第八話 将を射んと欲すれば先ず首を刎ねよ

 どこまでも、どこまでも続く緑色の世界。足元から始まり、周囲を取り巻き、視界の果てまで広がっていくこの色を生み出しているのは伸び放題の植物たちだ。水を吸い込みぬかるんだ大地には文句の一つもくれないで、逞しく背を伸ばしている。

 視線を上向ければそこには別の色がある。灰だ。本来鮮やかな青色を身に纏っているはずの空は、黒を含んだ分厚い灰色の外套を着こんでしまっている。そればかりか、相当ご機嫌斜めのようで、わんわん大声で泣きだす始末。今日に限ってついていない。こんなところにまで出向かなければならない日に限って。

「…………」

 背の高い植物を掻き分けて進む。胸のあたりまであるだろうか。鬱陶しいことこの上ない。この雨さえなければ今すぐにでも火を放って処分してしまいたくなる。しかしそれでは調査にならない。やはり、面倒だ。

「……どうだ」

 今日何度目かの悪態を噛み殺したそのとき、目の前にようやく目当ての者が姿を現した。黒い軽装に笠をかぶった男。素顔は良く見えない。それが、三人。こちらの姿に気が付いたようで軽い会釈を寄越してくる。構わず進んでいけば、鼻を衝く異様な臭いに出迎えられた。

