第9話
初秋を迎えて少しは過ごしやすくなった。空調の設定温度も弱まって消費電力が減ることで経営がしやすくなればいいのだが、電気料金が値上げされたのでそう上手くもいかない。急に冷たく感じるようになった水でマグカップを濯いでは並べる。もう少し寒くなるまでお湯を使うのは我慢がいるかもしれない。
「この前はありがとうね。つばさのおかげでお母さんと仲直りみたいなこと出来たよ」
結局あれからすぐ休業中に呼び出され、香織と一緒に香織の母親と三者面談が行われた。といっても私はただ二人の会話を聞いていただけだったが。話を聞いていたところどうやら香織の将来設計を知らされなかったことに不安を抱いていただけだったようで、香織が詳しく話せば納得してもらえていた。
「ううん、こっちこそ香織からも香織のお母さんからもお菓子作り教えてもらって有難かったよ」
まだ営業時間中なのであくまで客と店員としてカウンター越しに喋る。結局私には甘すぎるチョコラテはあのまま提供され、今香織の手の中で湯気を立てていた。季節感もない殺風景な店内を見渡し、香織は不思議そうに訊ねた。
「今日も叔父さんいないんだね?」
「うん、これから来ると思うお客さんとちょっと気まずいみたいで」
苦笑いをしながら言うと香織の右頬にえくぼが出来る。身を乗り出すものだから何か倒しそうではらはらする。
「え、あの人がよさそうな店長さんに気まずい人なんているの?元カノとか?つばさのお母さんがいるのに」
勝手に盛り上がって両手で頬を覆っている。今日は深紅に塗られた爪先が白い肌に良く映えていた。
「いや、元カノとかじゃないんだけどね。あのね」
言ってもいいのか、そう一瞬迷ったが結局言ってしまう。どうせ店内には香織しかいないのだし、彼女が来ているからと減って困るような客入りでもないのだ。
「例のカヤさんが来るんだよね。いつも通りなら」
頬を掻きながら伝えると香織が一瞬ぎょっとした。そしてすぐ笑いだす。
「え、それ本当?噂の藤見さんに会えるの?」
直ぐ帰ると言い出すのではないかと思ったがどうやら嬉しいらしい。興奮気味な彼女にそっと人差し指を立てた。
「お願いだから名字で呼ばないでね。叔父を許してもらう代わりにうちのスイーツ食べていってもらってるの」
「なにそれ?」
よく分かっていなさそうな顔をする香織に肩をすくめて掌を天井に向けてみる。
「そのポーズ、似合ってないよ」
急に真顔になって指摘されてしまい慌てて手を下げた。でもしょうがない。私も叔父もあの夜のことは良く分かっていないのだから。叔父の病気はあのあとすぐ治ったようだったし、叔父自身は犬神を私が何とかしたと思ったようで私に平謝りしていた。私は良く分からないままその謝罪を受け入れ夏夜が来たらケーキやスコーンをご馳走し、母親はあれから没交渉気味になった叔父に首をかしげていた。つまりあの場にいなかった香織に正しい説明をすることは出来なさそうだったし、私がしてほしいぐらいだ。
「今日のケーキは香織に教えてもらったシフォンケーキなんだけど、気に入ってもらえるかな?」
「え、あたしが教えたなんて言わないでね。不味くても責任取れないから」
「分かってるけど、そこまで不味くはないと思う」
少し口を膨らませて抗議すると、悪いと言いつつちっとも悪いと思っていなさそうな笑顔が向けられた。ちょっと意地が悪いところは夏夜と香織の共通点かもしれない。
窓から見間違いようのない独特な格好が近づいているのが見えた。別に店に入るところを見られても困らないから気を使わないで欲しいとは伝えたが、いつものあの格好ではこれから寒いのではないだろうか。シンクに映った自分の顔がどうも愛想笑いのような微妙な笑顔で、営業スマイルに切り替えようと頬を引っ張り眉間を解してみる。軽やかなベルの音が鳴る。少しはましになったはずの笑顔を湛えて一つ息を吸った。
「いらっしゃいませ」
障る神に祟りあり @nanakusa_11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます