3 秋芳の秘密

3-1 秋芳の家族

秋芳あきよし君に妹がいたのか。何だあいつ、自分はある日突然ぽつんと生まれたから家族なんてものはない、なんて気取ったことを言っていたが、やはりいるんじゃないか」


 そう言いつつも、明水あけみはどこかホッとしたような表情である。


 明水の知る『秋芳』という悪食は、食べることにしか興味がないなどと宣い――まぁそれも真実なのだろうが――つつも、それでも『仲間』というのか、それとも『同族』と呼ぶべきか、とにかくそういったものを羨んでいるように思うのだ。相棒の多々良もまた、親がいないという点では同じなのだが、それでも彼女には同族の仲間がたくさんいる。けれど彼には家族はおろか、同族もいないのである。まさかこの広い世界に悪食アクジキという妖怪が自分一人しかいないなんてことはないだろうし、きっとどこかにはいるだろうから、いつかは会えるはずだ、なんて言っていたが、五百年生きていて、ただの一人にも会えていなかったらしい。


「しかし、何だな。兄妹であっても、別々の場所で生まれることがあるんだな」


 双子というわけではないのだろうから、そういうこともあるのだろう。純粋に、そう思った。秋芳はたまたま地上で生まれてしまい、そしてこの妹は地獄で生まれたのだと。しかし、だとすると、なぜ稲波いなみは秋芳が自分の兄だとわかるのだろう。そして、なぜ秋芳は妹の存在を知らないのだろう。


 すると稲波は「いえ」と小さく首を振った。

 丁度、焦熱地獄の入り口に着いたところである。いたるところで炎が燃え上がっており、もわり、と熱気が凄まじい。


「私も生まれは地上です」

「ほう。なのに、君だけこっちに来たのか。ああ、ええと、つまりは、人を食ったということだな」

「よくご存知で」

「妹が人を食ったのに、秋芳君は食わなかったのか。そんなグルメなタイプじゃないと思うんだがな」


 それとも、人間にアレルギーでもあるのか? と明水が首を傾げる。


 すると稲波は、「足元、お気を付け下さい」と言いながら焦熱地獄に足を踏み入れつつ、「兄は」とぽつりと言った。


「兄は、んです」



***


「ほぇぇ、それじゃあ嘉火よしかさんは職人さんだったんですか」

「そうです」


 伏木さんのお母上は、『嘉火』という名前のようで、どうやら憂火ゆうひ君の『火』の字はこの嘉火さんからとったらしい。


 地獄の釜茹でうどんで腹ごしらえをした僕達は、食後のデザートである虎虎婆ここば氷菓で舌を冷やしている。


 ちなみに、麺類は箸で食べる必要があるため、最初の一口から最後の一口に至るまできっちり多々良に給餌された僕である。その様子を見ていた嘉火さんは「あら~! 何?! とっても仲良しさんなんですね! もしかしてご夫婦?! 地獄へは新婚旅行なんですか?!」と大変楽しそうだった。さすがに恥ずかしくて途中から自分で食べようとしたけど、つるつる滑るうどんはかなり難易度が高く、早々に諦めたのである。


「私の家は鋳物で生計を立てておりまして、それで、私も自然とその道に。どちらかといえば、職人向きだったみたいで、性に合ってたんですね。でもほら、時代が時代でしょう? 女が作ってるとバレると売れないんですよ」


 そう言って眉を八の字に下げる嘉火さんは、本当に伏木さんとそっくりだ。だけれども、僕の知っている伏木さんは絶対にこんな顔をしない。同じ内容を話すとしても、がっつりと大股を開いて座り「いやー、困った困った、あっはっは」と締めるはずだ。


「あっ、もしかして、それで嘉火さんが男装するようになって、それで明水さんもその真似をして――ってパターンですか? そういうことなんですか?!」


 ひらめいた! とでも言わんばかりの表情で、多々良が身を乗り出す。地獄観光というより、ただの女子会である。僕は食べ物さえあればそれで良いけど。


「いえいえ」


 けれども多々良の読みは外れたらしい。


「私は奥の部屋でひたすら作業をして、お客さんとのやりとりは跡継ぎである弟にやらせていたんです」

「ほぇぇ、成る程。それで、何を作ってたんですか?」

「鋳物職人さんの家だし、お鍋、とか?」


 そう言うと、嘉火さんは「鍋も作ってましたけど、その頃にはもうそっちがメインではなかったんですよ」と首を振る。じゃあ何を、と僕らが声を揃えると、嘉火さんは右手を、す、と胸の辺りまで上げ、何かを回すような仕草をした。


「金庫です」

「金庫?」

「最初は錠前ばかり作っていたんですけど、それがかなり評判良くって。そこから派生して金庫を作るようになったんですよ。、なんて当時はかなり有名だったんですから」


 着物の袖を捲って細い腕を出し、ぐっと力こぶを作って見せ、その状態で、ふふ、と柔らかく笑う。なかなか無邪気で可愛らしい女性だと思う。顔は似てても性格は全く似てないな、なんてしみじみ思っていると、またしても多々良が前に出る。ふんすふんすと鼻息荒く元気いっぱいに挙手をした。


「それってもしかして、いや、もしかしなくても『岡女おかめ金庫』なのでは?!」

「あぁ、言われてみれば」


 難攻不落、という言葉に何となく聞き覚えがある。


「あら、嬉しいわ。いまの方でも知ってらっしゃるのね」

「ということは、嘉火さんが『岡女嘉寺よしでら』……」

「まぁ、そっちの名前まで? 嫌だわ。まさか現代にも残ってるなんて。もう少し洒落の利いた名前にすれば良かったかしら」


 成る程、だから伏木さんの実家に岡女金庫があったのだ。売れ残りなのか、それとも自宅用に作ったのかはわからないが。


「もしかして明水さんって、昔から嘉火さんの作った鍵とか金庫とかで遊んでたですか?」

「子どもが遊ぶようなものではないから駄目よ、っていつも言ってたんですけどね。どうしても聞かないんです。お兄ちゃんはね、聞き分けが良かったんですけど、明水はちょっと頑固なところがあって」

「昔から伏木さんは伏木さんだったんだ」

「容易に想像がつくです」


 日常的にそんな難攻不落の金庫やら鍵やらで遊んでいたから、いまの彼女があるのだろう。そりゃあどんな鍵でも金庫でもたちまちのうちに開けてしまうはずだ。


「思いがけず、なかなか興味深い話が聞けたな」


 うどん屋を出、次はどこへ行こうかと腹を擦る。


「明水さんのルーツを知っちゃいましたね」

「私ったらついぺらぺらと。あの子にこんな素敵なお友達がいると思ったら、嬉しくって。ほら、人間の寿命って短いでしょう? 特にあの時代は短かったですし、あの子達の成長をちゃんと見届けられなかったものですから」

「仕方ないんじゃない? それはさ」

「寿命はどうしようもないですからねぇ」

「母親が人間だったばっかりに半妖として生まれてしまって、憂火も明水も。私のことを恨んでないかしら」

「それは……本人に聞いてみないことには」

「そうですね」


 ちょっとしんみりしかけたムードを吹き飛ばすようなテンションで、次はボク、三途の川クルーズしたいです! と多々良が拳を振り上げる。


「お任せください。では三途の川方面に参りましょう。あそこ、クルーズもそうですけど、奪衣婆だつえば懸衣翁けんえおう夫妻の雑貨屋さんが有名なんですよ」

「雑貨屋さん?」

「そうです。亡者から奪った衣類をリメイクした小物とか、鞄とかですね」

「へぇ、色々やってるんだなぁ」

「もちろん、秋芳様が喜びそうな屋台もたくさん出てますよ」

「ようし、僕は片っ端から食べる」


 えいえいとノリノリの多々良に続いて僕も拳を振り上げる。

 僕らのその様子を見て嘉火さんも何だか楽しくなってきたようで、きゃいきゃいと声を弾ませながら、うきうきと赤黒い世界を歩いた。BGMは亡者の悲鳴だ。こんなのも慣れてしまえばなんてことはない。


 そういえば、あちこちに生えている草やキノコやら木の実やら、そういうのは食べても良いのだろうか。確かに出店もたくさんあるし、それを食べねばならないということはないんだけど、常日頃、そういうものを食してきた身としては少々味が気になるのも事実だ。


「嘉火さん、聞いても良い?」


 前を歩いていた嘉火さんが振り返る。


「何でしょう」

「その辺の植物とか、石とか土とか、そういうのって、食べても良いものなのかな」


 地上だと、他人よそ様の土地のものは勝手に食べられないからさ、と言いながら地面を指差す。元々地上で生活をしていた嘉火さんは当然その辺の事情も理解しているはずだ。案の定、「ですよね」と頷いている。


「一応、地獄は特に所有者というのが明確に存在しているわけではないので、その辺は問題ないです。飢えた亡者なんかは日常的にその辺の植物やら虫やらを食べてますし。ただ――」


 基本的にすべて毒があるので、のたうち回って苦しみますけど、と微笑む。もちろん微笑みながら言うような台詞ではない。


「でも、秋芳様なら問題ないですね」

「そうだね、僕、悪食だし」

「ですけど、やめた方が良いです」


 そう言って、嘉火さんは眉を顰めた。


「屋台や食堂の食べ物は大丈夫ですけど、亡者が口にするようなものを食べてしまったら、ここから出られなくなってしまいますから」


 くれぐれも、お気をつけて。


 なんて念を押されれば押されるほど、なんかついうっかり食べてしまうんじゃないだろうかと心配になる僕である。

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