「これは…………!」

「はい。 恐らく」

 そこにあったのは、『赤』だった。

 周りの者たちとよく似ているが、やや趣の異なる黒装束の男。旅の者を装った剣客だ。腰には鞘が見て取れる。しかし肝心の刀がない。

「これが、そこに」

 笠の者の一人が手を差し伸べる。刀だ。鈍く銀色に輝く刀身は無惨にも泥に汚れ、その威光を醜く半減させてる。

 否、そればかりではない。

「血……か……」

 刃にはべったりと、血が纏わりついていた。雨水にさらされて尚、血痕は乾いて固まったまま。これがここに遺棄されたのは最近の出来事ではない。つまり。

「…………この者が殺されたのも……今日や昨日のことではない……」

 再び視線を下に向ける。そこには先も見た通り、緑の中に沈む赤がある。

 力なく投げだされた両腕。おかしな方向を向いている脚。それらを携えた黒い身体が、仰向けの姿勢で赤の中にいた。

「身元は」

 聞くまでもなかった。首を横に振る笠の者たちを見るまでもなかった。

「…………」

 首から上がなかったのだから。

 本来人の顔があるべき場所には何もなく、代わりに無数の蠅を侍らせている。

 そしてその周囲には、最も色濃く赤が広がっているのだ。

 『血』の赤が。

 まさか。唇が震える。

「……椿だ……!」

「は?」

 こんなことができる人間なんて一人しかいない。

「椿だ……! 『首切り椿』は……生きている……!」

「そんな……!」

 男の言葉が引き金になった。放たれた動揺の矢は笠の者たちを次々に射抜き、病魔のように不安を拡散させていく。

「椿……あの、都の人斬り。 ……妖怪とまで言われたあの剣豪が……」

「探せ」

「えっ」

 ぽつり。小さな声が辺りをさ迷う。

「探すんだ。 椿を」

 ぽつり、ぽつり。男の言葉に釣られるように、雨粒が大きく、重くなる。

「このあたりの町にいるかも知れん! 探すんだ! すぐに!」

「あ……は、はいっ!」

 ざあっ。とうとう動揺の矢は、天の雲にまで大きな穴を穿った。

「…………」

 数舜前とは比べ物にならない豪雨の中。笠の者たちが慌てて走り出すのを見送ったのち、男はそっと足元に手を伸ばす。

「…………」

 拾い上げられたのは、泥に汚れた一つの巾着袋だった。

……お前、どこで何を…………!」

 山吹色のその袋は、一言も答えなかった。


「ありえない……お前が……? お前が、だと……!」

 耳がおかしくなるほど勢いを増した雨の中、目の前の男は呆然と、何度も何度も同じ言葉を口にした。

「……確かにお前は規格外だ……二度も攻撃を躱されたのは初めてのこと…………。 普通の遣い手ではない。 それは認める。 だが」

「だが何だよ。 次『ありえない』つったら許さないよ」

 もううんざりだ。大きく水滴を作る前髪を振って、ウツギの言葉を遮る。

「みんなそうだよ、まったく。 やれソレは妖怪の名だの、やれお前のような女子なわけがないだの……好き勝手言ってくれるよね、ホント」

「…………当たり前だ。 逆に、信じろと言う方が無理がある」

 そうですかい。押し問答は好きではない。ため息を一つ吐き、腰を落とす。

「だったら――」

「!」

 何かを感じ取ったのか、ウツギの顔が険しくなる。

 だがもう遅い。

「――自分の体で確かめろっ!!」

 踏み込み一発。それだけで間合いを詰め、体を捻る。

 反射的に持ち上がったウツギの腕を避け、その奥を目指して。

「が…………っ!」

 柄頭を、突き入れる。

 綺麗に鳩尾をとらえたその一撃だけで、大男の体はくの字に曲がってたたらを踏む。激しくせき込む音が雨に混じる。前傾姿勢のまま、ウツギの相貌がこちらを睨む。

「貴様……!?」

 しかしそこから先の動きは流石に機敏だった。上体を起こし、その動きで刀を再度振り上げる。

「……何をしたッ!」

 繰り出される一撃。半歩下がって回避。返す刀が左から迫る。これも回避。

「…………あんまり無茶苦茶、振り回すなよ……」

「黙れ!!」

 怒りからか動揺からか、太刀筋は荒く粗暴だ。強力なことには変わりないが、あまりにも読みやすい。休む間もなく迫る刃を紙一重で躱しながら、言葉を飛ばす。

「何怒ってるのさ…………。 さっきの踏み込みかい? アレならとある古武術の歩法を参考にした体捌きで…………」

「そうではないっ!」

 どん。敷石が弾け飛ぶ。ウツギの踏み込みの衝撃だ。

 左手を前に突き出して、右手を引いて。

「…………刀を持った途端の、その強さは何だと聞いているのだッ!!」

 明王の相貌が、輝く。

「――“火炎不動王かえんふどうおう”!!」

 まともに受ければただでは済まない一撃。空気を震わす怒りの鉄槌が、鉄の刃の形を借りて迫りくる。

「だから……言ってんでしょ…………」

 羅刹が如き眼光を真っ向から受け止める。

