1-2 悪食の一番美味しい食べ物
「――悪食様のことは、地獄に行った時に色々と」
悪食について話してくれたのは憂火君である。
「何だ兄貴、いつの間に死んだんだよ」
「死んでないよ。いま生きてるじゃないか」
「いやだって、地獄、行ったんだろ?」
面倒臭そうにそう言って、杣澤君が淹れてくれたお茶を飲む。出張修理から戻って来た杣澤君は、店番に戻ったものの、ちょいちょいと伏木さんに呼びつけられては、お茶を淹れさせられたり、人数分のおしぼりを用意させられたりしているのである。可哀相に。
「いまキャンペーンやってるんだって。
「お知らせ?」
きょとん、と首を傾げる伏木さんに、憂火君がこくりと頷く。そして「あぁ、こんなことなら持って来れば良かったか」と言った。
「閻魔庁からさ、妖怪宛にお知らせが届いて――あぁそうか、明水は半妖だから届かないんだ。ほら、おれは実家住みだから、親父宛に」
「成る程な。それで? キャンペーンってのは?」
「地獄だよ。Go To 地獄キャンペーン。地獄観光がいま格安なんだ。半妖と人間は妖怪の付き添いが必須、って条件があるんだけど」
「へぇ。親父は行ったのか? 母さんに会いに」
「それがほら、ちょうど金庫を紛失して臥せってる時だったから。合わす顔がないって行かなかった。行ける状態でもなかったし」
「……ほう、ということは? 兄貴はそこの蛇女と二人だけで行ったってわけだな? 可愛い妹を誘いもせずに」
伏木さんの目がきらりと光る。
そりゃあ憂火君だってどうせ行くなら妹よりも彼女とが良いだろうさ。
「うぐ……。え、ええと、その」
「そう言うならちゃんと憂火に住所教えろよなぁ。ちょいちょい引っ越しやがって。親父さんは行けねぇって言うし、もったいねぇからオレが行くしかねぇじゃん。憂火はこんな見た目でも半妖だから妖怪の付き添いがいねぇと行けねぇんだしよぉ。旅行代金が通常の半額だぜ? 行くっきゃねぇだろ」
しゃあしゃあと嗄音が答える。
「ふん、半額かぁ。それなら私も行ってみたいなぁ。でも私のところに知らせは来ていないし……。なぁ、秋芳君のところには来てないのか?」
話を振られ、多々良と目を合わせる。来てた? というメッセージを込めて見つめてみると、どうやらそれは正しく届いたと見えて、ふるふる、と首を振った。
「おかしいですねぇ、ボク達どっちも完全に妖怪なのに」
「まぁ、多々良は厳密には幻獣だから妖怪じゃないんだけどな」
「それが関係あるんでしょうか」
「どうだろ。だとしても、観世重や暖々も行ってるんだし、行けないってことはないと思うけどな」
「それにボスは悪食ですしねぇ。むしろ悪食が地獄の妖怪なんだったら、いつでもひょいひょい行けたりするんじゃないですかねぇ」
確かになぁ。それとも、僕が間違えて食べちゃったとか? そんなことをぽつりと呟いていると、憂火君が、あの、と割り込んで来た。
「何? どうしたの?」
「お茶のお代わりですか?
そう言いながら多々良が彼の湯呑を覗き込んでみたが、お茶はまだ半分以上残っていた。
「いや、逆にどうして悪食様がまだこっちにいるのかな、っておれはむしろそっちが疑問なんですけど」
「そうだよな。悪食様にしてみれば、こっちの世界は生きづらくて仕方ねぇんじゃねぇのかよ」
「え、そうなの?」
知らなかった。
僕ってこの世界だと生きづらかったのか。特にそんなこと感じてなかったんだけど。あれかな、慣れってやつかな?
