4 兄妹と、母子

4-1 秋芳と稲波

「それでは、『食』に重きを置いたコースでよろしいでしょうか」


 僕の数歩前を歩く、稲波いなみという名前の悪食アクジキが振り返ることもなく言う。


「そうだね。それでお願い」


 ガイドだからといって、例えば、軽快なトークでこちらを楽しませてくれるだとか、そういう気はないらしい。さっきの嘉火よしかさんの方は、その辺に咲いているなんてことない花に対しても、ちょっとしたこぼれ話というか――まぁ、迂闊に齧ってのたうち回った亡者がいるとか、そういう感じの内容ではあったけど――そういうのがあったのである。別になくても良いけど、あった方が良い。それに、悪食だというなら、僕としては色々と聞いてみたいことがあったりする。


 けれども、どう話しかけたものか、と買ったばかりの餅を食べながら考えあぐねていると、「何でしょう」と稲波が振り返った。


「何でしょう、って、何が?」

「チリチリと視線を感じるもので。何か御用でもあるのかと思って」


 寄りたいところでもあります? と尋ねてくるが、視線が全く合わない。目を見て話すのが苦手なタイプなんだろうか。


「あ――……、えっと、もし良かったら、なんだけど」

「何でしょう」

「どこかで腰を落ち着けて休めるところってないのかな。歩きながら食べるんでも良いんだけど、出来れば、っていうか」

「ありますよ。もう少し歩いたところに茶屋があります。では、そちらで少し休まれますか」

「うん、そうする」


 その茶屋というのは、歩いて五分くらいの八寒地獄の入り口にあるらしく、『寒風茶館 頞部陀あぶだ』という名前なのだとか。 頞部陀を冠するならば、『寒風』なんて生易しいもんじゃないと思うが、その辺は恐らく地獄ジョークってやつだろう。とにもかくにも、そこへ行く。案の定、とんでもなく寒いが、僕はあくまでも観光客なので、寒さ対策は完璧だ。


 そこで働く獄卒が僕も悪食ということに気付いて、何もかも大盛りにしてくれる。稲波は配膳担当から「おい、稲波、随分可愛い子じゃないか。俺もガイドに志願すれば良かったなぁ」なんて声をかけられていた。あのね、僕、雄です。可愛いのはもう否定しないけど、雄です。


 運ばれて来た嗢鉢羅うばらパフェ(限界盛り)を向かい合って食す。メニューの写真とは似ても似つかない量である。たぶんこれ、十人前はある。いや、僕らには問題ないけど。


「あのさ」


 沈黙に耐え切れず、切り出す。


「何でしょう」


 稲波はちょっと面倒くさそうに答えた。さっきの会話から推察するに、どうやらこの地獄ガイドは志願制と思われるのだが、随分と寡黙な妖怪である。なぜガイドに志願したんだ。


「ちょっと、君のこと聞いても良い?」

「か……まいませんけど」


 構わないという返答の割に、少々躊躇ったようだ。


「稲波は、地獄で生まれた悪食?」

「な、なぜそんなことを聞くんですか?」

「何、これって聞いたら駄目なやつだった? マナー違反的な」

「そういうことはないですけど。気になります?」

「ちょっとね。僕、地上で生まれた悪食なんだけどさ、何でか人間を食べたいって思わないんだよね。もし稲波が地上で生まれた悪食なら、人間ってどんな味なのか聞いてみたくて」


 食べる気はないけど、気にはなる。

 ただまぁ、めちゃくちゃ美味しいです、舌がとろけるほどです、なんて熱っぽくプレゼンをされてしまったら、食べちゃうのかなぁ。でも、食べられるって相当痛いだろうしさ、可哀相じゃないか。


「味……。味、ですかぁ」


 稲波は、その時のことを思い出しているのだろう、視線を気持ち上に固定して、薄く口を開けた。ということは、稲波は地上で生まれた悪食なのだ。


「たぶん、ものすごく美味しかったと思うんですけど、覚えてないですね」

「覚えてないんだ」

「覚えてないです。だって、食べてすぐここに来て――あっ」

 

