4-3 食べてしまってごめんなさい

「ええと、とりあえず、謝罪を受け入れる気持ちはあるんだけどさ」


 この体勢、ちょっと辛いんだけど、と訴えると、稲波は「申し訳ありません」と言って、手を離した。もちろんこれが彼女の言う『謝罪』というわけではないだろう。


 テーブルに座り直す。向かい合ってではなく、隣の席に。

 たまたまなのか、空気を読んでなのか、お客さんは僕らしかいなくなっていた。


「あの、何? 僕たぶん謝られるようなことされてないと思うんだけど。もしかしてあれ? コース間違えたとか? それともぼったくってたとか、そういうやつ? だけどそういう、その、相場? 僕よくわかんないからさ、別に気にし」

「違います」


 被せられた。

 かなり食い気味に被せれた。


 僕にそっくりな顔の稲波が、僕にそっくりなその顔で、僕を睨んでいる。胸の奥で何かが閊えているような感じがして、ぐぅ、と苦しくなる。アイスはちゃんと飲み込んだはずなんだけど、どこかで引っ掛かってるのかな。胸の奥の奥にある小さな塊が、うごうごと存在感を増していくような、そんな感じがする。


「食べてしまって、ごめんなさい」

「え、何を?」


 それによってはさすがの僕だってちょっとは怒るかもしれない。いや、でもどうだろ。別にいまそこまでの空腹ってわけでもないし、怒るほどでもないかな。


「私のこと、わからないですよね」

「稲波のこと? ええと、そうだね、ここで働いてるガイドさんってことくらいしか、わかんない、けど?」

「信じてもらえないかもしれませんけど」


 と、稲波が視線を下に落とす。


「その、実は、私達は兄妹で」


 俯いたまま、そうぽつりと呟く。


「へ」

「私達は、前世でも兄妹で」

「おあ」

「秋芳兄さんは、いつも私を背負って畑に出掛けて行きました。私はそのぬくもりを覚えてはいませんけど」

「え、ちょ」

「私が食べさえしなければ、いまごろ兄さんもここで私と一緒にいたはずなのに」

「待って。食べたって、何のこと」


 胸の奥の塊がどんどん大きくなっていく。どくどくと、心臓の音が速く、大きくなる。塊がせり上がって、喉から出て来そうになる。それと共に、何かを思い出しそうになる。


「私が兄さんの記憶を食べたんです。だから兄さんは何も覚えてないんです。私のことも、弟がいたことも」

「弟……」


 その時、視界が、ざぁっと一面の青になる。

 これは、空だ。

 僕の生まれた村は、空だけはいつも真っ青できれいだったのだ。

 だけど、空なんて全部繋がってるんだから、山の向こうの豊かな村もきっときれいだ。特別なことじゃない。

 

 それで、僕は長男で、年の離れた弟と妹がいた。

 穂高ほだかと稲波だ。名前に穂や稲の字があるのは、親が込めた祈りや願いだ。この子達が大きくなる頃には、何かが変わって、暮らしが良くなって、秋にはたくさんの稲穂が、頭を垂れるほどに実りますようにと。親は我が子の名前に祈りや願いを込めるのだ。


 僕の名前は、秋好あきよしにするか秋芳にするかで悩んだと聞いたことがある。


 秋は実りの季節だから、皆大好きだ。収穫なんてわずかではあったけれど、その季節だけは、皆、少しばかりの幸せを掴んで、豊かな気持ちになる。だから、そんな実りある季節のように、人を豊かな気持ちにするよう、愛されるような人になってほしいと。母はそう常々言っていたのだ。だけど結局、誰かがその組み合わせは良くないと言って『秋芳』になったのだという。


「ごめん、稲波」

「ですから、謝るのは私の方で」

「違うよ。違うんだ」


 ほろほろと泣く稲波の手を取る。真っ白いきれいな着物の袖で、幼子のように乱暴に涙を拭うから、それを止めさせたかったのだ。あんまり強く擦るのは良くない。


「全部じゃないかもしれないけど、ちゃんと思い出した。欠片程度の記憶かもしれないけど、ちゃんと残ってたみたい」

「まさか」

「形がないものを食べるのは難しいからね。食べ残しがあったんだよ」


 仕方ないよ、と言って、頭を撫でてやる。僕が多々良の記憶を食べた時は食べ過ぎてしまったけど、稲波はその逆で、少し控えめだったのだろう。いやはや、何だか僕の方が食い意地が張ってるみたいで恥ずかしい。


「穂高兄さんのことも覚えていますか」

「ちょっとだけだけどね。くりくりの毬栗いがぐり頭の坊主だったよ。いたずら好きでね、蛙を捕まえると、必ず僕の背中に入れて来るんだ」


 不意を突かれて大袈裟に驚いたのが良くなかったのだろう、僕が蛙が苦手だと勘違いした穂高はよくそういういたずらをしたものだ。実際は苦手でも何でもなかったんだけど。


「あれ、そういや穂高は? 穂高は悪食に生まれ変わらなかったの?」


 兄妹だからと言って皆が皆生まれ変われるわけではないのかもしれない、と思いつつ、辺りを見回す。もしかしたら彼もまたガイドとして立派にやっているかもしれない。そう思いかけて、いや、とそれを否定する。さっき稲波は「弟が」と言ったのだ。過去形だ。ということは、いまここにはいないのだ。


