権利書……だと思う。 よくわかんなくて、それらしいものは全部持ってきた。 ……きっと、月餅亭だけじゃないんだよね、あいつに虐げられてたお店って……。 女将さんが皆に返してあげてよ。 キチンと、あるべきところに」

 赤黒く染まった腕を差し出す。風呂敷に詰め込んできた書類の束がそこにある。本当はどれが目的のものかなんてことはすぐにわかったのだが、全部持ってこなければならないような気がして結局引き出しごと頂いてきたのだ。私がお世話になったのは月餅亭だけじゃない。タテガキさんも、アイおばあちゃんも。この町の皆に私は助けられたのだ。こうするのが当然だろう。

「それから……」

「……これって……!」

 もう一つの包みも差し出す。訝し気に受け取った女将さんの顔色が変わった。

「あいつが蓄えてたお金だよ。 ……どうせ町の皆から奪った汚いお金なんだ。 これもやっぱり、皆に返すべきだよね」

 それから。何か言いたげな女将さんに気づかないふりをして言葉を続ける。これを伝えないといけない。今すぐ、心が迷わないうちに。

「……その中のお金から、私の飲食代を払えないかな…………。 私の居候は、そのためのものだったんだから」

「キ――――!」

 悲鳴なのか言葉なのか、判断の難しい声が響く。お嬢さんだ。立ち尽くす女将さんから視線を外し、しゃがみ込む。

「ごめんねお嬢さん。 ……私、もうあそこにはいられないよ。 ……やっぱり、駄目だった」

「え…………っ? なにが…………?」

 丸く広がった瞳の中に私の姿が映っている。この服が赤いのは夕日のせいではない。まして、生地のせいでも。

「私さ……男に捨てられたって言ったでしょ……? それ、私のせいなの。 ……私が依頼になかったことをしたから怒りを買っちゃったの…………。 殺し過ぎちゃって。 少し」

「!」

 静かに息を飲む音がした。喉の奥が塞がる。苦笑いの仮面を引っ張り出して、飲み下す。

「ダメなんだ……私。 刀を握ると楽しくなっちゃって…………! とにかく戦いたくって、殺したくって、抑えられなくなる。 ……都じゃそのせいで妖怪呼ばわりサ。 ……首切り椿。 知ってる?」

 その一言がどよめきを生んだ。そこで初めて、ここにいるのは月餅亭の人たちだけではないことに気が付いた。騒ぎはそれほど大きく、皆の興味を引くものだったということか。

ちらりと見ただけでも、見知った顔がたくさんある。月餅亭の常連さんも、行きつけのお店の人も、通りですれ違った人たちも、沢山。

 丁度いい。声を張り上げる。

「私を追ってるのはとある大名さ! ……私から雇い主のことが知られたら一大事だから必死なんだ。 ……遠いところでひっそり静かに暮らしてればやり過ごせたかもしれない。 ……月餅亭で、ずっと大人しく生きていければいいとも思ってた……。 けれどもう台無しだよ! 中で沢山殺して来ちゃった。 見る人が見ればすぐにわかる。 首切り椿がここにいるって……。 『キハル』を名乗る女の本名が『ツバキ』だって、すぐに!」

 我ながら安直な偽名だったと思う。『椿』を解体して『木 春』にして、素直に読み上げて『キハル』だなんて。変な名前を自分に与えてしまったとすぐさま後悔した。もっといい名があったろうにと。

 しかし、今は不思議とこの名が嫌ではないのだ。単に慣れてしまっただけなのか。それとも、この名が何度も呼ばれることで、私の中で特別な意味を持つ言葉になってしまったのか。

「キハルさん…………!」

「もうその名前で呼ばないで」

 この少女が呼んでくれたから、私はこの名を、愛せるようになったのか。

 どのみち妖怪如きには無関係な話だ。彼女が手を伸ばしてきたような気がするが、構わず立ち上がる。

「…………」

「…………」

 周囲の人々は一言もしゃべらなかった。私に恐れをなしたか。それならそれでいい。出て行きやすくなったというもの。

「今まで本当――本当に、ありがとうございました。 ……誠に勝手ですが、これで失礼させていただきます。 ……後のことは、奉行所の方たちにでも頼んでください」

 大きく、頭を下げる。

 物音一つない真っ赤な空の下、誰かのすすり泣く声だけが静かに通り過ぎていく。声の主が誰か、知る前にここを去らないと。でないと、でないと私は――――

「――――あんた、一つ忘れてるだろ」

「…………はっ?」

思わず、顔を上げた。

泣きそうでいて、それで嬉しそうでもいて。そしてなぜだか笑い出しそうな顔をした女将さんと目があった。

なにその表情?