 そこで己の失言に気付いたのだろう、口を手で押さえて、視線を左右に泳がせた。まぁ、地上で生まれたことが失言なのかは知らないけど。


「もしかして嵌めました?」

「いや、嵌めるつもりで聞いたわけじゃないけど。でも、食べたことがない、って返ってこなかったから、そうなんだろうなとは思った」

「それを嵌めたって言うんです」

「そうなのか。なんかごめんね。言いたくないことだった? もしかして」

「別に、そんなことは」


 もしかしたら、悪食にも階級みたいなのがあるのかもしれない。地獄で生まれた方がエリートとか。だとしたら、やっぱりまずいこと聞いちゃったのかもしれない。


「とにかく、覚えてません。亡者の味ですっかり上書きされてしまいましたから」

「てことは、亡者の味とは違うんだ。亡者は? 美味しいの?」

「……そんなに気になるなら、秋芳様もここで、は、働かれては?」


 そこでやっと稲波と目が合った。さっきまでの少々つんけんした態度とは打って変わって、何だかこちらのご機嫌を伺うような、怯えたような目をしている。


「あ……、秋芳様が生きた人間を食べるのが浅ましくて嫌だと言うのでしたら、別に無理に地上で食べなくたって、その、就職なら私の方から――」

「浅ましい? 僕別に浅ましいなんて言ってないし、思ってもないけど」

「え、あ、その、ええと、そ、そうじゃなくて」

「どうしたの。なんか顔真っ赤だし、汗がすごいけど大丈夫?」


 何か急にキャラ変わったなこの人。何でそんなに取り乱してるんだろう。


「だ、大丈夫です、大丈夫。私のことはお気になさらず」

「気になるよ。僕が変なこと聞いちゃったせい?」

「そんなことは、ない、ですけど」


 とりあえず、アイス食べてクールダウンしようか、と提案する。さすがは八寒地獄製の嗢鉢羅アイスである。全然溶けてない。青い睡蓮をイメージして盛り付けられているらしく、食べるのがもったいなく感じられるほど、見た目もとってもきれいだ。まぁ食べるんだけど。


 そのカチカチアイスを特製のスプーンでガリガリと削りつつ口に運ぶ。


「あとさ、まぁもうこの際ついでだから色々聞いちゃうんだけど」

「な、何でしょう」

「気のせいだったら申し訳ないんだけどさ」

「は、はい……」

「稲波ってめちゃくちゃ僕に似てるよね。僕、他の悪食って見たことないんだけど、もしかしてここにいる悪食も皆こんな顔してるの?」

「――ぐっ、ごふっ?!」

「えっ、ちょ、大丈夫!?」


 稲波が結構な勢いで口の中のアイスを、ごろん、と吐き出し、げっほげっほと苦しそうに咳き込む。すごい、さすがは八寒地獄製の嗢鉢羅アイス、口の中でも全然溶けてない。ということは恐らく、腹の中でも溶けにくいんだろうな。ということは、欠片が喉にまだ引っ掛かっている可能性もある。


 急いで彼女の背後に回り、ちょっとごめんね、と断ってから背中を擦る。いくら悪食でも、食べ物を喉に詰まらせたら結構苦しいのだ。いずれ唾液で溶かされて喉の中に落ちるんだけど、それでも引っ掛かってる間は苦しい。このアイスがかなり溶けにくい以上、引っ掛かってしまったとしたら、かなり長い間苦しむことになるだろう。だから、軽く刺激を与えれば落ちないかと、擦るだけではなく、軽くとんとんと叩いてみる。


「だ、大丈夫です、大丈夫です」

「そう? あぁでもしゃべれるなら平気なのかな」

「ありがとうございます、本当にもう大丈夫ですから」

「なら良いんだけどさ。でもなんかアレだな、こうしてると、思い出すなぁ」

「お、思い出すって、何を」

「子育てしてた頃のこと。こうやってあやしてたな、って。って言っても僕の子どもってわけじゃ」


 ないんだけど、と続けようとした瞬間。


 稲波が僕の手を取って、ぐい、と引き寄せてきた。バランスを崩して彼女に覆いかぶさるような体勢になる。形としては、一本背負いを決められるような状態である。嘘でしょ、ここから僕投げ飛ばされるの? 脈絡もなく?! さんざん変なこと聞いたから?! それとも子育ての話がまずかった?! もしかして触るのNGだったとか?!

 

「あの、僕これ謝った方が良い感じ?」

「違います、謝るのは私の方です」

「だとしたらこの体勢おかしくない?」


 僕は依然、稲波に腕を取られた状態で、彼女は僕を背中に乗せた状態だ。僕はまぁ軽い方ではあるけど、それにしたって、多少は彼女より重いと……思うし。うん、一応僕、雄だしな。背恰好ほぼほぼ変わらないけど、きっと、あれだよね、筋肉とか多少あるんだよね? あるよね?

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