幕間

フシキ堂の二人

***


 話は『開かホニャ』撮影終了後に遡る。鬼怒川温泉やら観光スポットやらをいくつか巡って帰宅した、フシキ堂の二人である。


「社長、お話があります」


 卓袱台に湯呑を二つ置き、真ん中に煎餅をうず高く盛った菓子鉢を配置して、きっちりと正座した杣澤欽一は眉を吊り上げて向かいに座る伏木明水を睨みつけた。


「何だよ、改まって」


 そう返したものの、明水にはその『話』が何なのか想像ついている。恐らくは――というか確実に、今回の旅行で発覚した件だろう。


 自分が妖怪とのハーフである、という。


 実は明水の方では、頃合いを見計らって打ち明けるつもりで――はいなかった。人間とは寿命が違うのである。生きている時間が違うのだ。だから、適当なところで「免許皆伝だ」とか適当なことを言ってこの店を譲り、姿を消すつもりだったのだ。そうやってこれまでやって来たのである。

 

「ちゃんと教えてください」

「何が」

「社長が何者か、ということです」

「何者か、って。だいたいわかったろ。あの鳥が私の兄だ。だから、私もまぁ妖怪だな。半端モンだが」


 ははは、と無理に笑ってみせたが、欽一は釣られて笑うこともなかった。


「もっと詳しく。俺は正直妖怪には詳しくないんです。見た目が鳥なのはわかりました。だけど、そうじゃなくて。名前とか、能力とか、そういうやつですよ」

「別に覚える必要はないと思うがな。言っとくけど、アレだぞ? めちゃくちゃマイナーなやつだぞ? そもそもこの辺りじゃなくて山陰地方の妖怪だしなぁ」

「山陰? 社長、そっちの生まれなんですか?」

「まぁな。実家もそこにある」


 実家と言っても山だけど、というのは飲み込んだ。何せ『家』というよりは『巣』である。


「随分遠くまで来たんですね。何でですか? それも聞きたいです。もうこの際ですから、全部聞かせてもらいますから!」


 だん、と卓袱台に拳を振り下ろして、そのついでになのか、菓子鉢から煎餅を一枚取り、ばりん、と齧る。ぼりぼりと小気味良い音を立てて咀嚼する間も、一切目を逸らさないその姿勢に、いよいよ覚悟を決めねばならんかと、腹をくくる明水である。


「そんなに大仰なもんでもない。種族名は威針イバリだ。能力は、まぁ名前の通りだな、威張るだけだ。威張るから、『威針』だ」


 あの鳥も見た目だけは偉そうだっただろ? 


 という明水のその言葉に「いや、まぁ、どうだか」と曖昧に返す。確かに外見は立派だったし、黙って胸を張っていれば偉そうに見えたかもしれないが、何せその『兄』という鳥妖怪は、欽一が見ている限り、妹である明水に押されっぱなしであったし、何なら怒られてもいたようだったし、自称彼女とやらの尻に敷かれまくりだったのである。


「それで、まぁ、何だ。山陰からだいぶ離れたのは、まぁ特に理由はない。お前だってわかるだろ、家を出たい、みたいなのは」


 そう言って、まだ熱い茶を飲む。


「まぁ俺も家を出た身なので、その辺はまぁ、わかります」

「だろ? それでまぁ、私は見た目がこうだからな、その、普通の人間だろ?」

「普通かどうかは――ひぃっ、すみません! 普通! 普通です!」


 明水の言う『普通』というのは、例えば全身に羽毛が生えているわけでもないし、口の代わりに嘴があるわけでもない、ただの人間だろう? という意味だったのだが、欽一の考える『普通』とは少々意味合いが違ったらしい。半妖という部分がなかったとしても、明水は決して『普通』の人間ではない、という思いがついつい彼の口を滑らせてしまったのである。