「だって、悪食様にとって一番美味しい食べ物がそこら中に溢れているのに、それをあえて我慢してらっしゃるってことですよね?」
憂火君の言葉に、嗄音が「オレだったら無理だな。頑張ってもせいぜい三日ってとこだろ」と頷く。
いや、ちょっと待って。
「ねぇ、一番美味しい食べ物って何? そこら中に溢れてるの? 僕それ知らない。別に我慢とかしてないと思うんだけど」
「それに、何だか引っ掛かる言い方ですね。つまり、『その一番美味しい食べ物』とやらをボスが食べていないからこそ、まだここにいる、っていう風に聞こえたですよ」
それを食べたら、ボスは地獄に行くってことですか? と多々良が憂火君に詰め寄る。こらこら多々良、また憂火君が怯えてる。やめなさい。
「た、食べたら、地獄から迎えが来るって言ってました。おれ達を案内してくれたのが、その、悪食様で。自分は地上で生まれた悪食だけど、それを食べて迎えが来たから、いまこうしてここで働いているんだ、って」
「へぇ、その悪食もこっちで生まれたんだ。だけど、お迎えが来て地獄に行った、と。ねぇ。それで? その食べ物っていうのは何?」
別に地獄に行きたいわけでも、そこで働きたいわけでもないけど。だけど、悪食が一番美味しいと思うものがそこら中にあるというのなら、それは気になる。ぜひとも食べてみたい。でもそんなに食欲をそそるものなんて僕の周りにあったかな? 別にめちゃくちゃ我慢してるわけでもないんだけど。僕が一番好きなのはきんつばだけど、そんなわけはないしな。
すると、憂火君は、不思議そうな顔をしてさらりと言うのだ。
「人間ですよ、生きた」
と。
「……は?」
「人間んんん?」
「しかも生きてるやつだと?」
僕と、多々良と、伏木さんの声だ。
「それと、まぁ、生きた妖怪も、だそうですけど。それよりはやはり人間の方が美味しいみたいで。悪食というのは、基本的には、『生きているもの』を食べる妖怪なのだと」
お聞きしました、が、と声がだんだん小さくなっていったのは、たぶん僕らの反応に驚いたからだろう。
「え、ちょっと待て。悪食って、何、そういう、妖怪なのか? 本来は」
伏木さんの声が震えている。
「秋芳君、どうなんだ? 君、ずっと我慢してたのか? 五百年も」
「し……てない。してないよ。別に僕、生きてる人間を食べたいなんて思ったことない。妖怪だってそうだよ。生きてるものを無理に食べようと思ったことないよ」
「でも君はいつも言うよな? 余程のことがない限り食べない、って。てことは、余程のことがあったら食べるんだろ? じゃあやっぱり本当は食べたいんじゃないのか?」
「それは、もし向こうからどうしてもって言ってきたら食べるかもしれない、って意味。そこまでお願いされたら食べるかもだけど、でも生きたまま食べてくださいなんて言ってくる人間も妖怪もいないし。それに、さすがに僕だって五百年も我慢なんか出来ないよ」
死んだら食べてくれ、とお願いされたことならある。
墓石を買う金がない。
葬式代もない。
そもそも弔ってくれる家族も友もいない。
死体はいずれ朽ちて土に還るかもしれない。けれどその前に獣が嗅ぎつけてくるだろう。それもまた自然の摂理かもしれないが、己の身体がぐずぐずに腐っていくのも、無惨に食い散らかされるのも耐えられない。だから死んだらすぐに食べてほしい、と。僕に食べられたがる人間というのは、皆そうだった。生きてるうちは怖いから、死んでから。物言わぬ塊になってから、と。僕なら獣のように食い散らかすことなく、きれいに食べるから。食べ方は汚いけど。
何だか頭をガツンと殴られたような気になってしばし呆けていると、ポン、と肩の上に何か温かいものが乗せられた。伏木さんの手だった。少しだけ震えてはいたけど、労るような、じんわりとした優しい温かさである。
「おい兄貴。あと蛇女。お前達がそれを鵜呑みにしてビビるのは勝手だがな。この秋芳君は違うようだぞ。私はな、付き合いこそまだ浅いが、秋芳君のことは案外よく知ってるつもりなんだ。彼は絶対にそんな妖怪じゃない」
「伏木さん……」
「秋芳君はな、確かに食い意地は張ってるし」
「伏木さん?」
「食い方もかなり汚な……ワイルドだけど」
「ねぇ伏木さん」
「これがまた意外なことに案外『待て』が出来るんだよな。私もびーっくり」
「伏木さん」
「何だよ秋芳君」
「何だよじゃないよ。僕のこと馬鹿にしてない?」
「してないさ。褒めただろ、いま」
「嘘でしょ。褒めてた?」
「確かにちょっと前半は下げたかもしれんが、最後きっちり上げただろ?」
「だとしても、下げた分と釣り合ってなくない? いまの説明だと、僕、ほぼほぼ犬だよ? しかも『意外なことに』って言ってたし。てことは出来ると思ってなかったんだよね?」
「まぁぶっちゃけ」
「出来るよ! 僕、五百年これでやってきてるからね?!」
「ボクはボスが『待て』が出来なくてもそれはそれでバブみがあって可愛いと思います!」
「多々良は黙ってて」
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