「穂高兄さんは、その、私が」


 私が


 その言葉でわかる。

 稲波は白い顔をさらに青くして、胸を掻きむしるようにして、痛みに耐えている。


「わかった。わかったから言わなくて良いよ」

「良いわけないです。ちゃんと全部話して、罪を」

「罪なんかないよ。だって僕らは妖怪だ。特に悪食なんていうのはそういう妖怪なんだ。生きてるものを食べる妖怪なんだ。だから、稲波がちゃんと覚えててよ。僕ももう忘れないから」


 妖怪が妖怪を食べても、何の罪にもならない。それが例え、自分の家族であっても。僕らの世界は人間達よりもずっとシンプルに文字通りの『弱肉強食』だ。

 ましてや悪食なんて食べることしか能のない妖怪である。それを咎められるのなら、そもそも存在出来るわけがない。僕達は、それが許されるからこそ、この世界に存在出来るのである。


 だけど、稲波の言葉の通りなら、僕はきっと、その『生きているものを食べる』という悪食として当然の欲求の部分をも食べられてしまったのだろう。道理で食べたい気持ちにならないはずである。


「秋芳兄さんも、ここで暮らしましょうよ」


 ぐす、と鼻を鳴らして、稲波が顔を上げる。

 

「地上は、食べ物を集めるのが大変だと聞きます。亡者の中にはそのために盗みや殺しをしたものもいます。ここなら、飢えることはないです」


 ですから、と訴える目が必死だ。


「そうだよなぁ」

「地獄では、悪食は何を食べても良いんです。亡者を齧っても、身体はすぐに再生しますし、その辺に生えてる木の実やキノコなんかも、亡者にとっては毒ですけど、私達なら全然食べても」


 必死のプレゼンである。


 確かに、地上で糧を得るのはなかなかに大変だ。

 育てるにしても手間も時間もかかる。

 買うためにはお金が必要で、働かなくてはならない。

 黙って口を開けていたって、入ってくるのはせいぜい霞だ。それではお腹は膨れない。


 けれども。


 んあ、と口を開けると、そこに食べ物を突っ込んでくれる相棒が僕にはいる。それを思い出し、つい無意識に口を開けてしまって、「兄さん?」と指摘され、慌てて閉じる。駄目だ、もう癖になってるのかも。


「兄さん、ずっと一人だったんですよね? 五百年地上にいて、他の悪食を見たことないって言ってましたよね。ここなら、たくさんいます。もう兄さんは一人じゃないです」


 もう寂しい思いはさせませんから、と服の裾を掴んで、縋るように額を擦りつける。


 そうだよなぁ。

 確かに僕はずっと寂しかった。

 仲間がいなくて。

 一人ぼっちだった。


「そうだね」



***



「明水はどうして男性の恰好をしているの?」


 その質問に、明水はぎくりと肩を震わせた。


「それ! ボクも気になってたですよ! まぁ、もう慣れちゃいましたし、よく似合ってますけど」

「いや、その、なんていうかな」

「キャラ作りですか!? やはり鍵師業界も生き残るためにはキャラ作りが重要なのですか?!」

「落ち着け多々良。鍵師業界にキャラは必要ない。腕が良けりゃ生き残れる世界だ。いやむしろ腕一本だろ、重要なのは」

「もしかして、心は男性だったの? 母さん、こっち来てから色んな亡者と仲良くなって勉強したのよ。いまの時代は、そういうのもオープンだって。だからもし、本当は男の子だったのに女であることを強要していたのだったら――」

「母さんも落ち着け、そういう人を否定するわけではないが、私は違う」


 勝手に話を進めてあわあわと泣き出す嘉火をよしよしとなだめ、ああもうそうじゃなくて、と声を上げる。


「それも全部あの馬鹿親父のせいなんだ!」


 そう叫んだ後で、「ていうか!」と次は嘉火を指差す。


「母さんのせいでもある!」

「えぇ、私?」

「どうしたんですか明水さん。落ち着くですよ、どうどう」

「まさか多々良に落ち着けと言われる日が来るとはな。いや、その、つまりだな」


 つまりは、普通の女性の恰好をすると、父である水鉤が泣くのだという。


「似すぎてるんだ、私は母さんに。あの親父、普段は偉そうにふんぞり返ってる癖に、母さんの顔を見るともう駄目なんだ、もうデレデレで」


 私を見てもだぞ? 嘉火ぁ、って泣かれるんだぞ!? やんなるだろ、普通に! と拳を握り締めてぶるぶると震える。


「だから男装をするようになったんだ。そしたらまぁ、何かとウケが良いしな、案外しっくりくるもんで、うん、まぁ、キャラ作りっていうのもあながち間違いでは……」


 と、そこまで話して、だんだん恥ずかしくなってきたのだろう、ええいもうこの話は終いだ、と無理やり話を畳んで勢いよく立ち上がる。


「そろそろ秋芳君のところに行こうじゃないか。ぼちぼち宿に戻る時間だしな」


***

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