「ただな、これでも私はもうかれこれ百七十八年生きてるんだ。お前の大好きな『秋様』の足元にも及ばんような若造だが、それでもこの見た目で百七十八なんて、信じられないだろ」

「アンチエイジングにもほどがありますね」

「だから、一箇所に留まれないんだ。まぁ良いところ、五、六年ってところか。一応周囲には二十八ってことにしてるからな。だいたいそれくらいだろ。だけど、この見た目で四十、五十ってのは無理がある」

「確かに」


 それで転々としているうちにここまで来たんだ、と締めて煎餅を手に取る。それをパキパキと一口サイズに割ってから口に運んだ。


「それでだな、欽。いや、黙ってたのは悪かった。あともう二年くらいしたらここを離れるつもりでいたし、そのまま隠していようかと思ってたんだよ」

「そんな」

「私は秋芳君のようにオープンな妖怪じゃないんだ。半端モンっていうのは人間社会でも妖怪社会でもなかなかに厄介でな。だからあと二年で全部覚えろ。岡女おかめ嘉寺よしでらの金庫だって乙級くらいなら開けられるようにな」


 いつになく真剣な顔つきでそう言ってから、いやお前には無理か、あっはっは! と笑い飛ばす。己の未熟さを笑われたからか、あるいは師匠が近い将来去ってしまう寂しさでか、情けない顔をしている欽一をさすがに哀れに思ったか、明水は、「まぁ、その何だ」と多少柔らかい声を出した。


「ここを去っても、名前は変えない。『伏木明水』は屋号みたいなもんだからな。だから、本当に困った時には連絡しろ。助けてやるよ。高くつくが。だからそんな顔をするな」


 にぃ、と笑って、身を乗り出し、八の字に下がった欽一の眉の間を人差し指で突く。


「……ぼったくりは勘弁してください」

「その時のお前の腕次第だな」


 じゃあきっと、全財産巻き上げられますね、と肩を落とす欽一に、「情けないやつだな、あと二年もあるんだからヨユーだろ」と檄を飛ばす。


「私らの二年は瞬きみたいなモンだが、人間の二年は長い。甘ったれるな、十分すぎる時間だ」

「……はい」


 既にその二年後のことを思っているのか、軽くにじんで来た涙を拭って、「でも、ちょっと安心しました」と欽一が笑う。


「何がだよ」

「いや、威張る能力があるってやつです」

「んあ? それがどうした」

「だって、ということはですよ。俺がついつい社長の前では自主的に正座しちゃうのも、社長が拳を振り上げた時に、どうぞ、って頭を差し出すのも、社長が背中を蹴り飛ばしやすいように少し腰を落としたりするのも、全部その力のせいってことですよね?」

「え」

「いやぁ、俺、もしかして自分がドМなんじゃないかって、ここ最近心配だったんですよ」

「う、ううん?」

「安心しました! 俺、ドMじゃないですね! 妖怪の力なら仕方ないやつですもんね! ね!」

「えぇと、まぁ、うん、そう……なんじゃないか?」


 もしや半妖だからこそ、力をうまくコントロール出来ず、無意識のうちに彼をひれ伏させてしまっているのではないか、という負い目が無きにしもあらずの明水である。お前それはほぼほぼお前自身の性質なんじゃないのか、と言いたいのをぐっと堪えて、そう濁す。


 けれども。


「良かった! なんか最近じゃ、社長がいないところでも秋様にまで蹴り飛ばされたいとか思うようになっちゃって、さすがにおかしいなって思ってたんですよ! 有効範囲、十キロ四方くらいありますよね?!」

 

 晴れやかな顔で尚も良かった良かったと繰り返す弟子を見て――、


「まずそもそも秋芳君のことを『様付け』で呼んでいる時点で素質しかねぇんだわ。ていうか、私がいないところでの話なら、マジでお前のポテンシャルだよ」


 そう思い直したという。

 それでも言わなかったのは明水の優しさではない。


 もう面倒臭かったからだ。

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