 こいつ、まだそんなことを。

「『首切り椿』は、『私』だって!!」

 ぐっ、と体を沈ませる。ぎっ、と肩を巻き込む。

「“眉通鉄砲みづてっぽう”!!」

 降り下ろされる刀より早く、飛びだすために。

「ぐ…………っ……おお…………!!」

隙だらけの額に、柄頭が撃ち込まれる。後頭部から勢いよく吹っ飛んだ巨体が縁側の障子をぶち抜く。ぱらぱらと木片の散る音だけが、目の前に広がっている。

「どうしたよ。 ……もう死んだ?」

 答えはない。しかし、あれで終わったとも思えない。

 何か仕掛けてくる。

 数舜の静寂。直後。

「うおおおおおっ!!」

「!」

 予想は命中した。

「こいつまた……仲間を……!」

 まだ壊れていない障子と共に飛んできたのは雑兵の体だった。三人はいるだろうか。次から次に強引に、建物の中から飛び出してくる。

「邪魔だ……っ」

 走ってそれらを回避。これで終わりなわけがない。果たして。

「おおおっ!!」

 四人目に出てきた大男が、助走の勢いそのままに切りかかってきた。こちらの動きに合わせた完璧な飛び込みによる一撃。食らえばひとたまりもない。回避も困難。

 ならば。

「何…………っ!?」

 刀から手を放し、両腕を突き出す。交差するように伸びる腕の一方でウツギの刀の柄を握り、体をねじ込むように懐へ。

「何度も何度も…………」

 そうして空いたもう一方の手で衣服の襟を掴み、丸めた背中に担ぐように、視線を後方へ。

「う……おおお……っ……!」

 縮めた腕と捻った体の力を総動員し、そこに飛び込んできたウツギの体の動きも加算して。

「……ンなせこい攻撃してんじゃあねぇぞッ!!」

 思い切り、敷石の中に放り投げた。

 相当勢いをつけて飛び込んできたらしい。軽々と飛び出していった巨体は派手に庭を転がっていき、二度も三度も回転したところでようやくその動きを止めた。

「ぐ……っ…………!」

「……………」

 石の大地にうずくまる大男のうめき声が、雨の騒音に混じって聞こえてくる。まだまだ動けそうだ。つまり一瞬で受け身を取ったということ。流石に怪物退治は一筋縄ではいかないらしい。

「……ふ……っ……!」

 いいぞ。

「何……?」

「ふ………ふふ…………っ、ははは……!」

 最高だ。素晴らしい。

「……いいぃい良いねえええウツギさんよおおおっ!! こうでなくっちゃあねええっ、斬り合いってのはさああああ!!!」

 心の底から笑えて仕方ない。両腕を広げ、全身で雨を受け止める。

 最高だ。こんな気分、いつ以来だろうか。

「他の奴らはてェんでダメさ! 私がいくら譲歩してやっても! まっっったく相手になんなかったッ!! ……都のどの剣豪と戦ったって一緒! 『首切る以外に傷を与えてはいけない』って制限まで作ってやったのに! 『一撃で首を斬れなかったら自分で自分の首を斬る』って誓いまで立てたのに! ……なんて不誠実な奴らだ! ねェ!!!」

 真上を向いたままウツギの顔を見下ろす。視界の先、雨の煙に覆われた怪物の表情は良く見えない。見えなくてもいい。どんな顔をしているのかは想像がつくから。

「お前……お前、そんな理由で首を……?」

「あァ、そうだよ。 ……不本意ながらね」

 理解できない。気味が悪い。不愉快だ。

 そんな視線を痛いほど感じる。そうだ。私だって本当はこんなことしたくないのだ。心の底から楽しく自由に斬り合いたい。戦いを楽しみたい。

 でもそれは許されない。誰も許してくれない。みんながあまりに弱すぎるから。

これがどれほど苦しいことだったか。どれほど不愉快なことだったか。

 これがどれだけ、喉が渇く思いだったか。

「……ウツギさん、あんたなら、私の渇きを理解して…………」

「いたぞっ、ここだッ!!」

 突然の轟音。歯抜けの襖から数人分の慌ただしい足音が聞こえてくる。それらは次から次へと庭に飛び出し、敷石を蹴飛ばして私の周りに集まってくる。

「…………なんだよ。 今良いとこなんだけど」

「うるさい! お前の事情なんて知るか!」

 見たことのある服装の、見たことのない剣士たち。ここの職員だ。他所にいたのが補充で入ってきたか。或いは、適当にあしらって気絶させておいた奴らが目覚めたのか。

「これほどの大騒ぎ、貴様、もうただでは済まさんぞ! ……神妙にしろ! 今すぐお館様の下に連れて行って…………」

「邪魔だって……………」

 転がっていた刀を足ですくい上げ、構える。

 今にも倒れそうなほどの前傾姿勢。

 右手に剣を握り、体の前へ突き出す。

「駄目だお前たち、離れ…………!」

 刀は、逆手に。

「――言っただろ」

 予備動作もなしに、飛び出した。

 突然の動きに目を丸くした正面の男の右手に柄頭をぶつける。それだけで構えは崩れ、自らの腕で自らを押し飛ばすことになる。構わず刀を一振り。同じく動揺し、刀を揺らした左の男へ。

