銀酉の刻・参 ー 高楼 ー

(結局、ついてきてしまった……)

 磨き込まれた廊下。光り物の類こそないが、随所に施された精緻で豪奢な欄間彫刻。出された茶の入っている器も、簡素な作りだが一級品だ。

 梓がここに来るのは、拾われた時以来だった。

 案内された部屋は天井も高く、ゆったりとした造りなのに、ピンとした緊張感に圧迫感を覚える。

 もっとも、それは梓だけのようで隣に座す曼珠は常と変わらぬ飄々とした態度だったが。

「それで」

 片膝を立てて座った彼は、目の前に座る男に居丈高に尋ねる。

「うちの馬鹿が落とし物したから、拾ってくれたんだって?」

「はい、おそらく。そちらの――鬼法医様の物だと思うのですが」

 答えたのは、曼珠とは対象的に端然と座した天日だ。

 二人の間に横たわる卓の上に、涼しげな音を響かせて置かれたのは見覚えのある鈴だった。

「これ……」

 思わず梓は声を上げかけ、慌てて飲み込む。

 鏡のように磨かれた黒檀の上にあるのは、桜の紋が刻まれた水琴鈴。間違いなく、昨夜見せてもらったものと同一だった。

 梓はそっと曼珠の方を伺う。


「ははぁ、なるほどね。何を出すかと思えば、よりによってこれを出すか」


 彼は、ひどく楽しそうに笑っていた。

 細い指が、古ぼけた鈴を摘み上げる。シャン、という音が冷えた空間を震わせた。

「あんたさ、教祖を名のるならもうちょっと勉強した方がいいぜ。これ、本物じゃないから――や、ある意味では何よりも本物ではあるんだけど。符番すらされてないだろ?」

 おかしくて堪らないといった風に頬を歪め、曼珠はもう一度鈴を振った。

「あとさ、あいつは確かに馬鹿だし鈍いし、一人だと三食睡眠つきで忘れる社会不適合者の、どうしようもない奴だけどさ」

 三度、鈴が振られる。

 どうしてだろう。彼が鈴を振るたびに、部屋の空気が下がっていく気がする。

 ひどく、寒い。

 まるで背中に氷を突っ込まれたかのような、おぞましい感覚。

 ふと前を見れば、天日の顔が蒼白に変じている。

 曼珠は相変わらず笑っていた。


鬼法医の証これ、落としてほっつき歩くほど無責任じゃねえんだわ」


 天日が何かを言いかける。だが、遅い。

 手がつけられなかった茶器がひっくり返る音が部屋に響く。獣のように飛びかかった曼珠が、卓越しに天日の喉をがっちりと掴んでいた。

「曼珠さん!?」

「俺さぁ、人よりちょっと鼻も耳もいいんだわ。――ここきた時から、すっげー血の匂いがして気になってたんだよね」

 曼珠の喉から低い音が漏れた。笑っているのだ。

 ギリ、と彼の手に力が入ったのが梓にもわかった。

「で、どこだ?」

 ぞっとするほど平坦な声だった。さっきまで隣にいた人物と同じはずなのに、まるきり別人のような乾いた声音。


 答えを聞けば、きっと彼は用済みの楊枝と同じ感覚で手の中の首を手折るに違いない。


 殺気を向けられている当人は、それが何よりもわかっているのだろう。

 口をぱくぱくとさせてはいるが、喋る様子はない。

 チッ、と舌打ち一つ。

「もういい、時間切れだ」

 吐き捨て、曼珠は容赦なく天日を締め落とした。泡を吹いて痙攣する身体を放り出し、襖を開けて部屋を出ていく。

「ち、ちょっと待ってください。曼珠さん、どういうことなんですか?! あんないきなり……それに、落としてないって。それじゃあ桜さんは?」

「説明しなくてもわかってんだろ。理由は知らんが、あいつらが桜を捕まえて、ついでに俺もハメようとしたんだよ」

「な、なんで……?」

「知るか。心あたりなんざ互いにありすぎるんだよ、俺ら」

 言いながら、曼珠は次々と襖を開け放っては部屋を突っ切っていく。

 さらに、廊下に出るや否や履き物も履かずに外へと足を踏み出した。慌てて梓も後を追い、地面に足をおろす。秋の日暮れは早い。すでに日はとっぷりと暮れ、薄暗い雲が天を覆っていた。