眉間にしわが寄るより先に、女将さんが続けて口を開く。

「無銭飲食はこれでいいとして……あんた、ウチから持ってった『番傘』はどうしたんだよ」

「……………………はっ?」

 傘…………?

「もしかして……この雨で壊したんじゃないのかい? あんた案外そそっかしいし、大方、強風なのに走ったりしたんじゃないのかい?」

「え……? いや……傘は確かに真っ二つだけど…………え? そのお金…………今…………」

「あァ、これかい?」

 これはね。重そうに手元の袋を持ち上げて、女将さんはきっぱり言い切った。

「『首切り椿』とかいう人斬りを匿ってた、その手切れ金さ。 ……無銭飲食と、居候の分の生活費。 それがコレ」

「えっ? ……は? 何?」

 言ってる意味が分からない。周りの人も何でくすくす笑い出してるの?どういうこと?

「だから……このお金はあんたとは関係ないから……。 傘の弁償は別でやってもらわないといけないってことだよ。 ――キハルさん」

「え――――」

 女将さんの口から飛び出した名前。私のもう一つの名前。

 つまり、この人。

「ちょっと待ってよ! 聞いてなかったの!? 奉行所通して首切り死体の情報は都に行っちゃうんだよ!? そうすればすぐにでも刺客がやって来る!! ……そうなれば……そうなれば、この町が……!」

「そんときゃあそんときだよ。 また何とかするしかない」

「何とかって……そんな無茶苦茶な…………!」

 けろりとした顔で言い放つ。全く分かってない。更に詰め寄ろうとするも、女将さんはそれを制して言葉を放つ。

「あんたは自分のことを血も涙もない人殺しだと思ってるみたいだけど、それは違うよ。 そんな非常な人間なら、どうして町の心配なんてするんだい? ……さっき言った通り、黙ってウチを隠れ蓑にしてやり過ごせば良いものを」

「それは……っ!」

「それに」

 女将さんの手が何かを示す。風呂敷だ。店の権利書等々が詰まった、風呂敷。

「どうしてこんな無茶してまで、これを取り返しに行ってくれたんだい?」

「……そんな……そんなこと……!」

 そんなこと決まっている。こんな私を受け容れてくれたからだ。素性も分からない不審人物を、家においてくれたからだ。

「…………ずるいよ……女将さん……!」

 私を愛してくれたからだ。

 この人たちはこんなにも良い人たちなのに、私には彼ら彼女らにしてあげられることが何一つなかったから。だからせめて、汚れ役を引き受けようと思っていたのに。人殺しにまた戻って、そのままここを去ろうと思っていたのに。

「言っただろ……。 この町に、あんたを恨んだり嫌ったりするような奴なんて一人もいないんだよ。 ……ここにはあんたが必要なんだ。 ……誰にもどうすることもできなかった地主の呪縛から……この町を救ってくれたあんたが……!」

「女将さん……女将……さん……!」

 後から後から溢れ出てくる涙が止まらない。こんなにも人間らしい熱が自分の中に眠っていたなんて信じられない。ずっと人に涙を流させ続けてきたのに。ずっと、人の涙をかき消し続けてきたのに。

 今更そんな、どの面下げて。

「…………大体、過去がなんだってんだい! 私だって相当な悪女で通ってたんだよぉ、若い頃ァ」

 出たな鬼婆! うるさい鬼姫様とお呼び! 途端にこの場は飲みの席のような大騒ぎになってしまう。もう秩序も何もあったものじゃない。ただただ茫然と、見守るしかできない。

「女将さん…………そんな、そんなこと…………本当に…………?」

 だって、だって私。人殺しを楽しむような最悪の女なんだよ?こんな奴、町にいない方が良いでしょ?

 騒ぎの向こうに呼びかけるも、答えてくれる者はいない。本当にどうしよう。

「いいんだよ。 キハルさんは、この町にいて」

「お嬢さん……!」

 ただ一人、涙に濡れた瞳を向ける彼女を除いては。

「私……私、嬉しかった。 キハルさんがうちに来て、まるで妹が出来たみたいで……。 変だよね。 キハルさんの方が大人なのに。 ……でも、そんなこともうどうでもいいんだ。 ……だって、だって私――――!」

 この先は聞こえなかった。女将さんに肩を担がれて、騒ぎの中に投げ込まれてしまったから。

「わッ! 血、返り血ッ!! 汚いよッ!!」

「うるさいねぇ! あの風呂敷受け取った時点でもう手は真っ赤っかだよ! 気にしなさんなって」

「はァ!?」

 でも、聞こえなくても良かったような気もした。

「――――お嬢さんが言うなら、仕方ないか…………!」

 そんな大事なこと、耳で聞くものじゃないのだから。

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朱殷の椿 律華 須美寿 @ritsuka-smith

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