「ぐっ」

 真っ赤な血しぶきと共に、首が一つ、落ちる。

「…………」

 素早く方向転換。たたらを踏みつつ足を踏ん張る最初の男。

「ぎっ」

 飛び掛かって後ろから。二つ目。

「ひっ、ひいいっ!!」

ここまでくれば流石の鈍間共でも動き出すようで。恐怖に顔を引きつらせながらも必死になって刀を振り上げた。見上げた根性だ。

しかし、遅すぎる。

「わあっ!?」

 首をなくした仲間の体を蹴り飛ばして寄越せば、倒れてくる死体を一生懸命避けるほかない。

「ごっ」

 つまりは隙だらけだ。飛んでくる死体の裏に私がいたことにも気づかないくらいには。

「…………」

 これで三人目。真っ赤に汚れた二つの体が敷石までをも深紅に染め上げていく。

あと二人の所在は分かっている。

「うおおおおっ!」

 右から左から、それぞれ刀を降り下ろしてくるから。

「“殺陣演舞さつじんえんぶ”……」

 より素早い右の一撃を紙一重で回避。舞の動きのようにひょいと攻撃の主の背後へ飛び込み、得物を持ち替え跳躍。

「がっ」

刀を首に突きさす。

「――“一輪刺いちりんざし”!!」

 力任せに降り抜けば、それで四つ目が完成する。

 まだ終わらない。

「は…………っ…………」

 再び構えは前傾姿勢。

「く……来るな……来るな…………!」

 構えは再び、逆手。

「“殺陣演舞さつじんえんぶ”」

ばん!

「やめろおおおっ!!」

踏み込んだその瞬間に走り出す。

 走り出したその直後に振りかぶる。

 振りかぶったその直後には、獲物はもう、目の前にいて――――

「――“とうせんぼう”!!」

 五人目の首が、敷石を踏みしめた。

「……こんなもんだよね……所詮…………」

 頬を流れる返り血をぐいと拭う。つまらない。五人もいてこれか。

 刀なんて持ってしまったから相当手加減したのだが。まだ傘で殴っていたときのほうが楽しかった。あのときは文句を言ったが、思い直せば案外良いものだったかも知れない。傘は武器ではないから適当に扱ったらすぐに壊れてしまう。傘を庇いながら戦う。良い緊張感だ。

「――――さて、ウツギさん、もう良いかい?」

「貴様…………」

 刀を振るい血を落としながら問えば、視線の先にはすでに立ち上がった大男の姿があり。

「……よくも部下を……許さん……!」

「……あんたに言えたことじゃないでしょうに」

 怒りに肩を震わせていた。

 その怒気はすさまじく、周囲の空間が不気味に歪んで見えるほどだった。雨が体温で蒸発し始めていると錯覚するには十分な、感情の噴火がそこにはあった。

「……俺が部下に介錯するのは、それがお館様の怒りを買わないためのせめてもの慈悲だからだ……! あのお方は獣だ。 人の命を何とも思わない。 ……彼らが生きて帰ったらどんな酷い目にあわされるのか……。 それに比べれば……死とはどれほど安らかな終焉か……!」