 遠雷の音。そういえば、今日は夜から天気が崩れると聞いた気がする。


「おいこら、迎えにきてやったぞ! どこだ!」


 大音声だいおんじょうに、梓は身をすくめる。

 参道のど真ん中で、曼珠が叫んでいた。びりびりと空気を震わす大きさは、もしかしたら門の向こうまで響いているかもしれない。

 返事は聞こえなかった。少なくとも、梓には。

 だが、曼珠には聞こえたのだろう。

 不機嫌そうに眉を寄せると、くるりと踵を返す。

 大股で向かったのは、三つの層をそなえた仏塔だ。

 足で乱暴に蹴破られた扉の内部には、通常ならば仏像などが安置されているはずだが、そこには何もない。がらんどうの空間には急な階段が一つ据えられているのみだ。

 五尺近くもある大刀を背負っているとは思えない身軽さで、曼珠はその階段を手すりも掴まずに上っていく。後を追う梓は、見失わないようにするだけで精一杯だ。

 二階に辿り着くと、曼珠がようやく振り返った。

「僕の後ろから離れないでね。もしくは、桜の傍にいな。そこ以外だと、命の保証はしないから」

 さらりと言われた言葉に、梓の顔から血の気が引く。

 今のはすなわち、自分の邪魔をするなら斬るという宣言に他ならない。

「じゃ、行こっか」

 どこまでも軽く言い、曼珠は軽々と階段を上っていく。


 ――階上からは、すでに暴力の音がしていた。


 柔らかいものを殴る重い音。濡れた硬いものを殴る湿った音。

 咳き込む声。怒鳴る声。嗤う声。喘鳴。


 それらが、不意にぴたりと止んだ。

 ギシ、ギシ、と曼珠が階段を上る音だけが闇に響く。


「なんとかと煙は高いところが好き、っていうのは本当なんだな」


 曼珠が最上段に足をかける。彼の後ろから階上を覗き込んだ梓は、思わず「ヒッ」と短く悲鳴を上げた。

 濃厚な血の匂い。広くなった空間には、十五人ほどの獰猛そうな男たちが並んでいる。一目でカタギでないとわかる男たちに囲まれ、ぐったりとしているのは見覚えのある――いや、すでに殴られすぎて面影をほぼ残していない桜だ。

「あーあ、もう」

 曼珠が身をかがめた。床に腹がつくほどに低く沈み込んだ身体。その背から抜き放たれた刃が、横凪ぎに一閃される。

「だからあんた馬鹿だって言ってんだよ」


 部屋に、新たな血の匂いが足された。

 梓の前で、赤い尾を引いた白い棒がくるくると舞い落ちる。「あ、手だな」と場違いなほどに呑気に思う自分がいた。

「あ、ぎゃあああああああ?!」

「な、何しやがんだこのガキ?!」

 前列にいた三人が両手を斬り落とされ、悲鳴を上げる。たちまち色めきたつ男に、曼珠は答えなかった。


(――ああ、そうか)


 邪魔だとばかりに、返す刀が今度は男たちの足を斬り飛ばし、ついでに上半身が蹴り飛ばされた。

 空いた隙間に滑り込んだ刃が、今度は中列の男たちの鼻を下から上に削ぐ。


(この人、何も期待してないんだった)


 男たちの答えを聞くつもりも、彼らに己の行動理由を説くつもりも。


(最初からないんだ)


 闇が、赤く染まる。

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