1-3 どんな味がするんだろう

 どうやら、『悪食』という妖怪は僕が考えていたような、全方位に無害な妖怪などではなかったらしい。むしろ、どちらかといえば、生きているものすべての敵だ。


 憂火君と嗄音が地獄観光をした際に案内してくれたという悪食の話によれば、悪食というのは本来、地獄で生まれる妖怪だが、稀に地上で生を受けるものがいるらしい。けれど、そんな悪食も数日も経たずに地獄からの迎えが来るのだという。


 生きた人間を食べるからだ。


 僕だって悪食だから、わかる。

 悪食の腹は決して満たされない。どんなに食べても、いつも少しだけ空腹なのだ。


 僕は長い間生きて多少の我慢も覚えたから、寝てる間とか、数時間食べなくても大丈夫だけど、食べようと思えば永遠に食べ続けられるのである。


 僕の食べ物は、多々良が常にたくさん用意してくれる。彼女に出会う前だって、畑で野菜を育てたり、それを何かと交換したり、そうやって『食べ物』を得て来た。それが出来ない時は土を食べたり、石を齧ったり、人間の捨てたゴミを漁ったこともある。そうするのが当たり前だと思っていた。


 けれどもし、人間を食べるのが当たり前だったなら。

 

 地上の悪食は恐らく、森や海ではなく、人の里で生まれる妖怪だから、四方八方、人間食べ物だらけだ。空腹に任せて手当たり次第に食らうだろう。恐らくは、小さな村なら一日で食べ尽くしてしまうはずだ。そんなことになれば、地獄は大変なことになる。天国に行ける人間なんて本当に一握りだから、ほとんどの人間は地獄行きだ。


 だから、悪食が人間を食べ尽くす前に迎えに行くのだろう。地獄でなら、いくらでも食べられる。亡者は噛んでも噛んでも死なないし、刑期を終えない限りいなくならない。それに絶えず補充される。だから、永遠に食べ続けられるのだ。永遠に食べ続けられるなんて、悪食僕らにしてみれば天国である。成る程、そう考えれば確かに悪食は地獄の妖怪だ。



「――あっ、やっぱり届いてたですよ、閻魔庁からのお知らせ」


 家に帰り、古新聞の束をがさがさとかき分けていた多々良が真っ赤な封筒をぶんぶんと振る。


「こんなどぎつい色なのにどうして見落としちゃってたんでしょうね」


 そう首を傾げつつ、開封する。中に入っているのは、キャンペーンの概要が記された書類と、僕と多々良の名前が印字されたチケットが二枚。


「どうします? せっかくですし、行きますか?」

「どうしようかな。あぁでも、伏木さんも行きたいって言ってたよね。憂火君のところに届いたチケットもあるんだろうけど、どっちにしろ妖怪が付き添わないと行けないんだし」

「じゃ、明水さんも誘って行くですか?」

「聞くだけ聞いてみようか。杣澤君は……留守番かな」

「あの木偶助でくすけ、ボスのお食事見ただけでゲーゲー吐くような雑魚ですからねぇ。ちょっと刺激が強いですよ」

「だよね。とりあえず、期限もまだあるし。まぁ、予定が合えば行こうか」


 そんな会話をしたものの、なかなか伏木さんとの予定が合わず――いや、予定はばっちり合いまくってた。主に仕事の方でだけど。


 いつものように、曰く付きの金庫やら何やらを開け、当然のように中に入っている塊を食べる。味はいつもと同じだ。奥の奥にある核は美味しいけれども、その周りの脂肪については、味は血とゴムを混ぜて発酵させたような感じというか。人間の口には合わないと思うけど、僕としては悪い味じゃない。悪い味ではない、というだけで、決して美味しいわけではない。


 それで、やっぱり僕の食事を見てしまった人間が悪い夢を見るようになって、多々良経由で観世重を紹介し、仲介料をもらったりして、美味しいものを買って食べる。箸を使うところでは当然のように多々良が給餌してくれて(箸を使わないやつでも食べさせてくれるんだけど)、まぁまぁ空腹を満たして床に就くのだ。


 そして、塊を食べた日は、当たり前のように悪夢を見て、それを多々良に食べてもらって目が覚める。それの繰り返しである。


 ここ数年ずっと繰り返してきた、平々凡々な毎日だ。僕はこういうのんきで平和な日々が大好きだ。


 けれども。


 ふと思うのである。

 

 生きてる人間って、そんなに美味しいのかなぁ、と。


 僕が好きなのは、きんつばだ。特に、松木世まつきよという、明治三年の創業から贔屓にしている菓子屋のそれが、慣れ親しんだ味というのもあって、僕の大のお気に入りである。

 それから、三善さんぜん堂の苺大福。多々良の情報によると、いまは期間限定でパイン大福なんていうのもあるらしい。それに、世知辛せちがら甘味堂のよもぎ餅もなかなか。あそこは飲食スペースもあって、持ち帰り不可のあんみつも最高だ。