「知らないよ。 死んだことないもん」

 やはり長い話は切り捨てるのが一番だ。言葉も人も、余計に幅を利かせるのは良いことではない。適切に間引いてやるのが最良なのだ。

「もう言葉はいらない……次で最後にしようよ」

「無論だ」

 ゆっくりと、ウツギが半身を引く。左手は前に、右手は脇に。

「…………」

 私も構える。前傾姿勢で、刀は逆で。

「…………」

 雨の音はやんでいた。雨が止んだのではない。

「…………」

 極限の集中状態が、戦いの高揚感が。今の私に不要な全てを切り捨てている。

「…………」

 ウツギの鼻から、雨粒が落ちる。

 ゆっくりとゆっくりと、僅かに形を歪めながらも円の形であろうと足掻いた水滴は、男の足元で脆くも弾け飛び。

「ぬ…………ん!」

ッ!」

 攻撃の合図を下した。

「はあああっ!!」

 ほとんど転んだと言っても過言ではない勢いで前に飛び出し、踏み込んだ力の全てを総動員して敵に迫る。ウツギも大きく飛び出し、刀を振り上げている。

「ふん!!」

 相も変らぬ強靭な一撃。真っ向からでは防げない。体を引きつつ、刃をあてがい軌道を逸らす。

「甘い!」

「どっちが!」

 返す刀が追い迫る。勢いが乗り切る前に柄頭で押す。それで止まる攻撃ではない。二度、三度と肉厚の刃が襲い掛かる。それらの全てを躱し、逸らし、受け流す。

 刃が着物を掠める。髪を引きちぎる。

「……はは……っ……ははは……!」

 汗が飛び交う。荒い吐息が顔にかかる。

 これだ。この緊張感。

「はははは…………あはははははッ!!」

 心臓が早鐘を打つ。

 死への恐怖が、戦いの快感が、どうしようもないほど体を熱くする。

「……イャ――――ははははははははははァ――――ッ!!!」

 もう、止まらない。

「“殺陣演舞さつじんえんぶうらかた”!!」

 何度目かの攻撃を防いだその瞬間、手の中で柄を半回転させる。

「! ……峰……!」

 刀は敵に向かって反り返る。刃は私の方を向いている。

 嗚呼、たまらない。

「――“達磨転だるまころがし”!!」

 刀が四度、閃いた。

「が――――!」

 ウツギの顔が苦悶に歪む。

 両手は救いを求めるように開き。

「き、貴様……!」

 両足は支えを失ったように傾く。

 峰を使ったとっておきの攻撃。相手の『手首・足首』に打撃を与えて怯ませる。

「それも『首』のうちだ! 切り落とさなかっただけ良いと思ってよ!!」

 至近距離に獲物を定め、体を捻る。

「“演舞えんぶ・オモテ”……!」

 大男の体が沈み込んでいく。

「“独楽斬こまぎり”!!」

 横薙ぎの一撃が、首へと走る。

「決まった――」

 男の体が止まった。

「――と、思うかッ!!」

「まさか……っ!」

 信じられない。急所は的確に突いたというのに、ウツギの体は完全には転ばなかった。根性か、はたまた日ごろの鍛錬の成果か。とにかくウツギは足を踏ん張り、左腕を突き出してきた。

「決めるのは……」

 痛むはずの右手にしっかりと刀を握り締めながら。

「……俺の剣だッ!!」

 がちん。私の刀が鎖の防御に阻まれる。

 振り上げられた明王の一撃は、もう誰にも止められない。

「――“倶利伽羅不動王くりからふどうおう”!!!」

 これまでで最も強力で、最も迅速で、最も正確に頭の真ん中を狙った降り下ろし。

 これが。これが、不動明王の最大剣技。

「……すごい…………!」

 大気を焼き切り、雨を焦がして。本当に炎を巻き起こさんばかりの殺気と共に、刃が迫る。

「――終わりだ!!」

 修羅の相貌が、勝利への歓喜と怨敵への嫌悪で激しく歪む。

 文字通り、ウツギのすべてを賭けた一撃に違いない。

 故に、気づくことが出来なかったのだろう。

「終わるのは…………」

 私の刀が掌に食い込んでいることに。

 幾重にも巻かれた鎖の間に、刃が入り込んでいることに。

「――どっちだ……ッ!!」

 肉を切り裂く手応えがする。骨が弾ける音がする。

「――――!!」

 雷鳴が、空を覆う。




「…………」

「…………」

 白む空に闇が戻ったとき、屋敷の庭には二つの影があった。

 一つは逆手に刀を握った女の影。もう一つは、見上げるほどの大男の影。

 両者は互いに肉薄し、それぞれの得物を振り抜いた姿で立ち尽くしていた。

「…………まったく」

 どちらかが、ぽつりとつぶやいた。

「…………首以外、斬っちゃったじゃんか…………」

 赤黒い粘液で顔をべっとり汚した女が、心底悔しそうに口を開く。

「……でもまァ、斬ったのは手首ってことで……。 ……大きく見ればそこも首だし…………ネ」

 女の言葉に応えはなかった。

 返すべき人物の顔は、女の方を見ていなかったから。

「――楽しかったよ、久しぶりに。 ……有り難う」

 踵を返して女が歩き出す。刀を肩に担いで。

 直後どさりと、大男の体が敷石の海に沈んだ。

「――――」

 それを眺めるのはただ一人。他ならぬ、男自身の首だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る