銀酉の刻・弍 ー 桜鈴 ー

「かけ二丁にあんかけ一丁、お待ちどおさま!」

 威勢のいい掛け声と共に、卓の上に湯気をたてる器が三つ並べられる。

 梓が二人を案内したのは、町に古くからある蕎麦屋だった。店主こだわりの出汁のかぐわしい香りが店内には充満している。中央に置かれたどんぶりを配した曼珠が、思い出したように声を上げた。

「そういえば梓ちゃん、こいつに何か頼みがあったんじゃないの?」

 こいつ、のところで箸で指し示したのは梓の正面に座る桜だ。「行儀が悪い」と指された本人は文句を言っているが、曼珠は素知らぬ顔で自分の前に置いた蕎麦(あんかけ)を啜っている。

「はい。えっと……はお持ちですか?」

 梓の問いかけに、手を合わせていた桜の片眉が跳ねた。機嫌を損ねただろうか。それも仕方のないことだ。

 鬼を狩る鬼宿師。彼らに必要不可欠な存在こそが、鬼法医だ。

 そもそも、鬼というのはただの化物の呼び名ではない。


 鬼とは、その元となる病魔を指す言葉でもある。


 鬼の持つ毒におかされ、人は鬼へと成る。鬼となった者は生者であろうと死者であろうと理性を失い、ただ血肉を求める化生に堕つるのだ。

 最初の鬼がどうして生まれたのかは、誰もわからない。

 その鬼の毒や生態を研究している者たちを、総称して鬼法医と呼ぶ。

 とはいえ、国から正式に鬼法医を名のる資格を与えられるのはほんの一握り。難関と言われる典薬てんやく試に合格し、医師になった者のさらに限られた者だけだ。毎年幾人もの医師が試験に挑み、泣いた末に手に入れることができるのが、梓の言った桜鈴。

 医学の始祖と言われている人物が時の皇帝より賜ったという一品にあやかった、桜の紋が入った水琴鈴だ。

 だから、梓とて期待はしていなかった。こんな若者が持てるはずもなく、どうせ世間一般の認識と同じく自称の類だろうと。だから――

「これか?」

「へ?」

 細長い指が摘み上げた鈴に、反応が遅れた。

「ほ、本物?」

「失礼なガキだな。偽造したら首が飛ぶわ」

 呆れたように言って、桜は蕎麦を啜る。梓は思わず身を乗り出した。

「お、お願いします! ちょっとだけでもいいんで見せてください!」

 咀嚼中だからか、返事はなかった。代わりに、卓の上を涼やかな音を立てた鈴が転がってくる。

「あ、ありがとうございます!」

「……ちゃんと返せよ」

 もう一度礼を言い、梓は根付ほどのそれを慎重に手に取る。

 思ったよりも古い。表面の塗装は大半が剥げているし、表面に刻まれている名前も擦れてほとんど読めなくなっている。錆も見える。かろうじて『桜』の一文字こそ判別できるものの、そうでなければ本人のものかも怪しまれそうであった。

「桜さんって、あだ名?」

「似たようなもんかなー。こいつの名前、長くて覚えにくいんだよね」

 早くも食べ終わり、手を合わせた曼珠が「それよりさ」と話を変えた。

「梓ちゃん、桜鈴なんてよく知ってたね。僕なんてこいつと知り合うまで全然知らなかったよ」

「父が医者で……。鬼法医に憧れていたんです。まぁ、ダメダメだったんですけどね」

 二人が顔を見合わせた。代表して、バツが悪そうに曼珠が謝る。

「それはごめん。遅くなっちゃったし、お父さんが心配してるよね」

「いえ、お気遣いなく。もう三年前……私が十二の時分に亡くなりました」

 鈴を掌で転がし、梓は続ける。

「鬼に殺されて」

 シャラン、という音に目を閉じる。父が憧れた音色に導かれ、脳裏を流れるのは語ってもらった数々の口伝や神話だ。

「鬼にまつわる話もよく聞かせてもらいました。黄泉よもつ薬の伝説とか、あの人本当に信じてましたからね」

「黄泉薬って、御伽話の?」

「はい。千年前、鬼法医の始祖――桜之宮さくらのみや万象ばんしょうが作ったという不老不死の妙薬です」

 苦笑し、梓は桜に鈴を返す。いつの間にか、食べ終わっていないのは自分だけになっていた。

 途中になっていた蕎麦に、改めて梓は箸を伸ばす。


「……そんなにいいかね、不老不死」

「え?」


 ポツリと零したのは桜だった。返ってきた鈴を掌で弄んでいた彼は、梓の視線に気がついて顔を上げる。

「いや、何でもねえよ。夢のある親父さんだったんだな」

 微笑して梓は頭を下げた。その時、ふと気がつく。――やけに外が騒がしい。

 曼珠と桜も気がついたのだろう。首を伸ばして外を伺っている。

「あ」

 と、そこで梓は思い出した。

「そうだ、今日は満月でした! 急がないと」

 慌てて蕎麦を啜る彼女に、曼珠と桜が疑問の目を向けてくる。

 器を空にし、手を合わせた梓は二人の疑問に答えるべく席を立った。

「お二人とも見ていってください。黄泉薬には及びませんが、今日は天日様が儀式をなさる日なんですよ」

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