 そうそうこないだは、杣澤君が『Ishizawaイシザワ Sweetsスイーツ Laboラボ』なんてこじゃれたお店の抹茶シュークリームを買って来てくれたっけ。僕や多々良の拳よりも大きなやつだ。何も考えずにがぶっと齧りついたら後ろの方からクリームが出て来てしまって、それを見た多々良が「もったいないです!」と叫んでそこにかぶりつき、杣澤君と取っ組み合いの喧嘩になったものである。まさかシュークリームが発端であんな喧嘩になるとは思わなかった。争いを生む、危険な食べ物のようだ。


 ああそうそう、つまり何が言いたいか、というと。


 僕がこれまでに「食べたいなぁ」と思い出すのは、そういうものだったのだ。


 人間が作る食べ物は、美味しいものばかりだ。だけどそれは、当たり前だけれども、お金を払わなくては手に入らない。そして、美味しいものは、それに見合っただけの額が必要だ。だから、毎日は食べられない。僕はちゃんとその辺を理解しているから、普段はさほど美味しくないものを食べたりして我慢するけど、ふと、それらを思い出したりするのである。食べたいなぁ、と。


 けれど最近ではそれらのことを考えるよりも、よぎるのは生きた人間のことだ。美味しいのかな、どんな味がするのかな、って。


 もちろん、いますぐ襲って食べたいとまでは思わないけれども、気にはなる。だって、元々、僕はそれを食べるはずの妖怪らしいのだ。だけど、僕の中で何かが起こって――なのか、食べずにここまで来た。人間にはアレルギーというのがあって、食べると最悪死んでしまうという免疫の過剰反応がある。だからもしかしたら、そういうことなのかもしれない。果たして悪食という妖怪がどれくらいたくさんいるのかはわからないが、一人くらいはそんな体質の者がいてもおかしくはないだろう。


 目を閉じて考える。

 んが、と口を開けて、自分の腕にかぶりつく。もちろん食いちぎったりはしないけど。


 僕の身体は外見は人間とほぼ同じだ。柔らかい皮膚、その下には血管やら筋肉やらがあって、硬い骨がある。ぺろ、と表面を舐めても、特に美味しいとは思わない。うすしょっぱい。それだけだ。


「あっ、ボス何してるですか!? んもう、お腹空いたですか!? 自分の手を食べちゃ駄目です! 食べるならこっちですよ!」


 額をぐい、と押されて無理やり口を離され、その隙間にきゅうりを差し込まれる。そっちを噛むと、瑞々しい青臭さと、それからほんのり土の味。多々良め、また洗わずに持ってきたな。別に良いけどさ。


「どうしたんですか、ボス。何か元気ないですね」


 しゃくしゃくときゅうりを食べる僕の向かいにしゃがんで、両手にきゅうりを構えた多々良が言う。


「元気あるよ」

「いーや、ないです! ボクの目は誤魔化せないですよ!」

「いやほんと、元気はあるんだよ。考えごとしてるだけ」

「ボスが!? 考えごと!? あれですか? 明日の朝ご飯のこととかですか?」

「明日のってわけじゃないけど。まぁ、食べ物のことではある、かな」

「明日に限らない、食べ物のこと、ですかぁ。食べてみたいものでもあるですか? ボク、ひとっ走りして買ってきますか?」


 先月の仲介料で株を買ってみたら、これがうまいことドカンと当たったですよ、と何やら聞き捨てならない発言をして、ポケットからお札を取り出す。お前、僕の知らないところで随分色々やってるな。それはまぁ良いけど。


「売ってるものじゃないから良いよ」

「ほえ? 売ってないですか。もしかしてあれですか、こないだ言ってた南極の氷?」

「違うよ」

「じゃあ、チュパカブラですか?」

「だから、あれは食べないって。まず見つけるのが大変なんだから」


 じゃあ、何ですか? と可愛らしく小首を傾げる。人間の姿の多々良の目はくりくりと大きい。その大きな目をパチパチさせながら上目遣いで見つめてくるのだ。最近テレビで得たモテテクらしい。そんなにパチパチ瞬きしたら疲れるんじゃないかなと思うのだが、それを指摘したら「んもー。違うですよボス! そういう時は『可愛いね、多々良』って言うですよ! 語尾はちょっと上げ気味で可愛く言うです! さぁさぁ!」と迫られたので、それについては何も言わないのが吉だと学んだ僕である。


「いや、人間がさ」

「ほあ?」

「生きてる人間って、どんな味なのかなって考えてた」

「ボス?」

「甘いのかな、しょっぱいのかな、それとも苦いのかな。あぁでも美味しく感じるらしいから、苦いはないか。いやいや、コーヒーの苦みを美味しいと感じる人もいるわけだし、苦い可能性もあるのか」

「え? ボス?」


 多々良が、何だか恐ろしいものでも見つめるような目で僕を見つめている。お前がそんな顔をするなんて珍しいな。


「どうしちゃったんですか、ボス? 人間、食べるですか?」

「食べないよ。大丈夫。ただちょっと気になっただけ」


 そう返すと、多々良は「それなら良いですけど」と言って、手に持っていたきゅうりを二本一気に僕の口の中に勢いよく突っ込んで来た。


 多々良、僕じゃなかったら死んでるからな?

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